潮境『茶ヲ乞ウ11』
「違う答えって、何だよ」
宗介の声は自分でも驚くほど乾いていた。
千鶴は答えなかった。
代わりに未来の男が懐から小さな筒を取り出し、地面に置いた。
「噴火の三日前へ行く」
形名の顔が強張った。
「時の潮は選べぬ」
「昔はな」
男が笑った。
「二〇三一年には選べる」
筒の表面に青白い線が走った。
「量子航法器……」
榊が呟く。
「甲特二七は航法器じゃない。時相観測器だったんですね」
「二〇二六年のお前たちは、まだそう呼んでいた」
男は榊を見た。
「五年後には兵器になる」
その言葉に、榊が銃を下ろした。
「兵器?」
「敵の艦隊を昨日へ送れる。都市を百年先へ飛ばせる。理論上はな」
「そんなものを日米が?」
「最初は共同研究だった」
宗介は朝のニュースを思い出した。
半導体協議。
瑞穂丸。
米国との共同試験。
たった数時間前まで、世界は普通だった。
「何が戦争の原因なんです」
男は宗介を見た。
「原因?」
「あんたは毛野が残ったからだと言った。でも千四百年もある。そんな説明で二億人殺していいわけないだろ」
男の人工眼が細くなった。
「米国で黄禍暴動が起きた。日本人街が焼かれた。日本は報復制裁をした。清国が日本側についた。米国が太平洋航路を封鎖した。日本海軍が護送船団を出した。グアム沖で無人艦が誤射した」
「それで?」
「それだけだ」
宗介は言葉を失った。
世界が滅びる理由として、あまりにもくだらなかった。
「誰も戦争したくなかった」
男が言った。
「だから止められなかった。全員が、相手が折れると思った」
冬嗣が初めて口を開いた。
「なら毛野を消しても同じだ」
男が彼を見る。
「何?」
「人間が愚かなら、別の理由で戦う」
「だが日米戦争はなくなる」
「代わりに何が起きる?」
沈黙。
形名が茶室へ戻った。
「茶を淹れ直そう」
未来の男が笑った。
「こんな時に?」
「こんな時だからだ」
宗介も笑いそうになった。
朝、水野も同じことを言った。
形名は炉の前に座った。
千鶴も続く。
冬嗣も。
宗介は少し迷ってから畳へ上がった。
榊が最後に座った。
未来の男だけが立っている。
「お前も座れ」
形名が言った。
「俺は交渉に来たんじゃない」
「では、なぜ茶を乞うた」
男の表情が消えた。
宗介は顔を上げた。
「茶ヲ乞ウを送ったの、あんたなのか」
男は答えない。
形名が茶筅を動かす。
しゃっ、しゃっ、と音がする。
外には未来の艦隊。
内には千三百年前の男と、二〇二六年の会社員と、二〇三一年の兵士。
形名が一碗目を未来の男の席へ置いた。
「約定では、茶を乞うた者は話を聞かねばならぬ」
長い沈黙のあと、男は靴を脱いだ。
そして座った。
「名前は?」
宗介が訊いた。
男は茶碗を手に取った。
「水野彰」
宗介は息を呑んだ。
「水野……?」
男は一口飲んだ。
「お前の上司の息子だよ」
宗介は水野の顔を思い浮かべた。
未来の男は茶碗を置いた。
「父は二〇三二年まで生きた」
「戦争は三一年でしょう」
「ああ」
男は沖の艦隊を見た。
「戦争は終わらなかった」
その瞬間、榊の端末が震えた。
通信圏外の画面に、一行だけ表示された。
《二〇二六年八月十六日 東京・ワシントン間緊急回線切断》
榊が立ち上がった。
「戻らないと」
水野彰が首を振った。
「もう遅い」
宗介は画面を見つめた。
二〇三一年の戦争は、五年後に始まるのではなかった。
今朝から、もう始まっていた。
