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絶品だった美術展 2025

年が明けて、もう一か月が過ぎようとしている。この際、さっさと昨年の振返りを終えて今年の計画を進めたい。私が去年行った美術展の中で満足できたものを書き留めて、記憶を記録としたい。先日、読み始めた「美術の物語」(面白くて為になる本)の“はじめに”にある著者エルンスト・ゴンブリッチの言葉を引用しておく。
“賛辞は批判の言葉よりもずっと退屈だ”
確かにその通りで、文句を言ったり、言っている人を見るのがみんな大好きなことは、承知している。一方たまに褒めたたえているのを見ると、両者の利害関係を疑ってしまう。いやな世間だが、今に始まったことでもない。SNSなどない昔からそうだった。表に出やすくなっただけだろう。
批判するのは簡単だし、注目も浴びやすい。ただそんなことをしてもいい気分にはなれないし、何も生み出さない。そもそも私などが、天下の大美術館に文句を言ったところで、鼻もひっかけられないことは明白だ。私としては褒める方向でいきたい。退屈は承知の上で、何とか面白いものにしたいし、読んでよかったと思ってもらえるものにしたい。そうでなければ、意味がない。Take a walk on the wild side.

さて、新年らしくちょっとした抱負などを掲げてみたわけだが、調べてみると昨年は25館の美術館を訪れている。北は小樽、南は久留米まで、人込みをできるだけ避けながら、ほぼフルタイムで仕事もしながら、我ながらよく行った。その中から5つの展覧会を選んで記録しておきたい。

当たり前のことで、今さら言うべきでもないが、以下はすべて私の思った、感じたままであり、素人の勝手な放言である。

1, 小樽芸術村

その存在を知ったのが、家具大手ニトリが北斎の肉筆美人画「雪中美人画」をオークションで入手、というニュースを見たときだった。それまでまったく知らなかったが、調べてみるとなかなか大きな施設らしいので、行ってみた。
小樽芸術村はJR小樽駅から海に向かうだらだら坂を10分くらい下ったところにある。浮世絵、洋画、日本画、西洋工芸、など5棟の建物からなる集合施設で、中途半端なものではない。
特に、ステンドグラス、ガラス工芸品、家具、などの西洋工芸はものすごい展示量がある。質的にも、見た記憶がないラリック、ガレ、ドーム兄弟などの作品が複数あった。アールヌーボーの部屋、アールデコの部屋、ロココの部屋など家具も装飾品も備えた集合展示が多数ある。
日本画はあまり私の趣味ではない昭和のものが中心だが、日本の洋画もあり、大家に並んで山下清に棟方志功も、さらに岡本太郎まである。
別棟になっている、浮世絵は充実、新版画も多数あり、のれんをくぐって入る春画まである。
全体にヴァリエーションが豊富で、一か所でこれだけのものが見られるところは、そうそうないと思う。(上野公園は除く)それを一企業が行っているのにも驚いた。クラシックカーも現在収集、修復中だそうで、オープンすればまた行きたい。
札幌から快速列車で40分、じっくり見れば、3,4時間は楽しめる。客はインバウンドの人たちが7割、もっと日本人も行ってみよう。ホテルも小樽にして、夜は寿司のディナーと行こう。北海道のいくらとウニは味が違います。

2,山種美術館 日本画 聖地巡礼2025 ~速水御舟、東山魁夷から山口晃まで~

東京は広尾にある、所蔵日本画の展示を中心とした私立美術館。明治大正の大家の優品が多数。客層の中心は中年以降の女性である。
今回はいつもの、土牛、栖鳳、龍子に御舟という十分来た甲斐のあるメンバーに加え、山口晃がうれしい。そしてその山口の作「東京圖 1・0・4輪之段」が大人気。人垣が途絶えることなく続いていた。作品は皇居を真ん中にした、東京中心部の地図に黄金雲がたなびき、一部妙なものが散見される正調山口晃というもので、来場者の多くを占めているであろう、東京在住者が地元の地図を見ているという要素は否めないが、とにかく現代の作家がこれだけ一般の人達の注目を集めているのはたぶん初見である。都立現代の所蔵品展などではまず見かけない皆さんだ。この絵はどうしても細部を見たくなる。絵に近づきゆっくりと移動しながら、地図上の地点を確認し、そして謎の物件を発見し、これ何、ということになり、会話が交わされる、などを繰り返していると、横3メートル(多分)の移動は時間がかかる。縦も多分2メートルくらいある大作なので、常に人だかりができることになっていた。純粋に作品の力で普通の人を引き付ける現代作家がいることに驚き、なぜかうれしかった。展覧会自体も初めて見る、わがアイドル龍子、華陽があり、楽しめた。その幾分浮かれた気分は、渋谷駅に帰るバスの中、バスターミナルから京王へ歩く道中、井の頭線への長いエスカレーターまで続き、その途中でやっと山種の洗面所に忘れたスマホのことを思い出した。(私の携帯電話にはカードを収納する機能はない。)

