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願う未来に飛んでいく。「引き寄せ」のその先へ。

未来は、それを「引き寄せる」というより、そこへ向かって「飛んでいく」もの。
最近、ますますそんな氣がして仕方ありません。

もともと、わたしは未来に対して、「やってくるもの」というより、自分自身が「そこに移行するもの」という感覚を持っています。
つまり、わたしの進む先に未来が「現れる」のではなくて、未来は、既に複数そこに存在し、そのなかからひとつを選んで、わたし自身がそこに「移行していく」という感覚です。いわゆるパラレルワールド的世界観です。

未来や時間についての概念は、人類の共通認識であるかにみえて、実際は、人それぞれ想像以上に違うもの。
記事では、わたし自身の時間の感じ方について、そして、それが最近になって少し変化をしたことについて、お伝えしていきます。

イラストも交えながらの、「わたしのパラレルワールド論」的展開になりますが、当然ながら「こうである」と断じるものではなく、「こんなふうに捉えてみるのも楽しいですよ」という、わたしの視点をまとめたもの。
少しでもわかりやすくお伝えできるように、章立てして進めてまいりますね。



1.わたしの思う、パラレルワールド。

パラレルワールドとは、時間を「一筋の限定されたもの」と考えるのではなく、「無数の時間軸が同時に進行し、お互いに影響を与えあいながら存在している」とする世界の捉え方です。

パラレルワールドと一口でいっても、では具体的にそれがどう存在しているか……のイメージは千差万別。そもそも、わたしたち人間の使う言葉で説明できる範囲を超えた概念だと思っていますが、ここでは、わたし自身の感じ方をできるだけ丁寧に言語化し、イラストを添えてお伝えしていきます。

まずは、イラストAをご覧ください。

何本もの横線は、複数の時間軸。青い丸が「わたし」です。時間は、横線上を、左から右へと流れていると捉えてください。
基点の☆にいる「わたし」に何の力も加わらなければ、「わたし」は、同じ時間軸上を、そのまま真横に進んでいくことになります。

ただ実際には、時間軸同士の境は意外に曖昧で、「わたし」はちょっとしたはずみで、隣の時間軸、あるいは、その隣の時間軸などに移行します。
そうして揺れる波を描きながら、わたしたちは複数の時間軸上を、いったりきたりしながら進んでいる……と捉えるのが、わたしのパラレルワールド観です。
イラストBの状態ですね。

このときの「ちょっとしたはずみ」となるのが、「魂の軽さ・重さ」の変化です。
「魂の軽さ・重さ」というのが感覚的に捉えづらいようでしたら、「心の軽さ・重さ」と考えていただいてもよいかと思います。

たとえば、☆の時点でなにかトラブルがあったとします。
仕事でよい結果が出なかったとか、友人と喧嘩をしたとか、どんなことでもよいのですが、そのときに、それを悲観して落ち込むのか、起こったトラブルを学びとして楽観的に受けとめるのかで、氣持ちの重さは自ずとかわってきますよね。

その瞬間、その瞬間に、少しずつ変化する「氣持ちの重さ」。それにぴったりみあう時間軸への移行を、わたしたちは、一刻一刻繰り返しています。
その繰り返しが、「わたし」の人生の軌跡となっていくわけです。

その様子をイラストCに表してみました。

イラストでは便宜上、「周波数が高い(軽い)時間軸」を上方に、「周波数が低い(重たい)時間軸」を下方に示していますが、念のために申し上げると、高いほうが「よいパラレル」で、低いほうが「悪いパラレル」ということではありません。

周波数に高い、低いがあるのは、ピアノの音に高音、低音があるようなもの。そこには「よい、悪い」や「優れている、劣っている」という視点は存在せず、すべての時間軸が、他とは比べることのできない固有の価値を持っています。

ただ、わたしたち人間の感覚でいうと、高いパラレルのほうが快適に過ごしやすく、低いほうでは苦しみを味わいやすい……ということはいえると思います。
ですから、快適に、心穏やかに過ごしたいと願うのであれば、より「軽い」選択を心掛けるのがよさそうです。

このとき氣をつけたいのが、周波数の高い選択をしよう思うあまり、自分に無理をさせることです。
たとえば、本当は辛いと感じているのに、その氣持ちを押し殺して笑顔をつくるのは、一見ポジティブにみえて、心に大きな負担を強いる行為です。

「無理をする」ことには必ず、氣持ちの重さが伴います。
ですからこの場合、外からみえる笑顔とは裏腹に、氣持ちは重たくなってしまい、時間軸を下降することになります。

よい行いを望んだ結果、逆に重たい氣持ちにとらわれてしまう……というのは、往々にしてあることだと思います。
「よい・悪い」という判断基準をできるだけ手放し、ご自分にしか測れない「心の軽さ・重さ」に氣持ちを向けることが、より快適なパラレルに移行するためには大切なのだと思います。

