【仏教の名言】(1)〜犀の角のようにただ独り歩め
岩波文庫に「ブッダのことば」という少し分厚い文庫本がある。
仏教の教典類でもっとも古いものとされる「スッタニパータ」を訳した本である。
2300年前のものらしい。
ブッダ、すなわちお釈迦様が入滅されて2500年ほどなので、釈迦の死後200年ほどして出来たことになる。
かなりの初期のもの。
現存する最古の経典である。
ちなみに、比較的、よく知られたダンマパダ(発句経)すら、スッタニパータよりは後のお経らしい。
いずれにせよ、そういう古いものだ。
それ以前は、口伝えだったらしい。
そして、ようやくパーリ語で書かれた。
もちろん、口伝えは韻文、すなわち歌の形で伝えられた。
だから、スッタニパータには、歌独特の繰り返しの要素が多い。
今日紹介するのは、知る人ぞ知る「犀の角」の章からの抜粋である。
第一 蛇の章
三、犀の角
三五 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
三六 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
三七 朋友・親友に懐れみをかけご心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
第三五から三七までを紹介した。
番号は通し番号である。
犀の角の章は三五から始まり、七五まで、すなわち41の文章から成っている。
ご覧の通り、末尾は全て「犀の角のようにただ独り歩め」で締め括られている。
犀の角の章では、人間が抱く様々な妄執の原因となるものが書き立てられ、最後に「犀の角のように独り歩め」で締め括られている。
このリフレインが催眠効果となり、知らず知らずに引き入れられていくように感じる。
ちょっと癖になりそうだ。
この「犀の角」であるが、ググってみるとすぐに分かるが、犀の口先というか鼻の上あたりに確かに一本の角が立っている。(短いのと合わせて2本と言った方が良いかもしれない)
なかなか立派な角である。
しかも、ピンと上に向かって立っているところが良い。
つまるところ、この角が「妄執を跳ね除けた孤高の聖者の姿」を表しているということだ。
先程、紹介した文章には、生き物への殺生、子供、朋友、交わり、愛情など様々な苦の原因となる事物が並び立てられている。
でも、生きてる限り、それを打ち捨てることはなかぬか出来ないだろう。
配偶者や子、友人こそが自身の生き甲斐でありアイデンティティだという人も多かろう。
しかし、諸行無常である。
ふとしたことで、友と諍いを起こし、結果として、一生義絶することもあるだろう。
長生きすればしたで、家族や友人と死に別れ、浦島太郎になってしまうこともあろう。
そんな時、どうしたら良いのか。
孤高でいるしかないのである。
自分は「犀の角」と言い聞かせ、孤高もまた良しとするのが、生きていく上での心得というものではないか。
2500年も前に、お釈迦様は、このように人生を喝破し、人々にこの言葉を授けて下さったのだ。
一日のうちのほんの僅かでも良い。
自分が犀の角となった積もりになってみても良いのではなかろうか。
今日から新シリーズとして、仏教関係の有名な言葉を紹介していきたい。
それと同時に、並行して「仏教を訪ねて」と題した新シリーズを走らせていく予定。
そちらでは、自分自身の仏教の学びの遍歴を綴る積もり🤭
ちとややこしいが、あまり気にしないで頂きたい。
