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アラフィフが無職収入ゼロから正社員復活するまでにやったアレコレ②

「子供産んだら10年は社会に出られないよ」
衝撃的な一言でした。
妊婦の時に同僚から言われてから、
10年後どうありたいか」そのために今やれることは何か。
不安でつい考える癖がついてしまいました。
子育てと転勤を繰り返す中、
社会とのかかわりから離れているという焦り、
育休中というママ友の話を聞くと羨ましくて仕方ありませんでした。
戻れる場所があるってことに。

とはいえ社会復帰(私の中では復職を意味しています)までに、
何をしたらいいのか具体的に考えて計画を立ててはいませんでした。
努力の才能なし、地道にコツコツがもっとも苦手、
たなぼたを待つナマケモノなもんで。

パッケージデザインなどやっていた兄が、
「じゃちょっと下請けバイトでもやる?」
とillustratorとPhotoshopの使い方を教えてくれました。
いや、これが全然だめで、、
いい感じのなんかそれっぽい幼稚園のバザーお知らせなんかは作れても、
プロの仕事はレベルが違いました。
その下請けさえも到底できず、すっぱり切られました。
そういうわけで、あんな緻密な作業はできないけど、
まあ日記や落書き日記だけはずっと続けていたので、
子育てブログを始めました。
これが15年くらい続きました。
とりあえずキーボードに触るといことは続けることができました。

そして、裁縫が趣味だったこともあって、
友人から布製の生理用ナプキンの作成を持ち掛けられました。
看護師の友達から「あなたの好きな感性で作って」と言ってもらえて、
作ってみることにしました。
見事にへたっぴで商品価値なしの自分の作品を見て、
安易に引き受けた自分を呪いました。
兄のデザインの下請けをやろうとした時と同じです。
それでも今出来るモノで大丈夫と言ってもらえたので作ることにしました。
ひたすらひたすらカーブを縫う練習をして、なんとか商品になるようにと。
自己流で子供服を適当に縫うのとは全く違う「おしごと」としての裁縫。
これは結構しんどかったです。
出来ない自分の不器用さ、要領の悪さに直面しながら作り続けました。
当時お客様は自然派の方がほとんどでしたので、売ってあるものがあっても草木染など軟らかくからだにやさしい色や柄ばかりでした。
私にはそれが正直、作っていても見てもテンションが上がらなかったので、
肌に直接当たるほうは無漂白のネル生地だけど、
反対側はイギリスやアメリカなど海外の布を使いました。
原価率としてはダメダメで圧迫していますが、
可愛くなければ下着じゃない!
(布ナプキンは使い捨てじゃないので下着ですよね)
と、気に入った布を使うようになってからかなり吹っ切れました。
手に取ってくださって始めて「布ナプキン」という存在を知り、
選択肢の一つになる。
「作ってみて」と言われるまで自分もその存在も良さも知らなかったし、
関心もありませんでした。
布ナプキンに興味もなく、存在も知らなかった方が、
「このカラフルな布は何かな?」って、
イベントや百貨店のポップアップなどで手に取ってくれて、
それがその方にとって良い出会いとなった時、
そんな瞬間が嬉しくて原動力でした。
お客様の嬉しいは自分の嬉しいなんだと気づきました。
今ではかなり市民権を得て、
かわいい布ナプキン達がお店に並んでいて気軽に買えますよね。
布ナプキンを通してセルフケアの大切さを説いていた友人がこのおしごとを投げてくれて人生が大きく変わりました。

「生理」に悩んでいた女性たちの話をたくさん聴く機会がありました。
生理だけじゃない「人生」の悩みをたくさん聴いているうちに、
私のやりたいことの方向が少しずつ見えてきました。

そもそも職人気質ではないため、
布製品を作り続けることも在庫があることもストレス。
会社にして大量生産することは考えていない。

在庫を抱えないしごとがしたい。

そう考えるようになりました。

そして靴を履いて仕事したい、とも。

全然興味も関心もないけど、
ま、ちょっとやってみるか精神
これ結構面白い方向に進んできます。
皆さんもお試しください。

私はその後、靴を履いて物理的在庫を抱えない仕事に就く事になります。

もちょっと先ですけどね。






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