誰かが書いた譜面を、言われた通りに演奏することを拒否する:ヨハン・グリモンプレ監督『叛逆のサウンドトラック』作品評


※本稿は作品の内容に触れています。

■ ジャズ映画の姿をした、植民地主義の解剖

ルイ・アームストロング。ディジー・ガレスピー。ニーナ・シモン。アビー・リンカーン。マックス・ローチ。ジョン・コルトレーン。デューク・エリントン。チャールズ・ミンガス。オーネット・コールマン。これだけ名前を並べれば、ジャズ史を総覧する音楽ドキュメンタリーだと思うだろう。しかしヨハン・グリモンプレ監督の『叛逆のサウンドトラック』が156分かけて描くのは、ジャズそのものの歴史ではない。コンゴである。1960年6月30日、ベルギー領コンゴは独立する。パトリス・ルムンバは初代首相となり、植民地支配から脱した国家を自分たち自身の手で作ろうとする。しかし独立からわずか数か月後には権力を奪われ、1961年1月17日に殺害される。その背後でベルギー、アメリカ、CIA、国連、鉱山会社、冷戦下の東西両陣営が入り乱れる。そして、そこになぜかジャズが鳴っている。

2024年のサンダンス映画祭で世界初上映され、ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門の審査員特別賞〈シネマティック・イノベーション〉を受賞した本作は、その後、第97回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた。日本では2026年8月7日から公開され、日本公開版は156分である。しかし、この映画について賞歴以上に重要なのは、その形式だ。これは歴史を説明する映画ではない。歴史をジャズのように演奏する映画なのである。

■ 1960年、世界の多数派が変わった

1960年は「アフリカの年」と呼ばれる。多くのアフリカ諸国が次々に独立し、そのうち16か国が国連へ新たに加盟した。植民地を所有していた欧米列強が当然のように世界を決めていた時代に、突然、旧植民地側が国連総会で巨大な票田を形成し始める。これは単なる加盟国の増加ではない。誰が世界について発言する権利を持つのかという秩序そのものの変化だった。本作が面白いのは、この政治的地殻変動を静かな年表として説明しないことである。ニキータ・フルシチョフが国連で激しく西側諸国を非難する。アフリカの政治家たちが演説する。欧米外交官たちが顔を曇らせる。そしてその合間を縫って、ジャズが鳴る。国連という場所が巨大なステージに見えてくる。各国代表がソロを取る。誰かが割り込む。別の誰かが反論する。リズムが崩れる。また別のリズムが始まる。外交と即興演奏が同じ形式に見えてくるのである。

■ なぜコンゴだったのか

問題は、ベルギーやアメリカがなぜそこまでコンゴへ執着したのかである。答えの一つは地下にある。鉱物資源だ。銅。コバルト。ダイヤモンド。そしてウラン。現在のカタンガ地方にあったシンコロブエ鉱山を運営していたユニオン・ミニエールは、マンハッタン計画が調達したウランのおよそ3分の2を供給したとされる。つまりコンゴ独立とは、単に遠いアフリカの一国が宗主国から離れる話ではなかった。世界有数の資源供給地が、自分たちのものは自分たちで決めると言い始めた事件だったのである。だからルムンバは危険だった。彼が共産主義者だったからではない。冷戦下の西側が、独立した判断をするアフリカ民族主義者を親ソ的な脅威として読み替えたこと、そして何より、コンゴ人自身が自国の資源について決定権を持つ可能性が生まれたからだ。アメリカ国務省の公開史料にも、1960年8月からアメリカ政府がルムンバを権力から排除するため秘密政治工作を開始し、CIA内部では暗殺計画まで検討されたことが記録されている。実際の殺害そのものをCIAが直接実行したと確認されているわけではないが、アメリカがルムンバ排除を国家政策として進めていたことは、もはや陰謀論ではない。グリモンプレの映画が恐ろしいのは、この政治工作の隣で鳴っていた音楽を掘り起こすことである。ジャズだ。

■ 自由の音楽を、自由を奪う側が輸出する

アメリカは冷戦期、ジャズミュージシャンを文化外交へ利用した。ディジー・ガレスピーやデューク・エリントン、ルイ・アームストロングらを世界各地へ送り、これが自由なアメリカ文化だと提示した。確かにジャズほどその目的に適した音楽はない。即興。個人の表現。他者との対話。決められた構造からの逸脱。一人一人の声を残しながら、集団として演奏する。これほど自由というアメリカの自己像を象徴する音楽もない。しかし、ここに本作最大の皮肉が生まれる。そのジャズを生み出した黒人たちは、当のアメリカ国内で差別されていた。自由を宣伝する国家が、自国内では黒人から自由を奪っている。図式だけ取り出せば、ほとんど悪い冗談だ。アメリカ政府は海外へ向かって、ジャズを聴け、これが民主主義だと言う。だがそのジャズを演奏している黒人が帰国すれば、人種隔離の現実に戻される。本作が暴くのは、ジャズ外交の単純な偽善だけではない。もっと複雑である。なぜなら、ジャズそのものは偽物ではないからだ。アームストロングの音楽は本当に自由だ。ガレスピーの音楽も、コルトレーンの音楽も、ローチの音楽も国家宣伝のために生まれたわけではない。本物の自由を表現する音楽だからこそ、国家はそれを利用したのである。ここが恐ろしい。プロパガンダとは、必ずしも嘘を作ることではない。本物を都合のいい場所へ置くことでも成立する。

