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絵の、あれを想像させる力について【美術館の感想と詩】

そう、名古屋は何も無い。有るのは公共性及び権威性、彼らのファミリーと、その日常。平成を彩る銅色のスモークガラスの建物。味噌への愛とリスペクト。

ひどい孤独感だな…

それで何も無いために困惑した結果、その土地ならではの場所を探すのを諦めて、こう呟いた。「名古屋。美術館。」
一瞬だけ静かになったと思うと、車の走る音が前傾した列になって立ち上がる。聴いています…Googleが耳を澄まして僕の声を聴き取ったあとに、赤いランドマークが数件表示された。
そして「ヤマザキマザック美術館」に足を運んだ。文字の響きが面白かったからだ。新栄町という駅を出てすぐの場所にある。

さて、この文章について結論から言うと、僕はヤマザキマザック美術館を絶賛する。
個人的な感性に基づく理由と複数人に対しても言える理由が一つずつあって、僕はそう思うに至った。

先に後者から話すと、ヤマザキマザック美術館に所蔵された絵は一つの共通したスタイルがあって、どれもが明るく華やかに彩られている。当時の貴族が世俗を楽しむ心を引き出せるように描かれたものだ。これらはロココ様式と呼ばれる。この美術館にロココ様式の作品を代表するような圧倒的名画は無いけれど、迫力を備えた大装飾画で見るそれは魅力的で、またオシャレな赤い室内とも調和して全体が独特の夢心地に似た雰囲気でまとまっている。
つまり、ポジティブに美しいと直感できる良い絵が揃っている。
また、一つ下の階には同時代の家具やガラス細工の作品が充実している。これもまた独特で華やかだった。

日本でロココ様式の作品がこれだけ推された展示はもの珍しい。
名古屋の真ん中で暇を持て余したときには、是非ここを訪れてほしいと思う。
きっと世界が希望に喜びに赤く染まっていることを少し思い出すことができる。一部分の閉じた時間として。あるいは完全な開かれた時間として。

もう一つ、個人的に、僕なりに響いた体験があった。
ヤマザキマザック美術館で、僕は二つの絵のことを気に入った。
ドラクロワ「シビュラと黄金の小枝」
クールベ「波、夕暮れにうねる海」

この絵の力強さ、本当に凄まじいです。短い感動に、長い余韻を味わった。今もまだ続いているのかな。

なぜ気に入ったかというと、僕はこれらを見て、絵に力があることを心から信ることができる思いがしたからだ。
絵の、想像させる力。
僕は一体何を想像させられているのか、よく分からない。「あれ」だろうか。

「あれ」というのは、言葉にできない。言葉にする必要がないから、「あれ」でいい。いっそのこと「無」でも構わないかもしれない。
とにかく、そこで体感したのは、その見えないものに想像を働かせる作用、運動の存在だった。

と、話がややこしくなるので、後のことは詩に託しました()
最後まで読んでいただければ嬉しいです。

例えば、重力の存在について。富士山とそれを映す湖に、それらをまるごと逆さにした像のことを思う。目を閉じて、水面の広大さと静けさを確かめる。天の水面から地の水面へ、滴る。それは引力を逃れてダイヴする音にも、気まぐれな時雨の通り過ぎる足音のようにも聴こえる。

波と空を描いた力が、僕の目の中に入り込む。
空の高さを想像することができた。
海の重さを想像することができた。
雲の消えていかないことを想像することができた。

瞼の奥から地の蓋が開いて、両眼の隠された足底が温まる。

なんと神秘的な、美しい力なのだろう。

僕は考える間もなくこう思った。
この作品の、なんと素晴らしい力であることか。
彼の作品を、もっと見てみたい。


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