見出し画像

うたごころについて

ひさびさに、うたごころについてを語ってみたい。

このごろ有り難いことに「ボイトレ」を目的としたレッスン希望が増えていて、
わたしもその気持ちに応えたいという思いでレッスンに臨むことが多くなっていった。

でも、わたしがレッスンでお渡ししたいものは何だったのか。
原点に立ち返りたい、と強く思った。

今の時代、何かを学びたいと思ったら直ぐにYouTubeからでも十分に学ぶことができる。

でも、わたしだからこそお渡しできるものがある。

それなのに、普遍的な需要に応えられるように自分をノーマライズして表現することに足をすくわれかけていたように思う。

しかも! 
その普遍的な需要っていうものが、ほんとうに一人一人から得た意見ではなくて、

どこかで勝手に自分が
「きっと、あなたはこういうものを求めてるんだよね」
なんて思い込んでしまっているフシも
少なからずあるのではないかと思ったりもして。

科学的な観点というものの素晴らしさは、
各人の知識や背景に依存せずにフラットになれるということ。

だが、しかし。

それを体感や感覚に落とし込むということが、肝心要の真髄。

いや、落とし込むというか「あ、この感じ…知ってる!」とリンクさせる作業かもしれない。

それなのに、言語で得た知識感覚を頼りにして、知識感覚に収まったままで歌おうとするというアンバランスさが、自らを混乱に陥れていく。


うたごころに目覚めるとき

うたごころに目覚めるときというのは、まったく新しい感覚のようでいて実はその真逆。

自分が一人の人間として生きていくにあたり、動物的な感覚を丸出しにして、
あるがままでは許されないという瞬間が早い時期に訪れます。誰もが。

社会的営みというものの大きな輪に自分も入り、生きていくということはそういうことでもあるから。

そうやって賢くなっていくにつれて、身体と心や、自分の内側と外側とが分離していく。

そうでない場合もあるけれど、自分があるがままでいたら失敗をした…という体験を経ると、
次同じようなことが起きそうになると「失敗した時に感じた痛み」を感じないよう防衛反応的なものが起こる。

