そして私は心のサポーターに
スポーツトレーナーの専門学校を卒業して、20代に運動指導をしていた私は、30歳で企業に入り、それまでとはまったく違う世界を知りました。
(詳細は下記の記事をご覧ください)
そして、30代後半に結婚して、出身地の東京からある地方へ転居しました。
元夫以外に知り合いのいない土地でしたが、子どもができれば地域との関わりも増えて、また違うだろうと考えていました。
でも、結婚したらできるものだと浅はかに考えていた子どもは一度稽留流産し、その後も授からなかったのです。
そのため、それならそれで、また仕事をしようと思い、2年の専業主婦期間を経て、就活をしました。
40代になっていました。
その土地は、医療と障害者支援、温泉と観光が盛えている土地でした。
自宅から近いところを、ハローワークの求人票で探したところ、なんと!病院の求人が!
それで、私はダメ元で試験を受けました。
見事合格!🙌
念願の〝病院〟で契約社員として働けることになりました🥹
元国立病院で、診療科数が30前後あり、その地域医療連携室の事務補助としてのお仕事でした。
正直に言って、地域医療連携室が何をするところなのかもよくわからないまま…ハローワークの求人票にあった業務内容だけを見て、ただの事務だと思って応募しました…入力とかFAX送信とか電話対応とかしか書いてなかったんですよね…
が、事務は事務でも、臨機応変に回す力も求められる、とんでもないお仕事でした💦
でも、周りの協力もありましたし、身体のことはスポーツトレーナーとして勉強していたので、大まかな知識がベースにあり、なんとか日々の業務をこなせるようになっていきました。
連携室のメンバーはソーシャルワーカーのMSWとPSW、退院調整看護師、私と同じ事務補助、私を入れて全部で5人。
地域の医療機関や介護施設や訪問看護ステーションの方々と、患者さんと、ドクターをはじめとした病院スタッフを繋ぐ役割で、毎日クルクルと働きました。
頭も身体も心もすべてフル回転させる毎日は本当に忙しかったです…💦
でもでもでも!
夢にまで見た病院スタッフです!
一員として働けるうれしさは計り知れず、忙しさよりうれしさと充実感の方が優っていました。
そしてまた、スタッフの皆さんが優しくて頼りになって、本当に最高でした✨
なのに…😭
事務補助は専門職ではないので、1年契約の更新は2回までと決められていました。
3年間勤務すると、また入社試験を受けなければならず、所属も元の部署に配属される保証はないとのことでした…。
連携室の仕事が大好きになっていた私には、他の部署で事務仕事をする気にはなれなかったのです。
そのため、子どもももう諦めようと考えていたこともあり、泣く泣く3年で病院を退職し、正社員として働けるところを探すことにしました。
そして、観光施設の求人を見つけ転職しました。
そのご縁から、ある社長の近くで働くことになりました。
この出会いが、私の人生を大きく変えることになったのです。
元々私は運動指導をしていたので、ダイエットやストレッチなど、日常的な健康管理に関する知識を持っていました。
そのため、その社長にも日頃からアドバイスをしていました。
しかし、その社長には後継者がおらず、60歳になるに当たって、「会社を売却して、売却したお金でのんびりと暮らして、海外を飛び回りながらしたい仕事だけをするようにしようと思う」と言い出しました。
そのように言い出すに至った背景も知っていたので、私は社長に協力することにし、社員たちには内密に、社長と私で売却に向けて動き始めました。
ところが、話が進むにつれて、社長に迷いが出てきました。
その会社は社長で数代目でした。
「私の代で、他人の手に渡していいのだろうか?」
「この会社の社長でなくなったら、今まで相手にしてくれていた人たちは相手にしてくれなくなるのではないか」
「会社を売却しようなんて、私のわがままではないだろうか?」
最初に決まりかかった会社との交渉の最中に、これらの考えや思いで、社長はまず眠れなくなりました。それから、思考がまとまらなくなりました。歩き回っていないといられなくなりました。そして、夜中に何十通ものLINEが届くようになりました。
これは医療機関を受診させた方がいいと思い、前職で培った知識とツテを使って、社長に知り合いの病院を紹介して、付き添いました。
医師に入院を勧められる程ひどい状態でした…。
それでも、社長の代わりを務められる人はいませんでしたし、社長自身が体調不良を周りに悟られることを嫌がりました。
そのため、私は、社長の家族にも内緒で、一緒に通院しました。
でも、私にできることはそこまででした…。
私は社長に、日常的な健康管理に関するアドバイスをしてきましたが、心が限界まで追い詰められている社長にどう対応したらいいのか、わからなくなっていました。
それで、今の状態の社長をサポートするには、精神的にサポートできる知識が必要だと考えました。
そこで出会ったのが、アメリカ発祥のNLPでした。
「脳と心の取扱説明書」とも呼ばれる実践的な心理学です。
実践的というところに惹かれて勉強し、「米国NLP協会™認定 NLPマスタープラクティショナー」という資格を取りました。
私のカウンセラーとしての道はここから始まりました。
ただ、社長の心のサポートをしたい一心で飛び込んだ世界でした。
でも、私のそれまでしてきた様々な仕事に共通するところがあったのです。
だから、遠回りをしたけれど
これが私にできる
私の求めていた仕事
なのではないかと感じました。
私が選択してきたのだから、私らしい道なのは当たり前なのかもしれませんが、想いは一貫していたんだなぁと、しみじみと思っています。
あの社長とのことがなければ、おそらくカウンセラーの仕事はしていなかったと思います。
そして、何年もかけて無事に会社は売却され、社長の様子も少しはよくなったようです。
私はというと、産業カウンセラーの資格も取得して、今こうして、ある企業専任のカウンセラーやコンプライアンス相談窓口の相談員として、働いています。
子どもの頃は病気の人を助けたいと思い、健康運動実践指導者として身体を支え、そして今は、産業カウンセラーとして、対話を通して心をサポートする仕事をしています。
形は変わりましたが、「目の前の人の力になりたい」という気持ちは、あの頃から変わっていません。
だから私は、今この仕事をしているのだと思います。
