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「自分の気持ちをわかってほしい」から自由になる



「どうしてわかってくれないんだろう。」


私たちは誰でも、一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。


家族、友人、恋人に。

そして職場の同僚にも。


自分の気持ちを伝えたのに、うまく伝わらない。

むしろ誤解されてしまう。

そんな経験は珍しいことではありません。


私自身も、以前は「わかってもらえないこと」に強い不満を感じていました。


これだけ説明したのだから理解してくれるはず。

これだけ一緒に過ごしたのだから察してくれるはず。


そう思っていたのです。

しかし、ある時から少し考え方が変わりました。


もしかすると、人は他人の気持ちを完全には理解できないのではないか。


そんな当たり前の事実に気がついたのです。


私たちは、自分自身のことですらよくわかっていません。


昨日まで好きだったものが急に嫌いになることもあります。

将来の夢が変わることもあります。

自分でも説明できない感情に振り回されることもあります。


そう考えると、他人が私たちの気持ちを完璧に理解できないのは当然なのかもしれません。


それでも私たちは、「わかってほしい」と願います。

もちろん、それは悪いことではありません。


人間は社会的な存在です。

誰かに理解されることで安心します。

認められることで勇気が出ます。



問題なのは、「わかってもらえなければ幸せになれない」と考えてしまうことなのではないでしょうか。


自分の価値を他人の理解に委ねてしまう。

すると人生は苦しくなります。



相手の反応に一喜一憂し、期待どおりの言葉が返ってこなければ落ち込み、ときには怒りさえ感じるようになります。


しかし不思議なものです。

「完全にわかってもらうことは無理だ」

と受け入れた瞬間、人は少し自由になります。


相手が理解してくれなくてもいい。

もちろん理解してくれたら嬉しい。

でも、それが人生の必須条件ではない。

そう思えるようになるのです。

自由とは、好き勝手に振る舞うことではありません。


他人の評価や反応に縛られすぎないこと。


それも一つの自由です。

間違えてはいけないのは、他人の評価を自在に操る事が「自由」なのではないということです。



私たちは時々、自分の人生のハンドルを他人に渡してしまいます。



「わかってくれたら前に進める。」

「認めてくれたら挑戦できる。」

「応援してくれたら始められる。」


でも本当は、逆なのかもしれません。


まず自分が前に進む。

まず自分が認める。

まず自分が始める。



すると不思議なことに、後から理解者が現れることがあります。


誰にもわかってもらえないと思っていた経験が、誰かの励ましになることもあります。


だから私は最近、「わかってほしい」という気持ちを否定しなくなりました。


その気持ちは自然なものです。


ただし、それを人生の条件には絶対にしない。


わかってもらえたら嬉しい。

わかってもらえなくても生きていける。


そのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。



自分の気持ちをわかってほしい。


その願いを手放すのではなく、少しだけ軽く持ってみる。


すると私たちは、他人の理解を待つ人生から、自分で歩く人生へと進むことができます。


そして、そのとき初めて本当の意味で自由になれるのだと思います。