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よそ者が見えていて、地元の人が見えていないものがある


わたしは、生まれた場所に特別な思い入れがあるわけでもなく、地域の行事にも関心が薄く、どちらかというと「早く出ていきたい」と思っていた側の人間だった。だから「まちづくり」なんて言葉を聞いても、どこか遠い世界の話のように感じていた。自分には関係ない、誰かが熱心にやることなのだろう、と。

そんなわたしが、ある時期から少しずつ変わっていった。

きっかけは、しばらく滞在したまったく知らない土地での出来事。滞在先は縁もゆかりもない小さなまち。知り合いは一人もいなくて、最初の数週間は不安でいっぱいだった。でも不思議なことに、歩いているだけで目に飛び込んでくるものがたくさんあった。古い商店街のシャッターに描かれた絵。夕方になると一斉に灯る街灯の温かさ。坂道の途中から見える、海と空が溶け合うような景色。

「ここ、すごくいいところですね」

何気なく言ったその一言に、地元の人は驚いた顔をした。「え、これが?」という表情。そしてこう続けた。「こんなの当たり前すぎて、気にしたこともなかった」と。

まちづくりの世界には、「よそ者・若者・馬鹿者」という言葉があるらしい。変化のきっかけは、そういう人たちからやってくる、という意味だそうだ。最初に聞いたとき、肩の力が抜けるような、軽やかな響きだなと思った。

よそ者には、なぜ見えるのだろう。
きっと、まだ「当たり前」になっていないからだと思う。地元の人にとっての日常が、外から来た人の目には新鮮に映る。毎日通り過ぎている風景が、実は全国どこにもない特別なものだったりする。何気なく続けてきた習慣や文化が、別の場所から来た人にはまぶしい驚きだったりするのだ。

「こんなもの、どこにでもあるでしょ」と笑っているもの。それが、そのまちにしかない宝物だった、ということは、わたしたちが思っている以上に多い。

ただ、ここに小さな落とし穴があるような気がしている。よそ者が「外から正解を持ってくる人」になった瞬間、何かが静かに壊れてしまう。「こうすればいいのに」「なんでやらないんですか」。そんな言葉は、たとえ正しくても、どこか冷たい。長年そこで暮らしてきた人たちの時間や思いを、なかったことにしてしまうから。

だからわたしは、正解を届けるのではなく、一緒に驚く人でいたいと思うようになった。「これ、すごくないですか」と目を丸くして、隣で感動している人。そんな存在のほうが、きっと何かが始まるきっかけになる気がするのだ。

かつて「地元」に愛着のなかったわたしは、今、全国にたくさん「地元」を創りたいと思って活動をしている。自分の「地元」も今では愛せるようになった。

どこかのまちのよそ者として、あるいは誰かにとってのよそ者を受け入れる側として。見えているものと、見えていないもの。その両方を大切にしながら、静かに関わっていきたい。




山田克基(こにー)
PRアドバイザー・コミュニティデザイナー・ワークショップデザイナー
京都を拠点に、企業・自治体・NPO・スタートアップの「きっかけ創り」に伴走しています。
🔗 燈スタジオ:https://akaristudio.jp


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