潮境『茶ヲ乞ウ14』
宗介は考えるより先に茶碗を投げた。
男の手から黒いものが落ちた。
銃ではない。
小さな端末だった。
榊が飛び込む。
男の腕をねじり上げ、畳へ押さえつけた。
「動くな!」
端末が床を滑った。
彰の顔色が変わった。
「触るな!」
遅かった。
画面が点灯した。
《送信完了》
その瞬間、茶室の外で低い音がした。
地鳴りのようだった。
日本代表が立ち上がる。
「何を送った!」
男は畳に頬を押しつけられたまま笑った。
「真実です」
「何の?」
「米国が日本の量子航法研究所を攻撃した映像」
米国代表の女性が青ざめた。
「攻撃していない」
「知っています」
男は言った。
「映像は偽物ですから」
沈黙。
宗介は男を見た。
「そんなもので戦争になると思ってるんですか」
「なるさ」
「両国政府が否定すればいい」
「国民は政府より、自分の目を信じる」
彰が端末を拾った。
「二〇三一年と同じだ」
「何?」
「戦争の最初に流れた映像だ。東京湾で米軍が日本船を沈める映像。偽物だった」
男が彰を見る。
初めて笑みが消えた。
「お前は誰だ」
「その偽物で家族を失った人間だよ」
彰が男に近づく。
榊が止めた。
「手を出さないで」
「こいつらが——」
「だからです」
榊の声は静かだった。
「あなたの時代と同じことをしないでください」
彰の拳が震えた。
やがて下ろした。
宗介は時計を見た。
七時九分。
あと四分。
「回線を戻せませんか」
「世界中に拡散している」
米国側の技術官が言った。
「もう無理だ」
宗介は考えた。
祖母の言葉が浮かんだ。
相手の面子を潰すな。
自分だけ正しいと思うな。
席を立つな。
「じゃあ、二人で否定しないでください」
「何?」
「日本政府と米国政府が別々に否定したら、互いに嘘をついていると言われる」
米国代表の女性が宗介を見た。
「では?」
宗介は茶碗を拾った。
縁が欠けている。
「一緒に映ればいい」
誰も理解していない。
「ここから生中継するんです。日米代表が同じ茶席に座って、同じ茶を飲んでるところを」
日本の外務卿が顔をしかめた。
「国家外交を見世物にしろと?」
「戦争より安いでしょう」
彰が笑った。
米国代表の女性も、わずかに口元を緩めた。
外務卿だけが不機嫌そうだった。
「前例がない」
宗介は答えた。
「戦争にも最初の一回があります」
七時十一分。
榊が自分の端末を卓上に立てた。
「海務院回線なら世界同時配信できます」
「許可は?」
「あとで怒られます」
「あなたも尾張みたいになってきましたね」
宗介が言うと、榊は睨んだ。
配信が始まった。
画面の向こうに何億人いるのか、宗介には想像もできなかった。
日本の外務卿と米国代表が並んで座る。
米国代表が茶を点てた。
外務卿が飲む。
次に自分の茶碗を彼女へ渡した。
古い作法だった。
同じ茶碗で飲める相手とは、その席では争わない。
七時十二分。
彰が呟いた。
「俺の世界では、この時間に日本艦隊へ出撃命令が出た」
時計の秒針が進む。
五十七。
五十八。
五十九。
七時十三分。
何も起きなかった。
誰も息をしなかった。
やがて榊の端末が鳴った。
《米太平洋艦隊、警戒水準引き下げ》
続いて、
《日本海務院、全艦現位置待機》
宗介は大きく息を吐いた。
彰は目を閉じた。
「変わった……」
そのとき、畳に押さえつけられていた五鹿角の男が笑った。
「一つはな」
宗介が振り返る。
「どういう意味です」
男は宗介ではなく、彰を見ていた。
「お前の世界が消える」
彰の身体が透け始めていた。
「彰さん?」
彰は自分の手を見た。
指の向こうに畳が見える。
それでも彼は笑った。
「やっとか」
そして茶室の外で、水野修一が叫んだ。
「彰!」
父親の声を聞いた瞬間だけ、未来の兵士は子供の顔になった。
