女性性がひらく場所──神の島・久高島で触れた、深い愛と祈りと光
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感性の光で世界をそっと照らし
魂が自由にひらく旅へと寄り添う
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こんにちは、haRu*☽です。
火曜日に、3泊4日の沖縄旅から戻ってきました。
行きの飛行機の中で書いた「旅の動機」に触れた記事はこちら↓
まずは、無事に行って帰ってこられたことに感謝を。
風邪も流行っていた中で、健康な状態のまま旅ができたこと、
そして怪我もなく戻ってこられたこと・・・
そのすべてがありがたくて、感謝の氣持ちに包まれます。
今回の旅のいちばんの目的──
それは、神の島・久高島を訪れることでした。
いつもは恩納村や名護市など、北部に滞在することが多いのですが、今回は初めて南城市のホテルへ。
旅に出る前に見ていた天気予報は“4日間晴れ”だったのに、出発が近づくにつれて曇りマークが増え、ついには久高島へ渡る日に雨マークまで出てきて・・
久高島へはフェリーで向かうため、雨や強風が重なると運行が止まってしまいます。
しかも「呼ばれないと入れない島」という言い伝えがあるので、天気が揺らぐたびに「わたしは呼ばれていないのかな・・」そんな不安がふと胸をよぎりました。。
久高島へ行く前日、友人たちとの間で少し面白いやり取りがありました。
みんなで数時間おきに天気予報をチェックしていたときのこと。
一人の友人が「明日、午前中から雨だね」と言ったのです。
でも、わたしの見ていた予報は“夕方から雨”。
どう見ても午前中は晴れ寄りの曇り。
( 意識によって、目の前に現れる天気予報の画面すらも変化するのでしょうか・・?)
さらに彼女が
「これじゃ久高島は無理かな〜。雨だったらどうする?」
と、まるで雨が確定したかのように話し出して・・
内心「まだ決まってもいない“雨”を断言しないで・・!」と思いつつも、「雨が降ったら、その時考えよう。晴れるほうをイメージしようよ🤍」と伝えました。
すると、その友人が「え〜? 天気は変えられないでしょう?」と。
わたしと、もう一人の友人は、思わず同時に「変えられるよ!」と声を重ねてしまいました。笑
天気がどうなるかは、もう宇宙にお任せするしかない。
でも、わたしは「久高島に行っている自分」の世界だけを、静かにイメージしていたかったのです。
フェリーが出なかったなら、そのとき受け入れる。
でも、まだ起きてもいない未来に負ける必要はない。
そんな氣持ちでした。
結果──
久高島へ行く日の朝、フェリーの公式サイトには「通常通り運行します」の文字🤍
あの瞬間は、本当に嬉しかった。
雨を心配していた友人も「えっ、行けるんだね。本当にこういうことってあるんだね・・」と、驚きながら喜んでいました。
曇り空の下、朝一番のフェリーで久高島へ──

久高島へ──
フェリーから見えた島影は、なぜだかとても優しく、あたたかく感じられました。


細長い島なんですね
島に到着してすぐ、雲の隙間から光が差し込んできて──
“歓迎されている”・・・そんな感覚に、感謝の想いで満ちてゆきました。

今回は初めてだったので、3時間のツアーを申し込みました。
ガイドさんと一緒に島の聖地を巡ることに。
島に入ったら、まず最初にご挨拶する場所で祈りを捧げます。
ここを素通りして見学する人も多いそうですが、この順序を大切にしてくださるガイドさんで本当に良かった。
豊穣を祈る場では、桑の実がちょうど熟していて「どうぞ食べてみてくださいね」と。
完全無農薬の桑の実を手で摘んでいただく時間は、なんだか、自然と一体になる祝福のようでした。

巡った聖地の中でも、わたしの心がいちばん震えたのは「フボー御嶽」。

久高島の中央西側にあり、琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつです。昔から霊威(セジ)高い御嶽として、琉球王府からも大切にされてきました。
奥にある円形広場はイザイホーやフバワク行事などの祭祀場となっており、人々にとって最高の聖域です。何人たりとも、出入りを禁じます。
入り口からすでに聖域なのですが、奥に3〜4mくらいでしょうか、手前のわずかなスペースだけ観光で訪れた人も入ることが許されています。