■ ルイ・アームストロングは「共犯者」だったのか

その矛盾を最も強烈に背負わされるのがルイ・アームストロングである。1960年から61年にかけて、アームストロングはアメリカ国務省の文化外交の一環としてアフリカを巡った。米議会図書館も、彼が国務省の支援でアフリカ各地を巡演したことを記録している。本作はさらに踏み込み、コンゴへ派遣されたアームストロングが、本人の知らないところでアメリカの政治工作を覆い隠す煙幕として利用されたと組み立てる。グリモンプレ自身は、アームストロングを無自覚なトロイの木馬と表現している。ここで映画は、アームストロングを簡単に断罪しない。そこがいい。彼はCIA工作員ではない。政治家でもない。演奏しに来たミュージシャンである。しかし、その演奏が国家によって別の意味を与えられる。これは芸術と政治の関係について非常に嫌な問いを突きつける。芸術家本人の意図が善良なら、その作品は政治から自由なのか。違う。作品がどこで演奏され、誰が金を払い、誰がそれを宣伝し、その背後で何が起きているかによって、芸術には本人の知らない政治的意味が付着する。国家は音楽を作れなくても、音楽の置かれる文脈を作ることはできる。

■ しかしジャズは、国家の所有物にはならない

だが、この映画が単なるジャズはCIAに利用されたという告発で終わらないのは、アビー・リンカーンとマックス・ローチがいるからだ。1961年2月。ルムンバ殺害への抗議として、リンカーンとローチらは国連安全保障理事会の場へ抗議者たちと乗り込む。映画冒頭から提示されるこの出来事は、本作全体の答えでもある。アメリカ政府がジャズを外交道具として利用する。すると今度は、そのジャズを作っている側の人間が、アメリカや国連へ反抗する。国家はジャズを所有できない。ここでジャズは宣伝装置から再び反抗の音楽へ戻る。この反転が素晴らしい。同時期のマックス・ローチとアビー・リンカーンには『We Insist! Max Roach's Freedom Now Suite』がある。タイトル通り、我々は要求する、自由を、今すぐにという音楽である。つまり国家が自由なアメリカの象徴として輸出しようとしたジャズは、その内部から、では、その自由を本当に寄越せと言い返してくる。自由を装飾品として使うことはできても、自由そのものを制御することはできない。『叛逆のサウンドトラック』において、ジャズとはそこまで含めた政治的存在なのである。

■ この映画はジャズについて語るのではなく、ジャズの構造で作られている

本作を156分の歴史講義として見ると、かなりしんどい。登場人物が多すぎる。国も多い。ベルギー。コンゴ。アメリカ。ソ連。国連。カタンガ。そこへルムンバ、モブツ、フルシチョフ、アイゼンハワー、アレン・ダレス、ダグ・ハマーショルド、マルコムX、アンドレ・ブルアン、コナー・クルーズ・オブライエン、そして大量のミュージシャンが次々に現れる。親切なドキュメンタリーなら、地図を出し、年表を出し、専門家が整理するだろう。グリモンプレはそうしない。演説から演奏へ飛ぶ。演奏からニュース映像へ飛ぶ。外交文書が出る。突然コルトレーンが鳴る。政治家が喋っている途中に別の時代へ移動する。そしてまた戻る。この編集自体がシンコペーションなのである。サンダンス映画祭が本作へシネマティック・イノベーションの審査員特別賞を与えた理由も、まさにこの万華鏡的で大胆な形式にあった。つまりジャズはBGMではない。編集原理なのだ。テーマが提示される。変奏される。一度消える。別の楽器が拾う。全然違う話をしていたように見えたものが、数十分後に再び戻ってくる。歴史を一本の直線として説明するのではなく、複数の出来事が同時に鳴っていたことを体験させる。だから映画そのものがジャムセッションのようになる。

■ それでも、この方法には危うさがある

ただし、この映画の圧倒的な形式には弱点もある。あまりにも気持ちよく編集されているのだ。ルムンバの演説。フルシチョフ。国連。戦車。死体。ジャズ。暗殺。コルトレーン。映像と音があまりにも鮮やかにつながるため、歴史的な悲劇そのものが一種の巨大なミュージックビデオの快感へ変換される瞬間がある。これは危うい。植民地主義によって実際に殺された人々の歴史を、クールなジャズ映画として消費してしまう可能性があるからだ。また、コンゴの物語をアームストロング、CIA、フルシチョフ、国連といった巨大な外部勢力から語りすぎれば、コンゴ人自身が再び世界政治の盤面に置かれた駒に見えてしまう危険もある。グリモンプレもそれを理解しているのだろう。だから映画はアンドレ・ブルアンの回想録から引かれた言葉や、コンゴ出身作家イン・コリ・ジャン・ボファンの言葉を重要な軸として置く。サンダンスの紹介でも、本作は政府文書やCIA関係者の証言だけではなく、彼らの声を組み合わせることで物語を構成している。それでも156分の情報量は凄まじい。観客が完全に理解することを、この映画は期待していないようにも見える。だが、それもまたジャズなのだろう。一度聴いただけで全部分かる必要はない。引っかかったフレーズを持って帰ればいい。

