「僕はアダルトチルドレン」part2
こんにちは。
珈太郎です。
先日の続きをここに記します。
今思えば、幼少期から何かおかしかった。
祖母から母の悪口をよく聞いていた。
祖母の機嫌を損ねると、大変だったから、、
うんうんそうだね。
と幼稚園くらいから聞いていた。
母は宗教に入っていて、その宗教がらみのことをよく聞かされ、色んな取り組みに参加しながら、祖母の悪口を聞いていた。
うんうんそうだね。
一番上の姉は優等生だった。
何をするにも結果を残し、祖父母に褒められていた。
二番目の姉は、一番目と比べられ、罵られていた。父母はそのことを当時は知らなかった。でも二番目の姉だってすごい優秀だったんだ。
それでも可愛げがなかったのか比べられていた。蔑まされていた。
僕は、その二人をみて立ち回っていた。
どうすれば怒られないか。
どうすれば角が立たないか。
褒められなくたっていい。家の空気が悪くならないように悪くならないように…
そんなことばかり考えていた。
なので、お小遣いで祖母の靴下やパジャマ買ったり、高校生の時はバイト代で杖や手押し車やいろんなのをプレゼントしました。(誕生日でもなんでもないです。)
「珈太郎は(二番目と比べて)めっこいの(かわいいね)」
「珈太郎は育てがいがある」
そんなことを言われ育ちました。
とにかく機嫌を取るのに僕は、
身銭を削ってプレゼント
をするという方法を小学校からとっていました。ずっとです。
二番目の姉と祖母が大喧嘩したときは、姉に話を聞きに行って、そのあと祖母の部屋に愚痴を聞きに行きました。
そんな毎日でした。
一番目は早々に家を出たので、そのあとはずっと地獄でした。
ある日、祖父が祖母を泣かせていました。(おそらくDV)
父がその泣き声を聞いて飛んでいき、祖父に殴りかかりました。
「こ〇してやる!!!」
そんな言葉を吐いていました。
僕は必死に父の足にしがみつき、
「やめて!やめてよ!おねがい!」
と泣きながら止めていたのを覚えています。
そのあと空っぽの湯舟で泣いていました。
怖かったのと、みんなの豹変が何よりのトラウマでした。
この時小学1年生くらいです。
小学3年生
祖父がアル中の肝硬変で死にました。
あ~いやな空気から解放される!と思いました。
でも祖母がその後とんでもなく暴走するので、結果とんでもない空気には変わりはないんですが…
そんなこんなで時系列はぐちゃぐちゃで申し訳ありませんが、僕の幼少期は、幼稚園の時から
人の顔色をみて立ち回る。
という生き方をしていました。
次のお話は、祖母の暴走をメインにお話ししたいと思います。
では
珈太郎
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