朝鈴と、母になった夏
今日の明け方、あきが吐き戻しをした。
吐き戻しは授乳期間あるある。
今日はよく飲むなあ、と思っているとたいてい吐き戻しをする。
4時を過ぎたころ、汚れてしまったパジャマを洗い終わり寝室の窓から空を眺める。
オリオン座の近くに下弦の月が輝いていた。
少し空を眺めたくなったので、蚊取り線香を焚いて外へ出る。
夜明け前の星空が広がっていた。
その静けさの中で、今年もあの鳴き声が聞こえてきた。
「キリリリリ…」
やがて蝉の声へとバトンタッチし、5時をすぎると聞こえなくなる。
私にとって、この鳴き声は夏の朝そのものだ。
でも、不思議なことに、この声を聞くようになったのは母になってからだった。
母になる前は、夜明け前に起きていることなんてほとんどなかった。
しのを妊娠した夏は臨月で、明け方によく目が覚めていた。
翌年は、授乳のために起きていた。
ふうを妊娠した夏も臨月。
翌年はまた授乳。
その翌年は、あきがお腹にいて、産休前。
仕事へ行く準備で朝から慌ただしい毎日だった。
そして今年は、あきの授乳で迎える夏。
気づけば何年も続けて、この時間の朝を過ごしていた。
だから私は、毎年この鳴き声を聞いていた。
名前も知らないまま。
「なんていう生き物なんだろう。」
そう思いながらも、その時間に起きているのは家族の中で私だけ。
誰かに聞くこともなく、また一年が過ぎていった。
今日、その鳴き声が気になってChatGPTに聞いてみた。
「キリリリリ…って鳴く虫なんだけど。」
「ラ♯くらいかな。」
いや、待って。
「ミ♭かもしれない。」
音楽をやっていた頃の癖なのか、気づけば音程で説明していた。
「最後は、リ・リ・リリって終わる感じ。」
そんな曖昧な説明を一緒にたどりながら、たどり着いた名前が、
草雲雀(クサヒバリ)だった。
そして、朝によく鳴くことから「朝鈴(あさすず)」という美しい別名があることも知った。
名前を知った瞬間、何度も迎えてきた「母になった夏」が、一つの記憶になった。
あの頃は、眠れない明け方だと思っていた。
授乳で眠い朝だと思っていた。
仕事へ向かう慌ただしい朝だと思っていた。
でも振り返ってみると、そのすべての朝には、朝鈴が鳴いていた。
今年初めて、その声に名前がついた。
これから毎年この声を聞くたびに、母になってきた夏を思い出すのだろう。
私にとって朝鈴は、季節を知らせる虫ではない。
人生の大切な時間を、そっと鳴らし続けてくれていた、小さな鈴の音だ。
