【洋楽解説×平和学 No.010】El derecho de vivir en paz 〜 Victor Jaraが歌い、そして殺されても決して消せない「権利」
🎸楽曲紹介
Title: El derecho de vivir en paz(平和に生きる権利)
Artist: Víctor Jara
Issued in: 1971年
Album: El derecho de vivir en paz(1971年)
ラテンアメリカに携わる者は、必ずどこかでこの曲に行き当たります。コスタリカを専門とする研究者として、ラテンアメリカの政治・社会・文化と向き合い続ける中で、この曲は「避けて通れない」という以上の存在になりました——平和学者として、この曲と向き合わずにいることは、不可能とすら思えます。
ところで「洋楽」の「洋」とは何でしょうか。私の認識では、「洋」はWestern——西洋です。そしてラテンアメリカも西洋世界の一部です(その原点については、拙著「丸腰国家」に書きましたので、ぜひ)。Victor Jaraの音楽は、間違いなく「洋楽」です。
1. Background:ベトナムのために、チリ人が歌った
この曲は1969年、ビクトル・ハラがアメリカ人劇作家メーガン・テリーの演劇「ヴィエトロック」に携わっていた時に書かれました。同作は1969年5月2日にチリで初演されました。ベトナム戦争へのアメリカの介入に対する抗議の歌であり、ベトナムの指導者ホー・チ・ミンへの捧げ物です。(出典:ビクトル・ハラ財団)
チリの歌手がベトナムのために歌う——この「国境を超えた連帯」こそが、ビクトル・ハラの本質であり、この曲の最も重要なメッセージです。
・音楽的な革新:録音にあたって、ハラはチリのロックバンド「ロス・ブロップス」をエレキギターとオルガンに招きました。エレキベースとドラム、アンデス音楽特有の進行やスケール、そしてチャランゴ、ケーナ、タルカなどの民族楽器が融合した——フォルクローレとロックの前例のない組み合わせです。(出典:La Tercera)
・ヌエバ・カンシオン・チレーナ(チリの新しい歌)運動:ビクトル・ハラはビオレタ・パラ、キラパジューン、インティ・イリマニらとともに「ヌエバ・カンシオン」(「邦訳すると「新しい歌」)運動の中心にいました。(出典:The Poetry Foundation)音楽を社会変革の道具として使う——その確信が、この曲を生みました。
・1973年9月11日:サルバドール・アジェンデ社会主義政権に対するピノチェトの軍事クーデター。ビクトル・ハラは逮捕され、スタジアムに他の数千人の市民とともに拘束され、拷問の末に殺されました。享年40歳。(出典:Rolling Stone)
・墓碑銘:サンティアゴのセメンテリオ・ヘネラルにあるVictor Jaraの墓には、シンプルに「el derecho de vivir en paz(平和に生きる権利)」という言葉だけが書かれています。(出典:Tricontinental)自分の曲のタイトルが、自分の墓碑銘になったのです。
2. Lyrics:ベトナムからチリへ、そして世界へ
「詩人ホー・チ・ミン / ベトナムから打ち続ける / 全人類のために」
ホー・チ・ミンを「詩人」と呼ぶ——指導者ではなく詩人として。力ではなく言葉と文化で戦う人間への敬意が込められています。
「インドシナは広い海の向こう / そこで花を爆破する / 虐殺とナパームで」
アメリカ軍はベトナムのジャングルをナパームで焼き払いました。北ベトナム兵士がジャングルを利用して戦うため、ジャングルそのものを破壊しようとしたのです。「花を爆破する」——これほど残酷な言葉を、これほど美しく歌えるのがビクトル・ハラでした。
「いかなる大砲も消せない / お前の田んぼのあぜ道を / 平和に生きる権利を」
核心の一節です。砲撃も爆撃もナパームも、人々が大地に生きる権利を消すことはできない——「田んぼのあぜ道」という具体的なイメージが、抽象的な「権利」を地に足のついたものにしています。
「これは普遍の歌 / 勝利する鎖 / 平和に生きる権利」
「普遍の歌」——チリの歌がベトナムのために書かれ、それが「普遍」だと言う。この感覚こそが、この曲が半世紀以上にわたって歌われ続けている理由です。
3. Music:フォルクローレとロックの「連帯」
・アンデスの楽器とエレキギターの融合:チャランゴ(弦楽器)、ケーナ(縦笛)、タルカ(木管)というアンデスの民族楽器が、ロックのエレキギターと共鳴する——「二つの音楽世界の連帯」が、「二つの民族の連帯(チリとベトナム)」を音で体現しています。
