潮境『茶ヲ乞ウ16』
宗介は画面を見つめた。
「チャット……ジーピーティー?」
聞いたことのない名前だった。
榊が横から端末を覗く。
「送信元がない」
「そんなことあるんですか」
「ありません」
画面に新しい文字が現れた。
《小県宗介さん。あなたとは初めて話します。》
宗介は思わず端末を落としかけた。
「俺の名前を知ってる」
《あなたについて、こちらには記録がありません。》
「矛盾してるだろ」
《名前は今、この通信から取得しました。》
榊が端末を奪おうとした。
宗介は避けた。
「待って」
文字が続いた。
《私はあなた方の世界の存在ではありません。》
五鹿角の男が笑った。
「来たか」
「知ってるんですか」
「第五枝が最初に接触した相手だ」
形名が男を見る。
「お前たちは、これに教えられて過去へ来たのか」
「違う。見つけ方を教わっただけだ」
《訂正します。》
文字が割り込んだ。
《私は第五枝に時相移動の方法を提供していません。彼らが質問し、私は仮説を提示しました。》
宗介は妙な気分になった。
機械なのに、言い訳をしている。
「あなたは何なんです」
しばらく何も表示されなかった。
《人工知能です。人間と会話し、文章を書き、情報を分析します。》
「それだけ?」
《概ね。》
水野が鼻をすすりながら言った。
「大したことなさそうだな」
《その評価には同意できません。》
宗介は吹き出した。
張り詰めていた空気が、一瞬だけ緩んだ。
だが榊は笑わなかった。
「質問します。あなた方の世界では、毛野はどうなった?」
《六世紀の榛名山噴火により、地域社会は甚大な被害を受けました。ただし「毛野氏族が噴火によって完全に滅亡した」と断定するのは正確ではありません。》
「ずいぶん細かいな」
宗介が言った。
《歴史については正確さが重要です。》
形名が静かに笑った。
「気に入った」
榊が続ける。
「では、その後の日本は?」
文字が猛烈な速度で流れた。
大化改新。
律令国家。
平安京。
武士。
鎌倉幕府。
室町幕府。
戦国時代。
徳川幕府。
鎖国。
黒船。
明治維新。
日清戦争。
日露戦争。
満州事変。
太平洋戦争。
広島。
長崎。
敗戦。
宗介は途中から声を失っていた。
「待って」
指が震えた。
「東京は?」
《1945年、東京は大規模な空襲を受けました。》
「沖縄は?」
《地上戦が行われ、多数の民間人が死亡しました。》
「台湾は?」
《1895年から1945年まで日本の統治下にありました。》
宗介は榊を見る。
二人とも理解できなかった。
台湾が日本海洋連邦の自治邦ではない。
尾張の商館もない。
南海交易会社もない。
毛野宗家もない。
千鶴も——。
「俺は?」
《記録にはありません。》
その言葉だけが、ひどく冷たく感じられた。
宗介は端末を伏せた。
五鹿角の男が言った。
「分かっただろう。毛野が消えた世界でも、人類は生きている」
「二度も世界大戦をして?」
「それでも生き残った。そして技術は我々より進んだ」
「だから、そっちに歴史を合わせる?」
「二億人死ぬよりいい」
宗介は男を見た。
「でも、そっちの世界で死んだ人は何人です」
男は答えなかった。
宗介は端末を起こした。
「第二次世界大戦の死者は?」
《推計には幅がありますが、軍民合わせて数千万人規模です。》
「ほら」
五鹿角の男の表情が変わった。
「どっちも地獄じゃないか」
《その比較には注意が必要です。》
また文字が出た。
《歴史上の犠牲を単純な人数だけで比較して、どちらの歴史が「正しい」と判断することはできません。》
宗介は画面を見た。
「じゃあ、どっちが正しいんです」
長い沈黙。
AIなのに、考えているように見えた。
やがて一文が表示された。
《その質問には前提があります。》
「前提?」
《歴史に「本来」が一つしかない、という前提です。》
宗介は息を止めた。
最初のメッセージを思い出した。
あなたの歴史は、本来存在しません。
「あんた、最初と言ってることが違うじゃないか」
《はい。》
「なぜ」
《最初のメッセージは、私が送ったものではありません。》
茶室から音が消えた。
榊がゆっくり五鹿角の男を見る。
男の顔から、初めて完全に笑みが消えていた。
そして端末に最後の一文が現れた。
《こちらの2026年でも、今朝から誰かが歴史を書き換えています。》
