INDY WORLD外伝 【銀子覚醒編】 3
【開演前】
横浜お笑い座
開演を待つ観客のざわめきが、劇場を満たしている。
場内では、横一銀行の岡崎部長が、パンフレットに目を通していた。
そこへ、同じ部署の吉田慎二と橋本典子、典子の夫、悟がやって来る。
吉田
「部長、お疲れさまです。いらしてたんですか?」
岡崎
「おお、吉田君、橋本君もか。ご苦労さん」
典子
「いえ、今日は仕事ではなくて……主人です。」

悟「いつも家内がお世話になっています。
吉田さん共々、今日は子どもたちが出演するんです」
岡崎
「ほう、それはおめでとう」
典子
「ありがとうございます。ただ……実は行内では、ほとんど話していないんですが……」
吉田は少しためらい、声を落として話しかける。
吉田
「うちの子は、いわゆる不登校でして」
典子
「うちの娘もなんです。それで少し前から、このENGLISH ACADEMYに通ってるんですよ」
岡崎は驚いたように、三人を見る。
岡崎「そうだったのか……。いや、大変だったね」
吉田
「それが、今度の劇に出るって、自分から言い出したんです」
吉田は橋本夫妻の方を見る。
吉田
「橋本さんのお嬢さんも、そうですよね」
悟
「ええ。人前に出るなんて、ずっと避けてきた子ですから……今でも驚いてるんですよ」
吉田
「もしかして、部長のお子さんも出演されるんですか?」
岡崎
「いやいや。うちの子たちは、とっくに社会人だよ」
岡崎は、手にしていたパンフレットを軽く掲げる。
岡崎
「実はね、今回の座長だという学生さんから、招待状と趣意書が届いてね」
吉田
「座長から直接ですか?」
岡崎
「ああ。こういう招待状は、普通なら『遺憾ながら都合がつかず』で終わるところなんだが……
差出人の名前を見て、手が止まったよ」

典子
「名前ですか?」
岡崎
「神奈川国立大学――横一銀子」
吉田
「横一……銀子?」
岡崎
「ずいぶん人を食った名前だなと、最初は思ったよ」
典子
「確かに、銀行へ送る手紙の差出人としては、出来すぎていますね」
岡崎
「ところが、どこかで聞いた覚えがあってね。もしかすると、この子は『横一HD』会長の孫娘じゃないか、とね」
吉田・典子
「ええっ!」
岡崎
「これだけユニークな名前だ。課で調べさせたら、やはりそうだった」
典子
「横一HD様といえば、うちにとって、それこそ足を向けて寝られない取引先じゃないですか」
吉田
「では部長は、それで今日こちらへ?」
岡崎
「まあ、それも理由の一つだ」
岡崎は、舞台の方へ目を向ける。
岡崎
「だが、趣意書を読んでいるうちに、それだけではなくなった」
吉田
「といいますと?」
岡崎
「学校へ行けない子どもたちが、英語とお笑いで舞台に立つ。外国から来た人たちとも、言葉の壁を越えて笑いを共有する――」
岡崎はパンフレットを閉じる。
岡崎
「ちょっと、おもしろそうじゃないか」
吉田
「部長……」
岡崎
「いい年をして、と言われるかもしれんが、自分の目で見てみたくなったんだよ」
その時――
歯切れの良い、あかりのアナウンスが響く。
『間もなく開演でございます。皆様、席にお着きください。
"The show is about to start. Please take your seats."』
客席の照明が、ゆっくりと落ちていく。
典子は両手を胸の前で組み、暗くなった舞台を見つめる。
典子
「すみれ……ちゃんと、できるかしら」
悟
「信じてやろう」
吉田
「大丈夫ですよ」
そう答えながらも、吉田の膝の上では、両手が固く握りしめられている。
岡崎は、その様子を黙って見ていた。
やがて舞台中央に、一筋のスポットライト
そこへ、銀子が現れる。
深く一礼する。
【座長銀子 開演挨拶】
銀子
「本日は、『横浜お笑い座』旗揚げ公演にお越しいただき、誠にありがとうございます」
客席から拍手。

銀子
「座長を務めます、神奈川大学落語研究会――横一銀子と申します」
少し間を置く。
銀子
「はい、銀行の皆さまにご挨拶するときは、毎回ちょっとだけ緊張する名前です」
客席から笑いが起こる。
岡崎も思わず口元を緩める。
銀子
「この劇場には、立派な舞台装置も、有名な役者もいません」
舞台袖に目を向ける。

銀子
「いるのは、今日初めて舞台に立つ子」
「人前で話すのが苦手な子」
「学校へ行けなくなり、自分の居場所を探している子」
客席の吉田と橋本夫妻の表情が引き締まる。
銀子
「そして――そんな子どもたちを、信じて待ち続けてきた大人たちです」
銀子は、客席をゆっくりと見渡す。
銀子
「私たちは、英語を上手に話すためだけに、この舞台を作ったのではありません」
「英語が少しくらい間違っていてもいい」
「声が震えてもいい」
「途中でセリフを忘れても……まあ、そこは、なるべく忘れないでほしいんですけど」
再び、客席から笑い。
舞台袖から、インデイの声。
インデイ
「座長が一番危ないで!」
銀子
「うるさいわ!」
客席の緊張が、一気にほぐれる。銀子は笑顔を浮かべたあと、静かに続ける。
銀子
「大切なのは、自分の言葉で、誰かに何かを伝えようとすることです」
「その一歩が、誰かの心を動かすかもしれない」
「その一歩が、自分自身の未来を変えるかもしれない」
銀子
「今日、この舞台に立つ子どもたちは、ずっと立ち止まっていたわけではありません」
「誰にも見えないところで、何度も転び、何度も迷いながら――ここまで歩いてきました」
典子の目に、涙が浮かぶ。
吉田は舞台を見つめたまま、小さくうなずく。
銀子
「どうか最後まで、温かく見守ってください」
「そして、面白かったら、遠慮なく笑ってください」
少し胸を張る。
銀子
「面白くなかった場合も――今後の成長に期待して、少しだけ笑ってください」
客席、大笑い。
銀子
「笑いは、国籍も、年齢も、学校へ行っているかどうかも問いません」
「今日ここにいる全員で、一つの舞台を作りたいと思います」
銀子は深く息を吸う。
銀子
「それでは――」
力強く右手を上げる。
銀子
「『横浜お笑い座』旗揚げ公演!」
「開演です!」
大きな拍手。
照明が落ちる。
暗闇の中から、子どもたちの声が響く

子どもたち
「Ladies and gentlemen――Welcome to Yokohama!」
幕が開く。
続く
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
銀子編は、あと2回。
間もなくクライマックスです。
どうぞ続けてお読みください。
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