3,府中市美術館~フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫~
  
明大前から一本で府中に行けることを発見し、飛行機までの時間もあったので、ジャパンカップの一日前に府中市を訪問した。京王府中駅まで20分、そこからバスで5分、いかにもな東京郊外、武蔵野風情のある深秋の府中の森公園に到着した。荒井由実の「あの日に帰りたい」のイントロが頭の中で流れ始める。この感じは他で感じることはない。(自己再生しているだけかもしれないが)
土曜日ということで美術館付近にはたくさんの人いてこの気分は一瞬で吹き飛んだが。
さて、展覧会だが、藤田嗣治の猫の絵を中心としたもので洋画と、彫塑、など猫が描かれているものばかりだった。ま、近頃の流行に寄り添ったものだろうことは、容易にわかる。昔から思っていたが、藤田の猫は可愛くはない。リアルではある。何かを狙っていたり、喧嘩していたりが多く、寛いでいるシーンはほとんどない。私も10年以上の猫経験があるが、もうちょっと可愛く描けよと思ってしまった。なぜそんなシーンばかりを選んだのかを深堀して、藤田の精神の奥底を探るなどというのは、当noteの任にあらず、その割には裸婦にリアリティがないのはどういうわけだと思うだけだ。
ついでに言えば、世評高い熊谷守一の猫は私の好みからは、細すぎるし表情を作りすぎだと思う。おっと、趣旨から外れ気味だ。良かったところを書いておこう。猫の絵で良かったのはいずれも小品だが、長谷川潾二郎「猫と毛糸」、中原實「猫の子」の二点。さらに菱田春草はさすがに素晴らしいと思った。そして朝倉文夫は言わずもがな。
ここはコレクション展があり、松本俊介と牛島憲之という私のフェイヴァリットの展示があり、さすが東京の美術館だと感じた。牛島憲之の絵の中で、遠景の橋の上、先行する団体を追いかける一人の男の一筆書きは本当にうれしかった。以前見た、隅田川を遡上する小さな船に続き大いに感銘を受けた。
競馬場を含め府中の一日散策も悪くはないなと思わせられたが、多分しないだろうとは思う。

4,東京国立近代美術館~所蔵作品展11月-2月~

近頃、常設展という名称を変更した美術館は多い。要は自前で所蔵する美術品を倉庫から出して、展示する展覧会のことで、おそらくは常設という、どこか棚ざらしのようなイメージを避ける為なのだろうが、やってることは変わりない。多数の美術品を持ってないとできないことで、ということは寄贈、寄託、購入等様々な方法で、収集を重ね、長い歴史と確かな信頼があることの証明だともいえる。美術館には二種類ある。美術品を持っているところと、持ってないところだ。例えば東京都立にはなく、東京都立現代にはある。しかし淋しいことに、たまに多数の美術品を持ちながらコレクション展を設けていないところもある。こちらMOMATことMuseum of Modern Art、Tokyoは数年前から所蔵作品展に名称を改めている。
私自身、ここ10年で最も多く訪れた美術館なのは、間違いない。年に3,4回の展示替えがあり、企画展にはさほど興味がなくても、所蔵作品展だけは必ず行く。昨年などは、夏の企画展として、“コレクションを中心とした特集―記録をひらく 記憶をつむぐ”という戦争記録画がメインの実質所蔵展という催しもあり、いつも充実している。はっきり言って美術館の本分はこちらだとさえ思う。
皇居の内堀のほとりにある、かなり大きな建物(石橋正二郎氏の寄贈)の西側半分、4階から2階までを所蔵作品展で占める。3000㎡の広さに14000点から選んだ約200点の美術品が並ぶ。
まずは、4階のハイライトと呼ばれる展示から。ドラゴンライディング観音様、漂流中の三造、萬の奥さん、グロリア・スワンソン、円朝師匠にご挨拶。うち4点は重文です。ブラック、レジェ、東郷青児などの丁度いいキュビズム絵画の小特集、木村荘八の濹東奇譚挿絵32枚(大胆な構図で魅せる)に巴水の“雪に暮るる寺島村”を並べるというツボを心得た展示、あとは名前の羅列になるが、カンディンスキー、北脇昇、朝倉摂(珍しい)、龍子、深水、青邨、土牛に秦テルヲ、篠田桃紅、白髪一雄、これぞヴァラエティ、満漢全席。2階の展示を残して、もうおなかは一杯です。こんなに美術愛好家に寄り添った展示は他にない。これが500円で見られるという日本一のコストパフォーマンス、いろいろと素人にはわからない苦労も多いかとは思いますが、これからも是非この水準を保持してください。