■ 「中立」という言葉ほど政治的なものはない

本作を見ていると、国連という存在も奇妙に見えてくる。国連は中立的な調停者であるはずだ。だが何もしないという判断も政治である。誰を承認するのか。誰の飛行場を閉鎖するのか。誰の軍隊を動かすのか。誰の要求を無視するのか。中立を名乗る組織の選択によって、一方だけが弱体化することはある。グリモンプレはルムンバ失脚を、西側諸国、ベルギー、CIA、企業利益、そして国連までが複雑に絡み合った政治過程として描く。映画の主張はかなり明確であり、完全な両論併記を目指してはいない。しかし、その偏りを弱点とだけ考える必要もない。この映画が問題にしているのは、そもそも我々がこれまで中立的な歴史として教えられてきたものの中に、誰の視点が埋め込まれていたのかということだからだ。歴史に無音部分などない。そこにも誰かの都合が鳴っている。

■ 『Soundtrack to a Coup d'Etat』という恐ろしい原題

原題は『Soundtrack to a Coup d'Etat』。直訳すれば、クーデターのためのサウンドトラックである。このtoが怖い。クーデターについての音楽ではない。クーデターに添えられた音楽なのだ。政治工作が進む。外交官が動く。CIAが動く。ルムンバが追い詰められる。その横でルイ・アームストロングが笑顔でトランペットを吹いている。まるで恐ろしい映画へ、最高に美しい音楽が付いてしまったようである。しかし、その音楽は国家の注文通りには鳴り続けない。アビー・リンカーンが国連へ乗り込む。マックス・ローチが叩く。マルコムXがルムンバを語る。音楽と黒人解放運動とアフリカの脱植民地化がつながっていく。国家が作ったサウンドトラックを、演奏者自身が途中から書き換えてしまうのである。

■ 終わりに ジャズは誰のものなのか

『叛逆のサウンドトラック』を見終えた時、ジャズとは何なのかという問いが残る。アメリカ音楽なのか。黒人音楽なのか。自由の象徴なのか。外交兵器なのか。抵抗の音楽なのか。おそらく全部である。だからこそ国家には完全に管理できない。ルイ・アームストロングを飛行機へ乗せ、アフリカへ送り、これがアメリカですと紹介することはできる。しかし彼のトランペットから出てくる音の意味まで、国務省が決定することはできない。それを聴いた人間が何を感じるのかも決められない。そして、同じジャズという言語を使ってアビー・リンカーンやマックス・ローチが国家へ反抗することも止められない。そこに本作の希望がある。政治権力は文化を利用する。企業も利用する。国家も利用する。革命家も利用する。しかし文化にはいつも、利用した側の意図から少しだけはみ出す部分がある。ジャズならなおさらだ。決められたコードがある。テーマがある。しかし演奏が始まれば、そこから外へ出ていく。誰かが別のフレーズを吹く。別の誰かが応答する。リズムがずれる。そして、そのずれから新しい音楽が生まれる。

ヨハン・グリモンプレは歴史を同じ方法で編集する。植民地支配があり、冷戦があり、CIAがあり、国連があり、資本がある。それらが世界のコード進行を決めていた。だが、その上で人間は勝手なソロを始める。ルムンバが演説する。アンドレ・ブルアンが闘う。マルコムXが声を上げる。アビー・リンカーンが国連へ押し入る。マックス・ローチがドラムを叩く。だから本作における叛逆とは、単なるクーデターへの反抗ではない。誰かによって決められた歴史の伴奏役になることを拒否することなのだ。自由を宣伝するためにジャズを利用した国家は、おそらく一つだけ計算を間違えた。ジャズとは本来、誰かが書いた譜面を、言われた通りに演奏するための音楽ではなかったのである。

監督・脚本:ヨハン・グリモンプレ
プロデューサー:ダーン・ミリウス、レミ・グレレティ
撮影:ジョナサン・ワニン
編集:Rik Chaubet
サウンドデザイン:ランコ・パウコヴィッチ、アレク・グースほか
出演:ルイ・アームストロング、ディジー・ガレスピー、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ニーナ・シモン、ミリアム・マケバ、ジョン・コルトレーン、デューク・エリントン、メルバ・リストン、エリック・ドルフィー、チャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、パトリス・ルムンバ、アンドレ・ブルアン、マルコムX、ニキータ・フルシチョフほか
原題:Soundtrack to a Coup d'Etat
2024年・ベルギー/フランス/オランダ・156分
2024年サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門審査員特別賞〈シネマティック・イノベーション〉受賞
第97回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート
配給:オンリー・ハーツ
2026年8月7日・日本公開

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