第57回 他人(ひと)の為に尽くす心
【プロパン産業新聞 2022年8月16日】-長宗我部信親
天正14年12月、豊後国・戸次川(へつぎがわ)。秀吉による九州平定の緒戦、総大将を務めたのは秀吉最古参の家臣、仙石秀久だった。
大軍を投入する前の様子見を秀吉から命じられていたが、秀久は敵の挑発に乗り、同軍の長宗我部元親、信親父子の反対を押し切って渡河作戦を敢行した。
小勢と見せかけた島津の挑発に乗って敵中深くまで進軍した豊臣勢。島津は伏兵を周囲に配した必殺の戦法、「釣り野伏せ」の罠を仕掛ける。
右翼と左翼から殺到する島津勢の前に、秀久本体はあっという間に壊滅、総大将の秀久自身はあろうことか、味方を捨てて戦場を離脱、我が身一つで四国まで逃走した。
取り残されたのは長宗我部信親とその手勢700。が、戦史に残る「戸次川の戦い」はここから始まる。
配下思いで信望の厚かった信親が叫んだ。「俺はここを死所と決めた。お前たちは敵陣を突破し、何としても国もとまで落ち延びよ」
-その直後だったと伝えられている。配下700名全員の
「御供!」
の声がほぼ同時に戦場にこだました。主従700名ことごとくが一つの戦場で討死したという事例は、戦史を見ても類例がない。
死兵と化した信親主従の戦い振りに感嘆した島津は、後に信親の遺骸を丁重に元親のもとに送り返している。
未曽有の危機に際し、病気と称して雲隠れしたトップがいた。一方、命の危険に晒されながら、懐深く信頼の厚いリーダーのもと、一丸となって最前線で危機に臨んだ人たちがいた。
会社が潰れるという事態に際し、自らの罪を逃れるべく後任に全てを押し付けたトップがいた。その一方、多くの社員が転職していく中、最後まで残務処理に全力を尽くした社員がいた。
いったい、この差はどこから生まれるのだろうか。驕れる者、責任を全うする者、組織人として「何に向き合ってきたのか」-過ごしてきた人生そのものが出るのだろう。
己のことしか考えてこなかったか、お客様、取引先、仲間、他人(ひと)のことを想ってきたのか、両者を分けた違いはそこにあると私は思っている。
ガス事業者の多くは、先々代、先代から地域に根差し、人々の生活を支える地域事業者として、逃げずに戦ってきた。決して驕ること己惚れることなく、縁の下の力持ちとして、地域社会を支えてきた。
少なからぬオーナーが社員を愛し、家族同然に扱ってきた。どうかこれからも、そんな姿勢を堅持していってもらいたい。
己のことではなく、常に他人(ひと)の事を想い、向き合う心を。言葉に出さずとも、その気持ちは必ず伝わる。社員にも、そしてお客さまにも。
会社の不祥事の時、トップの姿勢が分かれます。本当に会社を愛してきたか、己の身のみを案じてきたか。東日本震災時の東電の社長と現場の長、そして『しんがり』で最後まで会社に残った社員。考えさせられます。
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