2.パラレル移行の好循環。

さて、パラレルの仕組みがわかり、「そうか、軽くなればいいのか!」ということが腑に落ちさえすれば、より周波数の高いパラレルへと自分を移行させることは、それほど難しくありません。
たとえば「感謝をする」ことは、心を軽くするための、身近で、とても優れた方法です。

どんな状況であっても、どんなに大変なことがあったとしても、そこに感謝が生まれた瞬間、心は、半ば自動的に軽くなります。
たとえいっとき悲しみに心を塞がれたとしても、それが感謝に形をかえた瞬間、それまで重たかった氣持ちの分まで一氣に軽さへと転じる力を、感謝は持っているのです。

その力を知り、実際に感謝で心が軽くなる経験を繰り返すと、次第に自分への信頼が生まれていきます。自分はいつでもそうして心を軽くすることができるのだ……と、安心していられるようになるからです。
その信頼と安心が手に入ると、怖れ、心配、罪悪感といった重たい氣持ちが、自然と心から剥がれ落ちていきます。
そうして軽くなった心は、一段と幸せを感じやすくなり、そこからまた感謝が生まれ──パラレル移行の好循環が定着していきます。

一般に、この好循環の状態を、「引き寄せが起こっている状態」と呼ぶのだと思っています。

自分を中心に捉えれば、快適な時間軸の「引き寄せ」。
逆に、自分のほうが時間軸を「移行する魂」なのだと捉えれば、パラレルの上昇。

いずれにしても、この移行が好循環のサイクルに入ると、イラストDのように、「わたし」は流れる時間軸を、ぐんぐん、軽々、上昇していくことになります。
どんどん運がよくなっていく、という見方もできますね!

3.「引き寄せ」のその先へ。

この好循環が始まれば、短期間のうちに、「以前より、はっきり心が軽くなった」と自覚できるようになります。
本来、それで十分過ぎるほどなのです。一旦心が軽くなり、好循環が定着すれば、放っておいてもより高いパラレルへと、心は自動的に、加速度的に、移行していきますから。

ですから、自分はまだまだ氣持ちを軽くするのが苦手だなあ……と感じていらっしゃる方は、まずは感謝の習慣化など、ご自分を「軽く」できる方法を、探ってみてくださいね。

ここから書くことは、あくまでも、その好循環が定着したうえで……のお話になります。
心の軽さが伴わない状態で、ただ頭で「その先」に進もうとすると、かえって辛い氣持ちや混乱を招くかもしれません。
まずは、「いまここ」にいる自分を少しでも軽くする──それをなにより大切にされてください。

さて、その前提のうえで、それでも「その先」についてあえて記事にしようと思ったのは、最近、明らかに世界のあり方に変化が起こっていると……肌で感じているからです。

「風の時代」という言葉をご存知でしょうか。
少しでも占星術にご興味のある方には馴染みの深すぎる言葉でしょうし、そうでない方にとっても、どこかで耳にしたことがある言葉かもしれません。

これまで200年程続いた「地の時代」から「風の時代」へ──本格的に移行したのは、昨年暮れごろだったといわれています。
物質的な豊かさや安定が重視された「地の時代」から、より軽やかで自由な生き方が求められる「風の時代」へ。

四季によって、命のあり方が自ずと変化をするように、「地の時代」と「風の時代」では、わたしたちの常識がかわっていくのも自然なことかもしれません。

パラレル移行のあり方も、その流れに同調しているように思えます。
言い方をかえると、わたしたちが「何を学ぶステージなのか」が、様変わりしているように思えるのです。

それは、たとえるなら、青虫としての学びから、蝶の学びへと、意識をかえるようなもの。
イラストEで、そのイメージを共有させてください。

青虫で示したのは、従来通りの、「心の軽さにみあった、自然で自動的なパラレルの移行」です。
「好循環」に入り、ぐんぐん軽くなっていく青虫くん。あっというまに高いところまで上昇していきます。

対して蝶のほうは、「風の時代のパラレル移行」とでも呼んだらよいでしょうか。
自動的な上昇に加えて、ときおり、「ふわっ」と風を受け、いくつもの時間軸をまたいで「飛んでいく」方法です。
この「ふわっ」の原動力となるのが、そこまで飛ぼうとする蝶自身の「願い」です。

