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始発の不親切

始発のバス停に立つたび、理不尽な不親切さを感じることがある。目の前にバスが停まっている。運転手も中にいる。だが、ドアは固く閉ざされたまま、こちらは外気の中に取り残される。真夏ならば容赦のない日差しが肌を焼き、真冬ならば刺すような冷気が頬を叩く。あと数分、いや一分でも早くドアを開けてくれれば救われるのに、運転手は微動だにせず、時間が来るまで乗客を中に入れない。この不思議な「律義さ」が、どうにも理解できないのである。
もちろん、運行管理上の決まりがあるのだろう。早く乗せてしまえば、冷暖房費が余計にかかるとか、整備や点検が終わっていないとか、そうした理由があるのかもしれない。しかし、利用者の立場に立てば、そんな理屈はどうでもいい。目の前に「快適な空間」があるのに、あえて外で待たされる理不尽。それが不親切であると感じてしまうのは、当然のことだろう。
特に始発の停留所は、出発時刻が決まっているからこそ、余裕をもって来る人が多い。彼らは早めに並び、静かにバスの到着を待つ。だがその報われなさといったらない。バスは既にそこにあり、行き先表示も点灯し、運転手もスマートフォンをいじったり、メモを確認したりしている。それでもドアは閉じたまま。まるで「乗客を拒んでいるかのような」無言の壁がそこにある。
都会でも地方でも、この光景は変わらない。誰も文句を言わず、ただ我慢している。日本人らしいといえばそれまでだが、少しばかりの柔軟さがあっても良いのではないかと思う。たとえば、外が酷暑なら早めに開けて中で待たせる。冬なら暖房を入れて、少しずつ乗車を始める。それだけの配慮で、どれほど多くの人が救われることか。
実際、海外では始発バスでもドアを開けておき、乗客が座って待てるようにしている国が多い。安全やルールの範囲内での柔軟な対応が当たり前である。日本のバス会社も、もう少し「人間的な運用」をしても良いのではないかと思う。規律を守ることと、思いやりを失うことは、決して同義ではないのだから。
とはいえ、私は今日もまた、その始発のバス停で待っている。冷たい空気の中で息を白くしながら、閉ざされたドアをぼんやり眺めている。運転手が時間を確認し、ようやくドアが開く。その一瞬の解放感とともに、思う。「もう少しだけ、人に優しい社会にならないものか」と。

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