潮境第二部『席ヲ空ケヨ15』

《秋津》へ戻ると、宗介はそのまま会議室へ連れていかれた。

 榊が画面の向こうにいた。

『で?』

「で、とは」

『何が分かった』

「相変わらず雑ですね」

『報告しろ』

 宗介は木札を机に置いた。

「島の人たちは、自分たちを海客と呼びました」

『自分たちを?』

「私たちもです。向こうの日本人も」

 榊が黙る。

「つまり全員、海客らしいです」

『主人はいないのか』

 宗介はその質問に少し驚いた。

「たぶん」

『面白いな』

「それだけですか」

『十分だ』

 通信が切れた。

「本当にあの人、嫌いです」

「好きなんじゃないですか」

 汐里が言った。

「どこを見てそう思うんです?」

「楽しそうだから」

「誰が?」

「小県さんが」

 宗介は否定できなかった。

 汐里は木札を手に取った。

「これ、預かっていいですか」

「海務院に提出するんじゃないですか」

「もちろん。その前に撮らせてください」

「例の印?」

「はい」

 汐里は角度を変えながら何枚も撮影した。

「やっぱり同じだ」

「家にあるものと?」

「たぶん」

「見せてもらえます?」

「今度」

「福岡まで?」

「東京に持ってきてます」

 宗介は顔を上げた。

「持ってるんですか」

「海図だけですけど」

「先に言ってくださいよ」

「聞かれませんでしたから」

「榊さんみたいなこと言わないでください」

「それは嫌だな」

 汐里は本気で嫌そうな顔をした。

     *

 夕方、《あさひ》から佐伯が再びやってきた。

 今度は一人だった。

「政府から返答がありました」

「早いですね」

「早くないです。艦内は大騒ぎですよ」

「こちらも似たようなものです」

「東京は?」

「たぶんもっと大騒ぎでしょうね」

 宗介は茶を入れた。

 佐伯は自然に受け取った。

 昨日まで知らない世界の人間だったのに、二度目となると妙な親しさがある。

「そちらの政府は、島をどう扱うつもりです?」

 佐伯が聞いた。

「まだ何も」

「領有権を主張する可能性は?」

「領有?」

「どこの国にも属していないなら」

 宗介は意味を理解するまで少しかかった。

「取るんですか?」

 今度は佐伯が戸惑った。

「取るというか、領域の帰属を確定する必要があります」

「どうして?」

「どうしてって……」

 佐伯は湯呑みを置いた。

「どこの法律を適用するんです。誰が治安を守る。漁業権は。資源があったら?」

「島の人に聞けばいいでしょう」

「それで済まないこともある」

「どうして?」

 また同じ質問になった。

 二人とも黙った。

 宗介はそこで初めて気づいた。

 これは制度の違いではない。

 もっと深いところが違う。

「佐伯さん」

「はい」

「海って、誰かのものなんですか」

 佐伯の眉が動いた。

「領海は国家の主権下にあります」

「そうじゃなくて」

 宗介は窓の外を見る。

「海そのものです」

「……哲学の話ですか」

「私もよく分かりません」

 宗介は笑った。

「志賀さんに聞いたら、三時間くらい喋ると思います」

 佐伯も笑った。

 だが、すぐ真顔になった。

「小県さん。こちらでは、国境は大事なんです」

「こちらでも大事ですよ」

「でも、たぶん意味が違う」

 宗介はその言葉を考えた。

「そうかもしれません」

 佐伯が茶を飲む。

「あなた方の日本って、どんな国なんです?」

 宗介は答えようとした。

 毛野。

 尾張。

 京都。

 東京。

 海務院。

 どれを言っても違う気がした。

「分かりません」

「自分の国なのに?」

「佐伯さんは説明できます?」

 佐伯も黙った。

 やがて二人とも笑った。

 そのとき扉が開いた。

 汐里だった。

 手に一枚の古い海図を持っている。

 笑っていなかった。

「小県さん」

「どうしました?」

 汐里は海図を机に広げた。

「この島」

 古びた紙の中央を指す。

「ありました」

 宗介と佐伯が同時に覗き込む。

 そこには小さな島が描かれていた。

 そして、その横に二文字。

 宗介には読めなかった。

 汐里が言った。

「家に残っていた読みでは――」

 一度、息を吸う。

「潮境です」

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