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日々の気づき0008・ピラティスとマインドフルネス再び

ピラティスにとってマインドフルネスは、身体の使い方を「自動運転」から意識的な操作へと切り替えることだという。身体の使い方の癖を正確に観察し、修正するための土台になり、身体感覚への丁寧な気づきを通して、動作そのものを洗練させるための核心的な要素だという。

一般的な意味でのマインドフルネスは、日常生活の中で「今この瞬間に注意を向け、そのまま受け入れる心のあり方」だと、とりあえず言ことができるだろう。食事・歩行・会話などの何気ない行為に意識を戻すことで、心の中で繰り返される散漫な思考、雑念を減らす。そうすることで、感情の「自動反応」を減らし、その場で起こっていることや自分の反応を冷静に受け止めることができるようになる。その結果ストレスも大幅に減るだろう。

初期仏教の流れを汲むヴィパッサナー瞑想でもマインドフルネス(サティ)は、最終的には悟りや解脱を目指す修行の大切な要素だ。瞑想修行の中では厳密なサティが求められるが、日常生活の中でもサティを出来るだけ続けるのが望ましいとされる。私はかつてヴィパッサナー瞑想に真剣に取り組んでいた時期があり、日常生活でのサティにも熱心だったが、その後怠けていた時期が長かった。

ところが四か月ほど前に自宅の階段を踏み外し、右足の甲を骨折した。今はだいぶ良くなったが、ケガの影響からか最近平らな道でも躓くことが多くなった。それで躓きを防ぐためにも歩行時に足の動きにサティを続けようと決心した。必要に迫られての決心だったが、これによって私の、日常生活でのサティへの情熱が復活した。

実際に右、左の足の動きに注意を集中しながら歩いていると躓きの回数はずっと減った。一度だけ軽く躓いたが、その時は別のことを考えていてサティが途切れていた。結果として歩行時のサティは、私に様々な恩恵をもたらしてくれた。今では足のケガに感謝したいくらいの気持ちだ。

恩恵の一つは、すでに述べたように歩行時のマインドフルネス(サティ)が復活し、サティを長く続けられるようになったことだ。もちろん足の動きだけに集中し過ぎずに、車や人の動きにも絶えず注意を向けなければならないが、それへのサティも含めてサティが徹底するようになった。もちろん様々な思考が湧く時もあるが、それらにもサティが行き届きやすくなった。さらに室内でも歩行にサティをするので、日常生活全般で様々な動作や思考にもサティが行きやすくなった。

恩恵の二つ目は、ピラティスへの関心の深まりだ。歩行時にピラティス的な意味でのマインドフルネスも意識するようになった。歩行はその人の身体の使い方全体を映し出すとされ、意識を向けることで姿勢や体幹の使い方を整えられる。足の動きでも、注意を向ける対象を明確にし、動作の質を高められるという。例えば「足裏全体で床を感じる」「指先まで力を伝える」といったポイントへの集中は、歩行の質を大きく向上させる。さらに、足の動きに注意を向けることで、それを中心としながら体の他の部位にも注意が行きやすくなった。頭は空へ伸びる、 首を長く、 肩を下げる、股関節から脚を動かす、歩行と呼吸のリズムを合わせるなど、時々チェックすることで、歩行の質を「身体と心の統合的な表現」へと高まるきっかけになる。

もし私が4月に足を骨折していなかったら、最初に述べたような二重、三重の(日常的、ヴィッパサナー的、ピラティス的な)意味でマインドフルネスに関心を深めることはなかったかもしれない。


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