見出し画像

天職のススメ ー組織と個人のあいだで


「この仕事は、自分に向いているのだろうか」

多くの人が、一度はそう考えたことがあるはずです。
朝、通勤電車のなかで。
日曜の夜に。
人事異動の知らせを見たときに。
あるいは、誰かが楽しそうに働いている姿を見たときに。

わたしたちは、ときどき「天職」という言葉に救いを求めます。どこかに、自分にぴったりの仕事があるのではないか。無理なく力を発揮できて、誰かの役に立ち、やりがいも感じられる場所が。

もしそんな天職が見つかれば、人生はもっと自然に進むのではないか。そんな期待を、この言葉に重ねてしまうのです。

天職が歴史を動かした


マックス・ヴェーバーは、近代社会を読み解いた社会学者です。
彼は主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』(1905年)において、プロテスタント、とりわけカルヴァン派の人々が持っていた「職業観」に注目しました。

この職場観とはどのようなものでしょうか。
カルヴァン派の人々にとって、仕事は単なる生活の手段ではありませんでした。
目の前にある、日常の業務は、神から与えられた務め、つまり「召命」として理解されていたのです。これが天職という本来的な意味です。

与えられた持ち場で、誠実に働くこと。日々の労働を通して、自分の生を証明していくこと。このような信心深い意味でした。

お金や生活の手段を得られたならば、もう働きたくないと考える仕事観とは、ちょっと違いますよね。
FIRE(経済的自立と早期リタイア)を目指す現代人の労働観との違いも興味深いところです。

ただ、少し意外な結末はここからです。

ヴェーバーによれば、信仰として一生懸命に働こうとする心持ちが、いつか終わりなく労働する資本主義の「精神」を形作ったというのです!

えっ? 資本主義って、強欲でお金儲けしか考えていない人たちが始めたのでは?
そんな「常識」をひっくり返したのです。

たしかに、お金儲けや強欲は世界の歴史に事欠かないのですが、勤勉に働く労働観が資本主義と結びついたのは、近代のヨーロッパが初めてのこと。
日々に事足りる程度の労働を最低限する労働とも異なる「勤勉」の思想。
近代資本主義の精神は、まさに宗教的な倫理観から生まれたと考えなければ、説明がつかないこともたくさんあるというのです。

わたしたちが今でも仕事に「意味」や「運命」を求めてしまうのは、この長い歴史の延長線上にあるのかもしれません。
天職に邁進するその精神が、近代資本主義の土台のひとつになったと、ヴェーバーは論じました。


仕事に何を探しているのか

わたしたちは、仕事を探しているようで、実は別のものを探している場合があります。

  • 誰かに認められる場所

  • 自分らしくいられる時間

  • 成長を実感できる環境

  • 心がすり減らない毎日

  • 生きていてよかったと思える感覚

つまり、仕事そのものではなく、仕事を通して得られる人生の手応えを求めているのです。

だから、仕事選びに迷うのは自然なことです。
それはわがままでも、甘えでもありません。
生き方を真面目に考えている人ほど、迷いやすいものなのかもしれません。

そう考えてみると、仕事の中にこそ信仰を見出していたプロテスタントの人々は、そんなに遠い存在ではないのかもしれません。

天職は「見つけるもの」だけではない


天職を見つけると言われると、なんだか焦らされたり、煽られたり、、、みたな感じも。
ただ、ここで少し安心してほしいことがあります。天職は、どこかに完成品として置かれている宝物とは限りません。

最初はなんとなく始めた仕事だった。
でも、続けるうちに面白さがわかった。
苦手だったことが得意になった。
誰かに感謝されて意味を感じた。
気づけば、この仕事が好きになっていた。

そんなふうに、あとから天職になる仕事もたくさんあります。

向いているから続くのではなく、続けたから向いてくることもある。これは多くの人の現実ではないでしょうか。

自分にとって合わない場所から離れることも、誠実さである

もちろん、すべてを我慢して続ければいいわけでもありません。
心や体を壊すほど無理をしている。努力が尊重されない。自分らしさが削られていく。
そうした環境にいるなら、離れることもまた真面目な選択です。

ヴェーバーのいう「召命」は、ただ耐え続けることではなかったはずです。自分に与えられた力を、もっともよく活かせる場で生きること。そう考えるなら、環境を変えることにも十分な意味があります。

天職を探す、わたしたちへ


わたしたちは、天職を探しているようで、
本当は「自分の人生を引き受けられる場所」を探しているのかもしれません。

これは大冒険にちがいありません。
だから、まだ見つからなくても大丈夫です。迷っていても大丈夫です。履歴書が白紙でも、キャリアが遠回りでも、遅すぎることはありません。

仕事は、人生のすべてではありません。
けれど、人生の時間の多くを占める大切な営みです。だからこそ、真剣に悩んみながらでいい。じっくり納得できる場所を探していい。何度もやり直していい。

天職とは、選ばれた人だけに与えられる奇跡ではなく、悩みながら歩いた人の先に、少しずつ形になるものなのだと思うのです。

今日の仕事も、その次の仕事も、新たな出会いがありますようにと祈りをこめて。




この記事が参加している募集