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【おっさん旅行記】大阪府阿倍野区「新世界・あべのハルカス」

大阪の街を歩くと、時代の層が重なり合うような風景に出会うことがある。今回の旅は、そんな大阪の文化の深層に触れるため、新世界を中心に探訪した。地方出身の私にとって、新世界はまるで異国のような活気に満ちていて、大阪の中でも「コテコテの大阪」が色濃く残る場所だ。あえて最初に向かったのは、対照的な近代の象徴——近鉄あべのハルカス本店だった。

関西発の私鉄である近畿鉄道は、鉄道輸送業を中心に不動産や百貨店事業にも展開し大成功。大阪で最も高い商業オフィスビル・あべのハルカスをオープンした。展望台「ハルカス300」は地上約300メートル。30階付近のカフェから見下ろす大阪の街は、まるで都市の地図を俯瞰するような感覚だった。眼下には緑色の人工芝が敷かれたあべのキューズモールの広場が広がり、かつて友人たちと遊んだこのエリアが、近鉄本店を中心に少しずつ変わってきていることを実感した。変化にはどこか哀しさもあるが、街が良くなっていくことは歓迎すべきことだろう。大阪は商人のまち——変化に柔軟で、時代の波を乗りこなす力がある。

ハルカスを後にして向かったのは、通天閣を中心とした新世界。駅から歩くと、ジャンジャン横丁の喧騒が耳に飛び込んできた。串カツの香り、どて焼きの湯気、店先の呼び込みの声——ここには、昭和の大阪がそのまま息づいている。新世界は、1903年の第5回内国勧業博覧会の跡地に、初代通天閣と遊園地「ルナパーク」が建設されたことをきっかけに誕生した街だ。パリのエッフェル塔と凱旋門を模した通天閣、アメリカのコニーアイランドをモデルにしたルナパーク——その名の通り「新しい世界」を夢見た都市計画だった。

通天閣の足元には、ビリケンさんが鎮座していた。足の裏を撫でると願いが叶うという福の神。アメリカ生まれ大阪育ちのこの神様は、1908年にアメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツが夢で見た神様をモデルに制作したのが始まり。名前は当時の大統領ウィリアム・タフトの愛称「ビリー」に、小さいを意味する接尾語「-ken」を加えたもの。日本には1909年頃に渡来し、1912年に新世界のルナパークに登場した。その後、昭和54年に通天閣に復活し、現在の三代目ビリケンさんは2012年に新調されたものだ。

ビリケンさんの足の裏を撫でると願いが叶うと言われるのは、彼が手が短くて自分で足の裏を掻けないから。代わりに撫でてあげると喜んでくれて、願いを叶えてくれるというユーモラスな由来がある。通天閣の黄金の展望台に祀られたビリケンさんは、今も大阪の福の神として多くの人に愛されている。

通天閣は高さ108メートル。かつては大阪のランドマークだったが、今ではその役割をあべのハルカスに譲っている。それでも、通天閣の周囲には変わらぬ人の流れがあり、串カツ屋の暖簾が揺れ、将棋クラブの看板が残り、街の記憶がそこかしこに漂っていた。新世界は、ただの観光地ではない。そこには、庶民の暮らしと笑いと哀しみが折り重なった大阪の原風景がある。

大阪は商人のまち。街並みが変わることには慣れているのかもしれない。あべのハルカスのような近代建築が生まれても、通天閣のような昭和の記憶が残っていても、どちらも大阪なのだ。変化を受け入れながらも、根っこにある文化や気質は揺るがない。新世界の串カツ屋で隣に座ったおじさんが、「ここはな、変わってもええけど、笑いだけは変わったらあかん」と言った言葉が、妙に心に残った。

この旅を通して感じたのは、大阪という街の懐の深さだった。高層ビルの展望台から見下ろす都市の風景も、路地裏の串カツ屋で聞こえる笑い声も、どちらも大阪。そしてその両方が、時代を超えて人を惹きつける力を持っている。新世界は、まさにその象徴だった。変わりゆく街の中で、変わらないものを見つける——それが、大阪文化を探る旅の醍醐味なのかもしれない。

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