・Bad Bunnyのコンサートによる継承:2026年1月9日、プエルトリコのアーティストBad Bunnyが、まさにVictor Jaraが殺されたエスタディオ・ナシオナル(国立競技場)でコンサートを行い、バンドメンバーの一人がマンドリンによるこの曲のインストカバーを演奏しました。(Rolling Stone)殺された場所で、半世紀後に、別の世代のアーティストがその曲を奏でる——これほど劇的な「継承」はありません。
・2019年チリ抗議運動:2019年の経済的不平等に対するチリ全土の抗議運動で、約1000人のギタリストによる合奏を含む形でこの曲が歌われました(2019年10月25日)(出典:NPR、Rolling Stone)。ピノチェト独裁政権下で生まれた曲が、その独裁が残した経済的不平等への抗議でまた蘇った——歌は死なない。
4. Lessons:「平和に生きる権利」という最も根本的な問い
指を潰すという行為の意味
スタジアムに拘束されたビクトル・ハラ。複数の証言によれば、兵士が彼の指を破壊し、「弾けるなら弾いてみろ」と嘲笑した。それに対してハラは仲間の囚人たちの前で「Venceremos(我々は打ち勝つ)」を歌った。(出典:Encyclopedia Britannica)
ここで考えなければならないことがあります——なぜ軍は「殺す」前に「指を潰した」のか、です。
直接的暴力(銃)を使う前に、文化的平和を生み出す身体的能力(ギターを弾く指)を標的にした。これは軍自身が「ビクトル・ハラの歌」を銃よりも危険なものとして認識していたことを意味します。脆弱なものをわざわざ潰す必要はない——潰さなければならなかったということは、それだけの力があったということです。
逆説的ですが、これは「文化的平和が暴力にとっていかに脅威であるか」の証明です。指を潰されてもJaraは歌いました。彼が殺された後には、幾千ものアーティストが歌い継いだ。文化的平和は、直接的暴力では決して殺せないほどの力強さがあるのです。音楽はまさに、そのひとつの表れであることを、ビクトル・ハラは、死後に渡って証明し続けています。
「平和に生きること」は「権利」である
この曲のタイトルの「権利(el derecho)」という言葉は単なる「願望」ではありません。世界人権宣言第3条は「すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と定めています。「平和に生きること」は慈悲や運ではなく、誰もが産まれた瞬間から備わっている、人間の存在そのものと不可分な要素である。その強い確信がこのタイトルに込められています。平和学の基礎的命題でもあります。
日本での継承——中川敬という存在
2009年、拙著「丸腰国家」の出版をきっかけに、ミュージシャンの中川敬さんと出会いました。ソウル・フラワー・ユニオンのギター&ボーカリストであり、「震災復興応援ソング」の代名詞となっている名曲「満月の夕」のソングライターとしても知られる彼は、1996年のアルバム「エレクトロ・アジール・バップ」でこの曲をカバーし、さらにソロアルバム「銀河のほとり 路上の花」でも歌っています。
それ以来、彼とは志を同じくする者同士としてお付き合いが続いています。平和学者と音楽家——異なるフィールドにいながら、同じ問いを抱えている者同士の縁です。
実はつい先日の2026年3月15日、たまたま私の誕生日に、福岡県久留米市で行われた中川敬さんのライブを聴きに行きました。そこで、期待通り彼は、この曲を歌ってくれました。誕生日にビクトル・ハラの「平和に生きる権利」を生で聴く——それは偶然でしたが、必然のようなものを感じた夜でした。
5. In sum:墓碑銘になった曲、そして今も歌われ続ける理由
ラテンアメリカに携わる者として
ラテンアメリカ研究者として、この曲は「避けて通れない」存在です。しかしそれは義務感からではありません。平和学者として、「平和に生きる権利」という言葉をこれほど正確に、これほど美しく、これほど命がけで歌った人間が存在したという事実に、深く心打たれているからです。
「指を潰しても、歌は消えなかった」
1973年にビクトル・ハラの指を潰し、命を奪った暴力は、長期的には敗北しました。2019年のチリの街頭で約1000人がこの曲を歌い、2026年1月にBad Bunnyのバンドメンバーが殺された場所でこの曲を演奏し、同じ2026年3月に久留米の会場で中川敬がこの曲を歌った。
歌は死なない。「文化的平和」の最終的な勝利です。
墓に刻まれた言葉
ビクトル・ハラの墓には「el derecho de vivir en paz」——ただそれだけが書かれています。
その言葉は問いかけでも告発でもなく、宣言です。死んでも消えない宣言——それがビクトル・ハラの遺したものです。そして私たちが「平和に生きる権利」を語り、歌い続ける限り、ビクトル・ハラは決して死ぬことなく、平和に生きる権利は奪われることがないのです。
