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歴代天皇と皇后/妃-1:三島の地を訪ねる

歴代天皇に繋がる王権がなぜ大和の地で興ったのか、その王権の祖はどこからやって来て、いつ、どうやって創り上げたのか、考えても答えに辿りつかない。

頼りにする記紀は設定の違いもあり、どこをどれだけ信じて良いものか判然としない。神社にしても、社殿が建てられたのが6世紀以降からだとすれば以前の由緒は判然とせず、ましてや多くの神社では時代に応じて御祭神を変え合祀をしたり遷座もしている。

そこで視点を変え、歴代天皇の皇后と妃の系譜を辿って見ようと考えた。皇后や妃制度は持統天皇以降だとされるが、政権基盤を強固にするために各地有力者との結びつきを求めたのは事実だと思われるので、王権確立の経緯が少しでも判ればと考え天武朝までの系譜を作った。神話や成立時期が定まらない国造の系譜など信憑性に欠けるきらいはあるが、少しでも経緯を把握するために順次検討して行こうと思っている。

【須佐之男命の系譜】
【歴代天皇と皇后/妃 : 日向三代】
【歴代天皇と皇后/妃-1:神武〜孝安】

比売多多良伊須気余理比売(媛蹈鞴五十鈴媛)

三島溝咋耳命は溝と杭とあるように洪水対策を手掛け三島の地(茨木市周辺)を治めた有力者で農業神とされる。また、娘の「勢夜陀多良比売(三島溝樴姫、活玉依姫、玉櫛媛)」と大物主(あるいは事代主)との間に生まれたのが「比売多多良伊須気余理比売(媛蹈鞴五十鈴媛)」だ。

その玉櫛媛と媛蹈鞴五十鈴媛を主祭神として祀るのが茨木市の「溝咋神社」だ。淀川水系の安威川沿いにあり、式内社で旧社格は府社、現在は単立神社となっている。神社由緒によれば相殿で三島溝咋耳命、天日方奇日方命(媛蹈鞴五十鈴媛の兄、初代宰相)、速素戔嗚尊(五十鈴媛の祖先)、天児屋根命を祀るとされる。

この系譜をどう捉えたら良いのだろうか。鴨王とも称される天日方奇日方命は、古事記では大物主神と活玉依姫の御子、日本書紀では祖父が事代主神、先代旧事本紀では大己貴命神の御子の都味歯八重事代主神と活玉依姫の御子とされるが、いずれにしても出雲系だ。天孫降臨前に国譲りをさせた出雲系の神々の末裔を、東征を果たし即位した日向三代の末裔が最初に皇后に迎えたことをどう理解すべきなのだろうか。

溝咋神社

溝咋神社の鳥居(26/5/12)
200mの清々しい参道
拝殿

長髄彦の軍勢を打ち破ってヤマト入りしたのであれば在地の有力者の娘を娶ることも出来たはずで、宇摩志麻遅命が恭順したように武力によってヤマトを治めることは容易だったのではないだろうか。しかし、そうせずに大物主神の神威・権威に頼ったと言うことは、迷信や祟りを恐れる時代においてヤマトにおける大物主神の神威・権威は絶対的で蔑ろに出来なかったということなのだろうか。では、ヤマトにおける大物主神とはどんな存在だったのだろうか、と考えると長くなるのでそれは次回以降に考えたい。

率川神社

奈良市本子守町にある式内小社で大神神社の場外摂社。御祭神は媛蹈鞴五十鈴媛と父神「狭井大神(大物主神の荒御魂?)」と母神「玉櫛姫命」の三座で、正式名称は率川坐大神御子神社とされる。社伝によれば、593年に大三輪君白堤が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社だそうだ。

本殿(24/11/7)

場外末社として事代主神を祀る「率川阿波神社」が境内にあるが、「恵比寿さま」としての事代主神のようだ。社伝によれば、光仁天皇の宝亀年間(770~780)に藤原是公が奈良市西城戸町で創祀したと記され、大正時代に現地に遷座したとされる。

率川阿波神社

三島と事代主神

溝咋神社の対岸の淀川沿いに三島鴨神社がある。式内小社(論社)で旧社格は郷社、御祭神は大山祇神と事代主神の二柱だが、神名帳では一座とされており、当地に進出した鴨氏が事代主神を合祀したとも考えられるようだ。

三島鴨神社

鳥居(26/5/12)
拝殿
本殿

神社由緒によれば、「仁徳天皇は河内の茨田(まんだ)の堤をおつくりになるとともに、 淀川鎮守の神として、ここ摂津の『御島』に、大山祇神をお迎えになりました」とある。しかし、「それ以前に事代主の后達が三島の地に戻った頃、あるいは御子達がヤマトに移る際に創建されたのではないかとも考えられる」ともされ、御祭神についての見解は諸説あるようだ。

また、「伊予国風土記」逸文によると大山積神は百済から摂津国御島に祀られ、次いで伊予国の大山祇神社に遷座したとされるようで、神社由緒でも「当社から御魂がうつされて、伊豫の「大山祇神社」、伊豆の「三嶋大社」がつくられ日本三『三島』として崇拝されるようになり、三社の根源社として当社は格別にあがめられました」とある。

