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「遠隔は、霊気を送ること」——その常識を、私はいま静かに疑っています

レイキを学び、遠隔のお手当てをしたことがある方に、ひとつだけ問いかけたいことがあります。

あなたが遠隔をするとき、霊気を「送って」いますか。

おそらく、ほとんどの方が「はい」と答えるはずです。私もそうでした。長いあいだ、迷いなくそう言ってきました。ところが最近、その「送る」という言葉が、自分の手の感覚とどうもずれている——そう感じるようになったのです。

きっかけは、大正から昭和の初めに活躍した、ある霊気療法家の記録でした。

※はじめにお断りします。この記事で使う「治療」「療法」「治る」といった言葉は、当時の資料に記された歴史的な用語をそのまま用いたものです。現代医学的な効果を主張するものではなく、医療の代わりになるものでもありません。霊気の歴史と、一人の実践者としての考察として読んでいただければ幸いです。

三万人の療法家がいた時代

大正から昭和の初めにかけて、日本では「精神療法」「霊術」と呼ばれる民間の治療法が大流行していました。最盛期の施術者は三万人とも言われます。暗示、気合、お手当て、そして「霊動」——肩や腰や手がひとりでに動き出す、身体の自動運動。これらが、当時の療法家たちの共通の道具立てでした。霊気もまた、この大きな流れの只中にありました。

今日とりあげるのは、その時代に活動した川上又次という療法家です。所属は日本心象学会、治療所は東京・下谷桜木町にありました。川上を読み解く鍵は、まさにこの「霊動」にあります。

触れていないのに、身体が動く

当時の雑誌に、川上の治療を間近で見た記録が残っています。筆者は慢性の鼻カタルに悩み、歌人の窪田空穂から川上を勧められて、その家を訪ねました。空穂自身、胃腸の病を川上の治療で治したのだと言います。

通されたのは二階の八畳間。寝台が一つあるだけで、治療室らしさはまるでありません。ちょうど一人の患者が治療を受けるところでした。日によって痛む場所の変わる、リウマチの男だといいます。

患者は仰向けになり、両手を肘から折って、掌を開いたまま天井へ立てました。川上は枕元の椅子に腰を下ろし、姿勢を正して、じっとその手を見つめます。すると患者の掌が手首から折れ始め、腕が動き、手は胸の上で組まれて、やがて胃のあたりを擦り始めました。動きは次第に早く、細かくなっていきます。

ここで川上が、腹の底から搾り出すような気合をかけました。声は決して高くありません。患者の手は左右の腕を交互に擦り、腰へ伸び、やがて身体そのものが左右に揺れ始めます。寝台が軋むほど動いたところで三度目の気合をかけると、運動は静かに収まりました。「へえ、宜しうございます」の一言で、手はもとのように天井を向いて止まります。患者は起き上がり、「いい心もちでございます」と言って帰っていきました。

ここで見逃せないのは、川上が患者の身体に一切手を触れていないことです。記録には、川上はただ身体のどこかをじっと見つめて意識を注いでいるだけで、その額に汗が滲むころ、患者はしきりに霊動を感じていた、とあります。霊動は偶然の副産物ではありません。川上の療法では、それが治療の中心にありました。

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