答え合わせは、あとから― 選んだ道も、選ばなかった道も、人生になる ―
道に迷うたび、人は考えます。
「どちらを選ぶのが、正解だろう」と。
就職。 結婚。 転職。 引っ越し…。
人生の分かれ道に立つたび、私たちは目を凝らします。
どちらの道の先に、しあわせが待っているのか。
どちらを選べば、後悔しないですむのか。
まるで、道のどこかに
「正解」という札が立てられているかのように。
そして、選んだあとも考えるのです。
あの時、違う道を選んでいたら…と。
あの会社に入っていたら。
あの人と一緒になっていたら。
あの街に住んでいたら。
選ばなかった道は、いつも少しだけ美しく見えます。
歩いていないから、雨の日を知らない。
歩いていないから、つまずいた石を知らない。
遠くから眺める道は、
晴れた日の景色しか見せてくれないのです。
でも、自分の人生をゆっくり振り返ってみると、
大切なことに気づきます。
あの時選んだ道が正しかったから、
今があるのではない、と。
迷いながらも、 泣きながらも、
時には立ち止まりながらも、
その道を、自分の足で、
自分の人生として歩いてきたから、
今の私がいる。
思えば、選んだ瞬間の道は、
まだ「正解」でも「不正解」でもありませんでした。
その道で出会った人がいて、
その道でしか見られなかった景色があって、
その道だから流した涙があって。
歩いているうちに、いつのまにか、
その道は「私の道」になっていた。
正解は、選ぶ前にどこかに用意されているものではなく、歩いたあとに、自分の手で育てていくものなのかもしれません。
答え合わせは、あとから。
そして、丸をつけるのは自分自身です。
人生は、正解の道を探す旅ではなく、
選んだ道を、自分らしい物語にしていく旅。
物語なら、雨の日の章があってもいい。
道に迷った章があってもいい。
涙で文字が滲んだページがあってもいい。
その一ページ一ページが積み重なって、
最後には、誰とも違う一冊の人生になります。
選んだ道だけが、人生をつくるのではありません。
「あの時、あちらを選んでいたら」と考えたこと。
手放した夢。
叶わなかった願い。
歩かなかった道もまた、
今の私のものの見方をつくり、
誰かへの優しさを育て、
今の私という人間を形づくっています。
だから、選んだ道も、選ばなかった道も、人生になる。
どちらにも、無駄な時間はありません。
どちらにも、意味のない経験はありません。
だから今日も、私は歩いていきます。
いつか未来のどこかで振り返ったとき、
「ああ、この道でよかった。」
そう思えたなら、それで十分。
そして、その日はきっと、
こんな言葉が口をついて出るのでしょう。
「ああよかった。今日も生きている。」