由緒についてよくある話だが、三島にある「鴨神社」なのか、「三島」に「鴨」を合祀した神社なのか、何ともすっきりしないところだ。

三島と邇藝速日命

話は逸れるが、三島には神々が集まるのか安威川の北西上流には「天照御魂神」を祀る式内名神大社「新屋坐天照御魂神社」に比定される神社が三社ある。饒速日命とされる「天照御魂神」が首座となっているが、西福井は旧郷社、宿久庄と西河原は旧村社で、西福井から分祀したと考えられるようだ。

新屋坐天照御魂神社(新屋神社/西福井)

主祭神は「天照御魂大神」、亦の名を「天照国照彦天火明大神」「饒速日大神」で、相殿で「天照皇御魂大神」と「天饒石国饒石天津彦火瓊々杵大神」を祀る。

また、境内には須佐之男命を祀る「須賀神社」と大国主命を祀る「出雲社」の二つの摂社があったが、主祭神の「天照御魂大神(饒速日大神)」との縁なのか、相殿の「天照皇御魂大神(天照大神)」との縁なのか気になったが、須佐之男命だけではなく大国主命が祀られているのであれば「天照御魂大神(饒速日大神)」との縁が深いとすべきなのかも知れない(邇藝速日命好きには、そう思いたいところだ😅)。

鳥居(26/5/12)
拝殿
本殿
大国主命を祀る摂社「出雲社」

神社由緒によれば、「第十四代仲哀天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒御魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました」とあり、西川原社は上河原社から分祀したようだ。

また、「第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります」とされる。

崇神天皇の御代になぜ「邇藝速日命」をこの地に祀るのだろうと思ったが、崇神七年の創祀と言えば宮中で一緒に祀られていた「天照大神」と「倭大国魂神」を宮中外で祀ったとされる翌年であり、物部氏により「邇藝速日命」を祀るというタイミングが微妙で気になるところだ。

新屋坐天照御魂神社(西河原社)

御祭神は天照国照彦天火明命で、相殿には天児屋根命と珍しいことに建御名方命を祀る。元は近くにある「磯良大神」を祀る磯良神社の境内地にあったが、現地に遷座したそうだ。

なお、「磯良大神」は安曇氏の祖神とされ志賀海神社の御祭神だそうで、三韓出兵の際に神功皇后に龍宮の珠を献上したと言う伝承があるようだ。磯良神社がイ取りに神験ありとの信仰から疣水神社と呼ばれるのは「磯良大神」の容貌からなのだろうか。

鳥居(26/5/12)
拝殿
本殿は覆屋で囲われている

三島と継体天皇

時代は降るが、新屋坐天照御魂神社の近くには継体天皇陵に治定された太田茶臼山古墳と真の天皇陵とされる「今城塚古墳」がある。

【歴代天皇と皇后/妃−10:継体〜安閑】

507年、武烈天皇の後継として迎えられた近江の男大迹王が、仁賢天皇の皇女「手白香皇女」を皇后に迎え河内国樟葉宮で即位したとされる。大和王権と疎遠だったこともあり皇后は王権系統から迎えざるを得なかったのだろう(神武天皇と事情が似ているようだ)。また、19年も大和入りが出来なかった(しなかった?)ようだが、淀川水系の三島は瀬戸内海や近江との水運の要衝で敢えて動く必要もなかったのだろうか。

隣接する古代歴史館にある
今城塚古墳の縮尺レプリカ(24/11/9)
阿蘇産ピンク石の石棺
石棺内部のレプリカ

三島と藤原鎌足

ところで、茨木市と高槻市の境には藤原鎌足の陵墓と比定される阿武山古墳がある。なぜ三島の阿武山なのかは分からないが、今城塚公園にある古代歴史館には出土した冠帽と玉枕の復元品が展示されていた。

【歴代天皇と皇后/妃-16:弘文〜天武】

乙巳の変で中大兄皇子の信頼を得た鎌足の野望だったのか、次男の不比等は持統天皇の信頼を得て皇后や妃を輩出し、天皇家の外戚として宮中に深く関わった。しかし、男系継承だけは覆せなかったのか外戚の地位に止まり、藤原氏による摂関政治を展開することになる。それにしても、蘇我氏に倣ったのか何とも凄まじい姻戚関係を築いたものだ。

阿武山古墳から出土した藤原鎌足の冠帽(復元品)
同じく玉枕(復元品)

初代皇后とされる比売多多良伊須気余理比売(媛蹈鞴五十鈴媛)から始まり、次代の綏靖天皇と四代懿徳天皇は磯城縣主系から、安寧天皇は出雲系、孝昭天皇は尾張系、孝安天皇は和邇氏からと有力豪族との婚姻が続く。

しかし、(正しいかどうか分からないが)宮が置かれた場所は橿原界隈と葛城界隈だ。当時は通い婚だったとすればおかしな事ではないのだろうが、葛城に宮を置いたことが気に掛かる。

葛城襲津彦を祖とする葛城氏が皇后を輩出したのは仁徳天皇の御代で時代が違う。それ以前の葛城は事代主神を祖とする鴨氏だとされるので、比売多多良伊須気余理比売との婚姻に始まる出雲系との関係は続いたという事なのだろうか。

何か判るかと思って始めた系譜作りだが、余計に混乱し始めた…ふう😅