「偽物だろうが本物だろうが、関係ない」|葬送のフリーレン
アニメ『葬送のフリーレン』では、歴史を学ぶことの重要性と同時に、人間の記憶の儚さや歴史の風化についても繰り返し描かれている。
さらに私は、この物語における歴史に関するもう一つのテーマとして
「歴史の書き換え」があると考えている。
英雄たちに対する人々の伝承や理想投影は、事実を歪め、都合よく歴史を作り変える。
S1E12『本物の勇者』に出てくるストーリーが、特に顕著な例だ。
フリーレンのパーティは、剣の里と呼ばれる町にやってくる。
剣の里の近くの聖域には、かつて、女神様が授けた勇者の剣が刺さっていたという。
『勇者の剣』を引き抜けるのは「世界を滅ぼす大いなる災いを打ち払う勇者のみ」という言い伝えがあり、歴史上の、どの英雄も抜くことができなかった。
その『勇者の剣』を引き抜くことができたのが真の勇者ヒンメルだった、というところまでが、歴史上の英雄ストーリーとして伝承されていた。
しかし、フリーレン一行が剣の里に着いてからすぐ、実は勇者ヒンメルは、『勇者の剣』を抜くことができなかったのだ、という事実が明かされる。
回想シーンでは当時のヒンメルが、こんなことを言う。
「僕は魔王を倒して、世界の平和を取り戻す。
そうすれば、偽物だろうが本物だろうが、関係ない」
事実、ヒンメルは魔王を倒す。
そして真の勇者となる。
本来であれば、「魔王を倒した」という事実以外に、その功績を装飾する必要はないはずだ。
しかし、そのヒンメルが魔王討伐に使った剣は、『勇者の剣』のレプリカだった。
つまり、偽物だ。
「偽物」の剣で魔王を倒した勇者は、魔王を倒し、世界の平和を取り戻した、「本物」の勇者だ。
しかし、真の勇者なら抜けるはずだと言われていた『勇者の剣』を抜くことができなかった、という話とは、つじつまが合わない。
この事実は、後世で英雄を語る際に複雑すぎる。
人々を混乱させるかもしれない。
かっこわるい。説明が複雑だ。都合が悪い。
だから、秘匿される。
ヒンメルは『勇者の剣』を抜き、その剣で魔王を倒したのだ、という美しい物語が生まれ、伝承される。
これは、いわゆる「シンボル操作」にかなり近い危うさをはらんでいる、と私は思う。
政治的な意図を伴って使われることが多いシンボル操作は、英雄・伝統的なシンボルを示すことで、「疑うこと自体が不適切」という全体感・空気感をつくる。
もちろん、このヒンメルのエピソードにおいて
その意図は善良だ。
しかし、危ういのだ。
象徴的な記号に、人は弱い。操作されやすい。
だから私たちは、『勇者の剣』のエピソードから学ぶべきなのかもしれない。
「記号」や「象徴」が偽物だろうと本物だろうと、何かを成し遂げた事実とは、関係ないのだと。
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