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遠い「山河」を想い、今の自分を問い直す

ふとした瞬間に流れてきた、小椋佳さんの『山河』。 その朗々とした調べの中に、気づけば深く、静かに引き込まれている自分がいました。

ふるさとを離れて、月日が流れました。 かつて見上げた高い空や、季節ごとに色を変えた山や川の記憶は、今ではセピア色の写真のように心の奥に仕舞われています。都会の喧騒の中で忙しく過ごしているうちに、自分がどこの誰であったかさえ、忘れそうになる時があります。

けれど、この歌を聴くと、心の底に眠っていた「原風景」が鮮やかに蘇ってきます。


愛する人の目に、私の人生はどう映っているか

特に、私の胸を締め付け、思わず涙がこぼれそうになる一節があります。

「愛する人の瞳に 俺の山河は美しいかと」

小椋 佳「山河」

この「山河」とは、単に生まれ育った故郷の景色だけを指すのではないのでしょう。 それは、これまで自分が歩んできた道、積み重ねてきた経験、そして今、自分が形作っている「人生そのものの風景」なのだと感じます。

人生という長い旅の途上で、私は誰かを傷つけなかっただろうか。 真っ直ぐに、誇りを持って歩んでこれたか。 そして、今隣にいてくれる大切な人の目に、私の生き方は美しく、温かく映っているだろうか。

そんな問いが、静かに心の中に波紋を広げていきます。


「いつか」ではなく、今この瞬間の美しさを

私たちは誰もが、自分だけの「山河」を心の中に抱えて生きています。 故郷から遠く離れていても、あるいは形ある故郷が失われていたとしても、私たちが精一杯生きた軌跡は、必ず一つの風景となっていくはずです。

「美しい山河でありたい」

それは、立派な功績を遺すことではなく、大切な人に対して誠実であり、日々の小さな営みを丁寧に慈しむこと。そんな積み重ねの先にしかないものなのかもしれません。

歌が終わった後、窓の外に広がる夕暮れの空を眺めながら、心の中でそっと呟きました。 「今の私を、美しく見せてくれてありがとう」と。

ふるさとを想う切なさと、今の暮らしへの感謝。 その両方を抱きしめながら、また明日から、私なりの「山河」をゆっくりと描いていこうと思います。

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