5,京都国立博物館~大阪・関西万博開催記念特別展 日本美のるつぼ 異文化交流の歴史~

長いタイトルに気合が漲る、まさに特別な展覧会。平成知新館に18の国宝と55の重要文化財を含む、150点余りの作品、前後期合わせれば200点もの展示、関西のみならず、東博、ボストンの所蔵物もあり、前年に雪舟展を訪れた時、この美術展があることを知り、絶対に行こうと思ったやつだ。結局2度行くことになった。
ここからは、当日に帰りの阪急電車の中で書いたメモをご覧いただこうと思う。

〇 俵屋宗達 風神雷神図屏風 
・両者の豪快なへそ (こいつら哺乳類?)
・風神の左足、雷神の右腕が普通無理だろという方向にねじ  曲がり、尋常ではない力を表現
・黒雲の様子(雨の降りだした雷神の方が少し明るくなっている)
・思っていたよりも、筋肉などはリアル 豪快さだけを売り物にはしていない
・ただ、力強さは明らか
・屏風の真ん中には空間が広がるが、そこに緊張がある
・宗達がいくら江戸時代の人とはいえ、本当に空の上にあんなのがいるとは思っていない
・あれを想像することが面白い
・だから洒落がきいている
・見れば見るほどニンマリする
・「なかなか面白いよ、俵屋の旦那」などと江戸時代の京都の人に話しかけたりする
〇 酒井抱一 夏秋草図屏風
・銀地というが、割と金色に見えた(上からの照明の関係か)
・とにかく、すすきの葉のしなだれ具合は天下一品(雨に打たれたあと、風に吹かれている様)
・最も派手な花である百合は、すすきの奥で隠れ気味
・昼顔は小さいが目立つ位置にあり、可愛い
・水の流れは、様式的ではあるが、ちゃんと早瀬も淀みもありリアル
・すすきの葉が捻じれて裏表が見えるが、その書き分け
・絶妙な空白がちょうどよくて、気持ちいいが、確かに風神と雷神が入るスペースはある
・写実、鋭利、簡潔、余白、渋さ、垢抜け、独創という、私が勝手に決めている琳派の定義のすべてが当てはまる傑作

蛇足ではあるが、老婆心ながら。抱一の屏風はもともと光琳写しの風神雷神図屏風の裏に描かれていた。つまり風神の起こす風、雷神による雨を受けた絵になっている。もちろん現在は切り離されている。宗達、光琳、抱一という江戸琳派を代表する一対の屏風を移動せずに見比べられるようにという配慮からだろう、角を挟んで直角に並べて展示されていた。ここに60分はいた。

〇 范道生 韋駄天立像
・作者は江戸時代に中国からやってきた年若い仏師
・目を伏せ、少し前傾しながら合掌している
・体全体を取り巻く、細い布が頭上でも前から吹く風を表していて動的である
・剣は水平に両腕の上に載せている
・割と背は低く、150㎝くらいか
・今はおとなしくしているが、いつでも飛び出せるという緊張感が漲る
・アニメのキャラクターとしてもいける
・仏像というジャンルから明らかにはみ出していて、宗教、仏像愛好家の外側に届くものがある
・同作者による、羅怙羅尊者像も、どう見ても顔はブラックアフリカンで、水落あたりを両手で左右に広げ、腹の中の仏を見せるという思いもつかぬ形状で驚いた
・この二体があるのは宇治の萬福寺、いつか行こう

〇 吉備大臣入唐絵巻 巻第四
・ラストを飾るまさかの下ネタ
・これをわざわざボストン美術館から借りてきている
・素晴らしいエピローグ 見事に締まった

これは少々説明が必要だろう。奈良時代、吉備真備の唐滞在時のエピソードを描いた絵巻で、安部仲麻呂の霊の助けを借りつつ、試練を乗り越えるという絵日記風のものなのだが、ある時、ゲームのルールも知らない囲碁の勝負を挑まれる。相手は名人。真備は隙を見て碁石を飲み込み優位となるが、当然疑われて下剤を飲まされる。しかし術を用いて石を体内に留め、便のみを出す。鼻を押さえながら、便を覗き込み調べる唐人の表情はしかめっ面。という部分の絵巻が展示の最後に置かれていた。これだけ優れたお宝の数々を惜しげもなく出し、ゴージャスかつアカデミックな展覧会の最後を飾るのがこれ。苦笑を通じ平安、鎌倉の方々と通じ合う楽しいエンディングだった。
さらにこの絵巻は昭和7年にボストン美術館が購入。翌年に「重要美術品等、保存ニ関スル法律」が公布、施行された。昭和7年は五・一・五事件、満州国成立等があり、日米関係は悪化の一途を辿っていた時期ではあったが、Museum of Fine Art,Bostonの皆さんは政治と芸術は別だとわかっていたようだ。つまり異文化は大いに交流すべきというメッセージ。昨今の世界情勢に対する皮肉にもなっていて、私はひとり東山七条を歩きながらニヤリとした。
というわけで、誠に素晴らしい展示で私は満足しました。美のるつぼを堪能できました。京博の皆さん、ありがとう。

今年の予定もほぼできた。前年に比べ時間はあるので、いろんなところに行ってみたい。

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