そう、感じないようになる。

感じないようになることで、守れる自分が生まれる。本来の自分との分離。

話を戻していくと…
はじめは「分離」という感覚は持たずに生きていたはず。

それでも、細かく言えば、母の胎から生まれ出てきた瞬間から分離が始まっている。

むむ、いや、

細胞としてピョコンと誕生してから、細胞分裂して分裂して分裂して分裂して………と

どんどん、ひとつからふたつへ…と成長していくんだよね。

そうやって分離していくことこそが物質的成長、この世的な成長。

でも、その「分離」を経ていきながら「既にひとつだった」と思い出せることこそが、魂の成長なんだと思う。

いや、成長っていうか、いつでも元に戻ることができると知ることが尊いということ。
成長も何も、元に戻ることがゴール的なね。

物質的成長をしながら霊的に生きるというバランス。

これこそが人が、物質的に喪失を得た時にも「何も失うものがない」という境地に在れるのだろう。

ああ!なんて面白い世界を造ったの!!
光は闇の暗さゆえ眩い。

「在る」が在るだけで「無い」は無い。



ないものを「ある」と信じてしまう時に、人は苦しみに落ちる。

つまり、苦しみにある時は自分はないものを「在る」と信じているということ。

つまり、嘘。幻想。

わたしたちはこの世界において幻想ゲームを生きている。それも巧妙な。

無いように見えて「在る」もの
在るように見えて「無い」もの

一緒くたになっているその中で、自分が「これだ」と選び取ったものを信じて生きる、というゲーム。

自分にはうたごころがない、声が良くない、
「ない」と信じているゲームもあります。

間違いや自らの不快感を払拭しようとして行う歌唱練習ゲームというものも、学びはたくさんある。

けれど、最初からなってしまえばいい。
自分はこうありたいんだ、という歌を歌ってしまえばいい。

でも、そんなことを伝えると、そんなこと言われても…、困らせてしまうのが関の山。

自分がこうありたいという歌を表現したとしても、それを一番よく聞いている自分の価値判断に適わないと、たちまち不快になってしまう。

不快感。
ここが、一番の堪えどころ。

歌っている時は一切のジャッジを捨てる。
反省もしない。分析も要らない。

分離感のない、すべてのすべて。
その只中に在ろうとするとジャッジは生まれない。

在る、だけが在る。
その領域には不足や欠乏はない。

歌いながら、自分の欠点に痛みを感じているのなら、その領域は分離の存在する場所ということになる。

どの領域に流れる歌をあなたが表現するのか。

「ただ、歌う」ということ



不快感は自分の理想と自分の現状との乖離が大きければ大きいほどに生まれるサイン。

と、いうことは…
自分の理想と現状を一致させてしまえばいい。

いや、だから上手く歌えない現状が不快なんだよぉー!という声もあると思うけれど、
不快の矛先を「自分の声」に向けるのではなくて「現状」に向けていくのはアリです。

おかしいなぁー!
わたしのイメージでは最高なのに!って。

なのに、わたしの歌声はダメだ!下手だ!
と、不快の矛先を自分に向けていくのは違うと思うんです。

歌、音と一致したい、調和したい、という欲望だけでいいと思うんです。

確かに、初めはうたごころのままに自分が動かされていなければ、音も外れるし上手くもいかないと思うけれど、ジャッジはゆるめてほしい。

自分の歌声を聴いて正誤の判断しているのは、もう過去にとらわれているということ。

歌い終わった後の反省ならばまだいいけれど、歌いながらジャッジすることが自動的にされている人が多い。


音は、今。
今この瞬間にしかない。

その瞬間、音との一致、調和を捨ててジャッジに勤しむだなんて、もう歌の中にあなたは不在になってしまう。

あなたが不在の歌を、あなたが歌っている、という世にも不気味な現象。
それはあなたの歌じゃない。


でも好き勝手気ままに歌ったら、
音は外れるし声はひっくり返るし、どうにも不快になるかもしれない。

それでも、歌ってほしい。

そうやって歌おうとしても、間違えそうになったらビリっと電気が走るように緊張が起こったりする。

怖い!と感じると人は、肚の感覚が弱まる。
腑抜けになる。
ビクッとして肩がすくみだす。

いくら頭で理解しようとしても、まだ身体の感覚として「歌と調和する安心」の中に居られない。

歌いながら聞こえてくる声の欠点ばかりに気を取られたり、どうにも不快でならないとしても、そこに思考を働かせるのではなくて、もっと歌に夢中になって己を没入させていく。

もしくは、不快でもなく思考が先導してしまっている身体で「感じなくなっている」といううたごころが開いていくように、
そこを、わたしがサポートしたい。

「なんかわかんないけどできた」ってやつ


なんの気なしに、道路にヒューっと引いてある
白線の上を歩いていて、まーっすぐ歩けているということってありますよね。

でも、絶対にはみ出さないぞ!って一歩一歩を用心しだした途端にユラユラと身体が覚束なくなったという経験ありませんか?

この後者の感覚で、声を出す作業というものは、うたごころが出てきません。

前者の感覚でうたうこと。しかも、その感覚で歌うことを続けていると、白線からはみ出たくなくなるんです。

はみ出ちゃいけない、ではなくて。

歌と調和し続けていたいという領域に身を置き続けるから、音は外れなくなる。

そういった感覚で歌う時間をどれだけ取ってきましたか?ということなんです。

その感覚で在り続けることこそが、うたごころの邪魔をしないということ。

ほんとうは誰もが持つうたごころを、人間の賢さによってフタをしてしまっているんです。

だから、うたごころで歌うということは、自分の努力でうたごころを出すというよりも、
自分を自由自在に動かしてくれるうたごころの邪魔をしないという言い方になります。

探そうとするのもやめて、もう「ある」うたごころを信じるということを丁寧にやっていく。
ただ、それだけです。

結局わたしが大切にしているのは「信じる世界」のお話になっちゃうから、
ボイトレという枠からはみ出てしまうわけです。

世間的に求められている需要に合わせに行くんじゃなくて、
自分独自の伝えたいものを伝えたい、と新たに帯を締め直すような心境です。

そして、その想いを受け取りたい人がいてくれるということも、また信じて突き進みたい。

選ばれし者だけが持つのではなくて、ひとりひとりが必ず、必ず、持って生まれてきた「うたごころ」の花を咲かせてほしい。

その水やりやひなたぼっこをご一緒させていただきたい。

やがては共に大輪の花を咲かせて。
そんな風に生きたいんです。

自分にはない。
うたごころなんかない。
自分には水もやらず、おひさまにも当てず、種が植わっていることも知らずコンクリートを敷き詰めて、自分のデザインしたビルを建てる…それもいい。

でも、もう既に植わっているうたごころの種を信じて、水をやりたい。

種だけを見ても、まさか素晴らしい花びらを広げる植物になるとは信じ難い。

でも、あんな粒っとした種が土に植えられて、お水をもらい、太陽を浴びて芽を吹いて、葉を広げ、そして花になる。

うたごころもそうです。
あなたが、歌が好きと感じるのならばそれはもううたごころがあるからこその反応なわけで。

そこは、無邪気に信じてしまっていいんです。
うたごころはある、と。

いいなと思ったら応援しよう!