「願い」というベクトルとエネルギーを持つことで、蝶は何本もの時間軸をいちどに飛び越えて移行することができるようになります。青虫に比べても格段の速さです。

この蝶のようにパラレルを移行する方法を学ぶこと。
それが「風の時代」に、わたしたちに提示されている学びなのではないか──どうも最近、そんなふうに思えてならないのです。

実は、「願いを叶えよう」と思うことを、わたしはこれまでほとんどなく過ごしてきました。
素直な実感として、あえて何かを願うより、ただ起こる出来事に身を委ねていた方が、自分の望む未来に、早く、確実に到達する氣がしていたからです。
つまり、願いを叶えようとするほど、パラレル上昇のスピードが、むしろ落ちるような氣がしていたのです。

それがなぜなのか。
その理由は、やはり心の軽さ・重さにあったのだと、今回あらためて、パラレルの世界観を言語化するなかで感じました。

重要な願いであるほど、その願いとともに、「どうしてもこうなってほしい!」という執着や、「もしも、そうならなかったらどうしよう」という不安が芽生えやすくなりますが……執着も不安も重たい氣持ち。ですから、それがわずかでも芽生えた時点で、「わたし」は下方の時間軸へ、自動的に移行することになります。
願いを叶えたいと思うたびに、イラストFのような下降が起こっていた、と考えられるわけです。

だとすれば、「蝶のように時間軸を移行する」ために必要なのは、重たい氣持ちを一切持たずに願うこと。
「どうしてもこうなってほしい」という執着や、「こうならなかったらどうしよう」という不安を、完全に手放して願うことです。

それは一見、矛盾をはらんでいるようにみえるかもしれません。
「こうなってほしい」という執着自体が、願いを叶えたい氣持ちだともいえるわけですから、それを持たないまま「願う」ことって、そもそもできるのかしら……という疑問すら湧きあがります。
でも、先入観を手放して自分自身を観察すれば──わたしたちは既に、執着とは全く関わることのない「願い方」を知っています。

たとえば、コーヒーを飲みたいと願ったら、コーヒーを飲む。
散歩にいきたいと願ったら、散歩にいく。
その「願い」に、執着や不安が生まれることは、おそらくほとんどありません。

人生を左右するかにみえる重大な願いも、コーヒーを欲するときと同じようにシンプルに願えれば……パラレルの下降は起こりません。

純粋な「願い」の持つ波動は、本来、大変軽いものです。
軽いものは軽いままの状態でこそ、真価を発揮します。
軽い「願い」に、様々な「重たい思い」を纏わせてしまうのは、蝶に重りを持たせることに似ています。
本当は空高く飛びたてるはずの蝶に重たいものを持たせては、舞いあがることはおろか、青虫のように歩むことさえできなくなります。

だから、「風の時代」には、心して、軽くなることが求められるのだと思います。

蝶になったのなら、重たいものを持たない。
「願う」。けれど執着しない。

それが、わたしたちの新たな「役目」であり、必要な決意であるのかもしれないと思うのです。

4.「演じ手」から「書き手」へ。わたしたちの「進化」。

最後に、ここまで書いてきたことを、別の視点から語らせてください。
この章の見出しにもした、「演じ手」から「書き手」へ……という、わたしたちのあり方の変化についてです。

わたしたちの多くは、おそらくこれまでずっと、自分の人生の「演じ手」の役割を担ってきたのだと思っています。つまり、俳優さんの立場ですね。
与えられた人生を、どう演じるか。どう、よりよく生きるか。
それは、わたしたちが、自分という物語を実現していくうえで、とても重要な視点でした。

でも、「時代」が移り、わたしたち自身が蝶になり、少し高いところから自分の人生を俯瞰できるようになったとしたら──。
わたしたちはたぶん、「演じ手」から「書き手」へと、変容していかれるのです。

それは、三次元に生きるわたしたちが、二次元創作を自在に書き換えられるのとよく似ています。
画用紙の隅と隅に描かれた点同士を、紙を折る、という行為によって、一瞬にして重ねることができるのとよく似ています。

自分の人生を俯瞰して上から眺めることができるようになったとき、わたしたちはたぶん、「次のステージ」へと進んでいかれるのです。
二次元世界を創作する立場から、三次元世界をも創作することのできる立場へ。「進化」を遂げることができるのだと思います。

「願う」という視点からみても、「書き手」であれば、そこに不安や執着が伴わないのは自然なことですよね。
願ったとおりのシナリオを、ただ書き進めていけばよいわけですから。

「願う」ことが、「創造すること」に限りなく近づいていく。
それが「風の時代」到来の意味ではないかと──わたしはそんなふうに感じています。

そのこと価値を、みなさんと分かちあえるなら、本当に幸せです。




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