境目を感じるあたりに
「立ち入り禁止」の札があります
その“境界”へ足を踏み入れた瞬間でした。
ふわりと、何かに包まれたような感覚。
そしてぶわっと溢れてくる涙。
ただただ圧倒的な愛に触れて、涙がとめどなく溢れ出してくるのです。
言葉にならないほどの、深い感謝だけが胸を満たしてゆく──
手を静かに合わせ、ありがとうございます、と、ひたすら感謝の想いしか出てこなかった。
そんな体験は、生まれて初めてでした。

入ることができます
こんな時に溢れてくる涙って、なんなのだろう?
悲しみの涙とは、きっと全く違うエネルギーを纏う涙なのだろうと思う。。
偉大な愛に触れると、もしかしたら誰もがこんな涙を流すのかもしれません。
至福とは、きっとこういう感覚なのだ、と感じました。
できることなら、ずっとここにいたい。
ここで、この感覚と繋がり続けたい──。。
そう願いながら、「どこへいても、この感覚とつながり続けよう」と、静かに誓いました。
島の北部では、大きなガジュマルの木にも会いに行きました。
手を差し出すと、ふわっと指先がビリビリして、植物の精霊たちがそこに息づいているのを感じました。

自然と出てくる場所でした
最後に訪れたのは「ハビャーン」。
琉球の創世神・アマミキヨが降臨したとされる聖なる場所。
深呼吸を重ねながら、しばらく祈りの時間を過ごしました。

「ハビャーン(カベール岬)」
今回、久高島のことを書くにあたり、どうしても使いたくないと思った言葉があります。
それは「パワースポット」。
そんな言葉では、あまりにも軽い。
この島全体が放っている神聖さを表現しきれないと感じたからです。
歩けば猫たちが寄ってきて、
何度も蝶が目の前を横切り、
木々も葉も風も光も・・・
周りのすべてがそっとメッセージを運んできてくれている──そんなふうに感じた島でした。

猫ちゃんが歩いていて♡
わたしたちの目の前に現れるものは、すべてがメッセージなのですよね。
ただ、葉っぱが揺れている、と見るのか・・
葉っぱが何かを語りかけている、と感じるのか・・
感じる心が開いていないと、ただの“自然豊かな島”という印象で終わってしまうかもしれない。
でも本当は──
島そのものが、深い祈りのフィールドなのだと思います。
久高島には、男子禁制の御嶽も多く、神とつながる役割は女性が担ってきた歴史があります。
島を巡ったあと、強く感じたのは、“女性性という性の美しさ”。
感じること、受け取ること、祈ること、ゆるむこと。
そのすべてが本来、とても尊い営みなのだと。
「これからは女性性の時代」という言葉をよく見かけるけれど、きっと本当は、ずっと昔から女性性は世界を支え続けてきたのだと思います。
そして今ようやく、誰もがその感性を思い出し始めている。
そんなことを久高島で感じました。
そうそう。。
心配していたお天気も、ツアーの間は一度も雨に当たらず、最後のハビャーンを見終えて車に戻った瞬間にぽつぽつと雨が降り始めて・・・
ツアーの間、ずっと雨を降らせず、見守ってくれていた全ての存在に感謝しました。
ね🤍
こういうことって、やっぱりあるのですよね。
まだ言葉になりきらない感覚もたくさんあるけれど、まずは書けるところまでを記録として残しました。
しばらくは、あの日の余韻の中で過ごしていたい・・・。
神の島・久高島──
もしあなたも「呼ばれている」と感じたら、ぜひ訪れてみてくださいね。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
haRu*☽
🤍響きのエッセイスト | haRu*☽
感性をひらき、音で癒し、言葉で還る──
“わたしらしく生きる”旅に寄り添うnote発信者
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