『CIVIL WAR』を見た

まずは、巨額の制作費がかかっている割には出来栄えが伴っていないロードムービー、ということは言っておこう。正直、期待したほどビジュアルの面で訴えかけてくるものは無かったし、わかりやすく何かを伝えてくれるわけでもなく、当事者たるアメリカ人が、その政治信条を問わずがっかりしてしまうのではないか、という印象を抱いた。ただ同時に、なかなかに複雑で一筋縄でいかない解釈を求められる映画ではある、とも思った。今この時代において、少なくとも見る価値はある。
報道カメラマンと記者、そして元記者の老人と新参者の若手カメラマン、この四人のロードムービーというていをとって物語は進む。一行の道中で、これは予告編でも取り上げられたらしい非常にショッキングなシーンなのだが、お前はどの種類のアメリカ人だ?と問いかける所属不明の兵士が、一見すると無差別に、しかし本人の中では恐らく明確であろう指針に基づいて殺害を繰り返す様子は、現代のアメリカの状況を示す(ように思われる)という点でリアルだ。自由の国であるはずのアメリカで、出自による、根拠の不明確な差別(差別に根拠があった試しはないが)が、銃という決定的な暴力を行使するかたちでなされる。果してここで生きながらえた白人の3人はこの後、現職大統領の州兵による殺害という「最もアメリカらしくない」瞬間を記録することになり、それはそれで一つの諧謔なのだが、その殺害の瞬間、州兵や、大統領の最期の言葉を聞いた記者たちが、第四の壁を越えてこちらを振り向いてくのは「お前たち観客が見たかったものは、要するにこれだろう?」と語りかけているようだ。これはこの映画に投影される欲望、すなわち「現在のアメリカの状況が将来的に帰結する最悪が見たい」という欲望を再帰的に(メタ的に)先取りしたもので、たいへんに自己言及的だ。誰による、なんのための、どういったアメリカなのか、この根本が揺らいでおり、その統合たる大統領の殺害という帰結は、まさにその現状を示すものであると言える。むしろ、一つの統一された合衆国という価値観の崩壊、そしてそれをよしとする、左右を問わない欲望の現れのようにも思われる。現実には圧倒的に共和党が強いテキサスと、反対に圧倒的に民主党が強いカリフォルニア、この相反する二つの(時として明確に反発し合う)州が結託して合衆国政府との内戦が起きる、という設定も「現代アメリカの混沌、一筋縄でいかなさ」を象徴しているようでもあり、さらには「合衆国内の分断は、左右両極の欲望である」ということを表そうとしているのかもしれない。ひいては「合衆国」自体が揺らいでいる、これをわかりやすく内戦という形で描いたのが、この映画なのかもしれない。
アメリカという国は強固な民主主義の地盤により支えられてきたが、今やその民主主義自身が「合衆国」という一つの括りに自らを収めようとしておらず、自分たちの政治を求めるのであればむしろ「合衆国」は不要ではないか?という感覚が広がりつつあるのではないか、そんなことを遠く太平洋の反対側から思った。

なお、どうでもいい話だが『ヴァージン・スーサイズ』や『スパイダーマン』のキルスティン・ダンストが完全にオバさんになっていて、個人的にはくるものがあった。


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