<エッセイ>文字を調理できなくなった
タイトルの通り文字を、というより文章を上手く調理
できなくなってしまった。
わかりやすく表現するなら「スランプ」という単語が近いのかもしれない。
「今は書いているじゃないか」と思われるかもしれないが、これはどちらかというと目的もなく果物の皮を剥き、比較的均等になるよう切り分けている作業に近い。
淡々と、目の前にある果物を切ることだけに集中している、特別な調理は考えない。
ここ数年、ままならない体調と共存するため、
服用する薬や生活リズムをあれこれ続けたり変えたりして
生活している。その影響で思考はクリアなのに
体調はしんどさを訴える、という矛盾した状態が続いたりともどかしい日々が続いている。
その為、自分が「精神的」に生きるための食事である創作や文章を書くことが難しくなった。食事に面倒ささを感じているのは疲れているときの「肉体的」な日常生活と同じであることに、なんだか笑ってしまう。
病名のつかない不健康未満の状態が続くのはなかなかしんどい。想像しやすいのは、食べたい気持ちがあるのに胃が受け付けない、という感覚だろうか。
無理をして食べても気分が悪くなり、
食べなければそれはそれで活気がなく、ぼんやりとする。
痛む体をやり過ごすために仕事と日常を送り、眠りにつく。
これだけでやっとな状態。けれど、私の中にある「作りたい、味わいたい」という本能は生きていて。
数日前、その本能が脳へ溜め込んでいた考えを
紙に書き出して簡潔な文章にしてみた。
個人的に、面白いアイデアや題材がでできた。
だけど、手はそこから先に動かない。
目の前に質のいい材料が揃い、
作りたい料理のレシピやアレンジも浮かぶ。
なのに、調理人である私が包丁を持てない。
調理をするその先のイメージができないから。
今までなぜ調理していたのか、根本的なところで疑問を抱いてしまい自己嫌悪すら感じる。
私が作らなくても、他に上手い料理はたくさんある。
自惚れてるのか?自分のためならなぜ公開する?
刃物を持った人間の側にいてはいけない言葉達がぐるぐる
私の耳元で囁く。
せっかくのよい材料を、そしてなにより「調理する」という
行動を無下にしたくない。
言葉達を払い除けることはせず、私は包丁を置いて
一休みすることを選んだ。
そして今日、休日にもかかわらず早朝に目が覚めてしまい
一日の達成感がほしくて、文章を書いてみた。
…どうだろう、皿には読み手が食べられるサイズの
果物を盛ってみたが、伝わっただろうか。
果物の味はわからないけれど、ちょっとした甘味と
日常に色を添えられるアイテムになっていれば幸いだ。
