古墳1:「装飾古墳」と「石人像」
「装飾古墳」は全国に点在するが、ほぼ半数が九州中部、特に熊本県北部、福岡県南部に集中している。5−7世紀に築造され、古墳形態は「前方後円墳」「円墳」が多いが様々のようだ。また、石造物は全国にいろいろあるが、武装した武人の「石人像」は九州独自だ。
埋葬者なのか会葬者なのか、誰に向けたのか分からないが、石室や石棺に「赤色原料」で極彩色の幾何学模様を描き見るものを圧倒する。7−8世紀の古墳時代終末期の「高松塚古墳」や「キトラ古墳」のように、埋葬者に対する優雅な壁画とは違った死生観があるのだろう。
装飾古墳専門の博物館として全国唯一の山鹿市にある「熊本県立装飾古墳館」は、実物大の精密なレプリカが数多く設置され楽しい。
博物館によれば、文様には直弧文や同心円などの「幾何学的な文様」、「盾」、弓矢を収める「靱(ゆぎ)」、甲冑、刀などの武器・武具や船、家屋などの「器材・器物文様」、人、馬、鳥などの「人物・鳥獣文様」の3種類に分類されるそうだ。



福岡県桂川町にある6世紀中頃に築造された前方後円墳「王塚古墳」。隣接して「王塚装飾古墳館」があり、レプリカや資料が充実している。また、日本で確認されている装飾古墳壁画で使われている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)だが、そのうち青を除く5色が使われており国内最多だそうだ。




博物館の中には、装飾古墳の原料見本があった。高松塚古墳の壁画原料との比較もされていて貴重な展示。こういう展示があるので博物館は面白い。
縄文の時代から、人は特に「赤色(朱色)」に魅せられたようだ。「漆」の赤、「丹」の赤など、弥生時代から古墳時代へとと延々と拘ってきた。「丹」と呼ばれる原料には高貴な者に使われる水銀朱(辰砂)と一般的に使われる「ベンガラ(酸化鉄)」があるようだが、四国から東に伸び紀伊、伊勢に至る「中央構造線」上には古代から水銀朱(辰砂)が採掘されていたようで、「丹生」を社名に使う神社が多い(「丹生神社」については、別途探索予定)。




山鹿市にある6世紀初頭に築造された前方後円墳「チブサン古墳」。山鹿市立博物館横の細い小道を5分ほど走ったところにあり、近くには「オブサン古墳」もある。石室内部は、土日祭日の午前と午後にそれぞれ10名限定で公開しているようだが、なんと本日は水曜日😱

これで我慢しよう😅


筑紫野市にある6世紀後半に築造された円墳「五郎山古墳」。隣接して「五郎山古墳館」があり、実物大の精密に作られた石室模型がある。
来館を伝えると、ヘルメットを渡され石室模型の羨道から石室に入って見ませんかと言われ面白そうなので入ったら羨道は思いの外狭く、這いつくばって石室へ。
やっとの思いで外に出たら、こんどは羨道の前にしゃがんで下さい、と言われしゃがむと、館員がなにやらリモコンを操作した。すると、なんと羨道が左右に開いた…😱おいおいモーゼじゃあるまいし、そうならそうと「早く言ってよ」😅
とは言え、中々無い貴重な経験でした。



八女市にある6世紀前半に築造された前方後円墳「岩戸山古墳」。八女丘陵にある300基に及ぶ八女古墳群の中でも代表的な古墳で、九州北部で最大規模を誇り、「石人石馬」と称される石製品が100点以上出土しているそうだ。
尚、「岩戸山古墳」は6世紀の継体朝に「磐井の乱」を起こして滅んだ「筑紫君磐井」が被葬者だとされている。しかし、弥生時代に栄えた北九州の「奴国」「伊都国」の時代から栄えていたのだろうか。九州北部がヤマト政権に従属されてからも反乱を起こすほど力を蓄えていたことになるが、八女市を流れる「矢部川」と山鹿市を流れる「菊池川」に挟まれた一帯は、案外、初期ヤマト政権の勢力が及びにくい空白地帯だったのかも知れない、と独り言🤔




熊本県和水町にある5世紀末から6世紀初頭に築造された前方後円墳「江田船山古墳」。装飾古墳ではないが、「筑紫野君磐井」関連で訪ねた。
出土品には、行田市の稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」と同様に、75文字の日本最古の記録的文書とされる銘文が刻まれた「銀象嵌鉄剣」がある。この二つの銘文から「獲加多支鹵大王(雄略天皇に比定)」と刻まれたことが判明した画期的な鉄剣だ。他にも、上野の国立博物館に所蔵展示されている大量の「銅鏡」「甲冑」「玉製品」「馬具」なども出土された。尚、被葬者は「磐井の乱」を起こした「筑紫野君磐井」一族の配下ではないかと推測されているそうだが、その割には装飾古墳ではない…🤔。


九州だけでなく東日本の代表的な装飾古墳が、那珂川下流のひたちなか市にある「虎塚古墳」で、古墳時代終末期の7世紀初頭に築造された前方後円墳。
春と夏の数日間、先着順で一般公開されると聞いて早速訪れた。単線の中根駅から徒歩30分。公開された石室は薄明かりではっきり見えなかったが、「虎塚古墳史跡公園」内に「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」があり、実物大の石室壁画レプリカが展示されていた。
幾何学模様の下に描かれた二つの太くて大きな丸がなんとも強烈で、定番の「弓矢」と「靫」も描かれている。被葬者は誰なんだろうか。一帯を治めていた首長墓なのだろうが、九州との関係は深いのだろうか。7世紀といえば大和政権の基盤は盤石で全国に及んでいただろうから、人の移動・移住も頻繁な交流の中で装飾古墳の話を聞き及び、「良いね!」と地元の一族が作ったのか、あるいは移住してきた九州縁故の一族が故郷の死生観の下に作ったのか🤔





鄙には稀なおしゃれな駅看板がある「中根駅」👍(24/11/14)
一方、「四神」を描いた壁画で有名な明日香村にある「キトラ古墳」。7世紀から8世紀に築造された円墳で被葬者は不明。近くに入場無料の「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」があり、石室レプリカや大きな壁画画像が展示されている。
九州の「装飾古墳」とは違い、「天の四方の方角を祀る霊獣」の四神、という神話の影響は明白だ。

「キトラ」の語源は、
古墳南側の小字「北浦」から訛ったとか、
描かれている「亀」と「虎」で「亀虎」だとか
諸説あるようだ

壁画はよく分からない…😅


同じく明日香村にある「高松塚古墳」。7世紀末から8世紀初頭に築造された二段円墳で、被葬者は不明。「キトラ古墳」同様に四神が描かれているが、四神と共に男女の群像画が描かれている。特に、西壁の女子群像は優雅な「飛鳥美人」として有名だ(おっと、今どきは「美人」ってNGワードなのかな…🤔)。


麓にある「高松塚古墳壁画館」にある模造模写

同じく館内にある模造模写
コンビニ並みに存在する古墳だが、整備が不十分な古墳が多い中、整備され資料館が併設された古墳を訪れると、古の空気に触れることができて楽しい。
