【哀愁おっさん旅行記】奈良県天川村「大峰山龍泉寺・役行者・陀羅尼助・修験道」
秋の奈良、吉野の奥深くにある天川村を訪れた。紅葉の季節、山々は燃えるような色に染まり、空気は澄み渡っていた。私が目指したのは龍泉寺。奈良の修験道の文化を肌で感じたくて、どうしてもこの地に足を運びたかった。

龍泉寺は真言宗醍醐派の大本山。なぜこの山寺が「大本山」とされるのか――それは、ここが大峯修験道の根本道場として、古来より修行者を迎え入れてきた霊場だからだ。総本山は京都の醍醐寺だが、龍泉寺はその修験の実践の場として、山岳信仰の中心を担っている。

寺の前に立つと、まず目に入るのは朱塗りの門。瓦屋根が重厚で、門の両脇には高さ1メートルほどの石垣が組まれ、白壁と瓦屋根の塀が続いている。木の看板には「龍王講社本部 大峯山内道場」と記されていた。その文字の力強さに、ここが単なる寺ではなく、修験者たちの結集の場であることを感じる。
門の奥をのぞくと、まるで桃源郷のように紅葉が輝いていた。境内に入ると、すぐに池が目に入る。池の中央には、亀に乗った仙人のような銅像が立っていた。これは「行者尊」と呼ばれる像で、修験者の象徴でもある。池のほとりには「大峯山第一水行場」と書かれていた。

この池は、岩窟から湧き出る泉「龍之口の霊水」を湛えたもので、修験道の行法のひとつである水行が行われる場所だ。水行は、神道の禊の影響を受けた修行法で、身心を清めるために冷水に打たれる。大峯山に入峯する修行者は、まずこの水行場で身を清めてから山に入るのが慣例となっている。
龍泉寺の創建は、伝承によれば文武天皇4年(700年)頃。修験道の開祖・役行者(役小角)が大峯山で修行していた際、洞川の岩場から湧き出る泉を発見し、「龍の口」と名付けた。そしてそのほとりに小堂を建て、八大龍王を祀ったのが始まりとされる。龍神が住む泉という意味で「龍泉寺」と名付けられたという。

その後、寺は一時衰退するが、修験道中興の祖・聖宝(理源大師)が真言の力で寺を再興。以降、当山派修験道の有力寺院として栄え、明治時代には大峯山寺の護持院のひとつとなった。昭和21年の洞川大火で本堂などが焼失するが、昭和35年に再建され、同年に女人禁制も解禁された。

本堂へ向かうと、堂々とした建物の前に二体の銅像が立っていた。ひとつは前鬼、もうひとつは後鬼。ともに険しい表情を浮かべ、山伏の装束をまとっている。これらは、修験道の開祖・役行者神変大菩薩に仕えたとされる鬼神で、かつては荒ぶる存在だったが、役行者によって調伏され、以後は修行の補佐を務めるようになった。夫婦であるとも伝えられ、修験の象徴として多くの寺院で祀られている。

修験道とは、山を神と仏の宿る聖地と仰ぎ、そこに分け入って苦行を重ねることで、神仏と一体となり、霊力を得て人々を救済するという日本独自の信仰体系だ。神道、仏教、道教、シャーマニズムが融合したこの道は、自然への畏敬と感謝を根本に据えている。龍泉寺は、その思想を今に伝える場所であり、現代でも多くの山伏がこの地を訪れて修行を続けている。
龍泉寺で修験の空気に触れたあと、私は洞川温泉街へと足を延ばした。目指したのは「すずかけの道」。この道は、大峯山から高野山へと続く古の修験道「大峯高野街道」の一部であり、修験者たちが祈りを込めて歩いた霊道である。名の由来は、修験者が衣の上に羽織る法衣「すずかけ」にちなむという。その名を冠したこの道は、まさに修験の記憶が息づく場所だった。
通り沿いには、昔ながらの旅館が軒を連ねている。どの宿も、道路に面した一階部分に縁側が設けられているのが印象的だった。これは、修験者が宿に立ち寄った際、縁側に腰掛けて休息をとるための造りだという。山から下りてきた修験者が、泥を落とし、冷えた身体を温めながら、しばしの静寂に身を委ねる姿が目に浮かぶ。縁側は、ただの建築的な意匠ではなく、修験者と土地の人々との交わりの場でもあったのだろう。

通りを歩いていると、至るところで「陀羅尼助(だらにすけ)」の看板を目にした。これは、修験者が必ず懐にしのばせるという伝統の胃腸薬。主成分はオウバク(黄柏)で、その他にもガジュツやゲンノショウコなど十数種の和漢薬が配合されている。その苦味は強烈で、「腹よりはまず顔に効く」と川柳に詠まれるほどだという。陀羅尼助は、修験道の開祖・役行者が大峯山で創製したとされ、1300年の歴史を持つ。山水や粗食で腹を下したとき、あるいは過酷な修行で胃腸が弱ったときに、修験者たちはこの薬に頼ったのだろう。

洞川の温泉街は、ただの観光地ではない。ここには、修験者たちの足跡が確かに残っている。すずかけの道を歩くと、どこか時の流れが緩やかになる。旅館の縁側に腰掛ける修験者の姿、懐に忍ばせた陀羅尼助、そして山に向かう祈りの足音――それらが風に乗って、私の耳元にささやいてくるようだった。
夕暮れ、温泉街の灯がともり始める頃、私はすずかけの道の端に立ち、振り返った。龍泉寺の紅葉、水行場の静寂、洞川の縁側、陀羅尼助の苦味――それらが一つの物語となって、私の中に静かに沈殿していく。修験とは、山に入ることだけではない。土地に触れ、人々の記憶に寄り添い、自らの内面と向き合う旅なのだ。
奈良の秋は、ただ美しいだけではない。そこには、祈りと修行の記憶が、今もなお息づいている。そして私は、その記憶の一端に触れたのだと思う。
