“できる人”だけが犠牲になっている
うちの会社の退社前の恒例行事
「明日の打ち合わせは何時からだった?」
「14時から、◯◯さんとオンラインです」
翌朝。
「今日の予定はどうだったっけ?」
「14時から、◯◯さんとオンラインです」
「あーそうだったそうだった。ここに書いてたね」
ホワイトボードに貼ってあるメモを見て、つぶやく。
(……なら、聞くなよ)
ここまでが、私たちスタッフのルーティン。
うちの会社には、高齢のスタッフがいる。
肩書きだけはあるから、外部との打ち合わせも入る。
予定の管理が自分でできないからサポートしてほしいと言われて、対応し始めた。
本来の業務もあるから、
複数のスタッフで分担している。
クラウドのカレンダーで予定は共有している。
それでも「自分には分からない」と言われ、
ホワイトボードにメモを貼ることになった。
予定が入るたび、
誰かがクラウドに登録し、さらにメモを貼る。
でも、
本人はそのメモを見るという日課を忘れてる。
日にちや曜日の感覚も怪しいので、
カレンダーのように並べて貼ってみる。
こちらとしては見やすくしているつもりでも、
結局、理解されていない。
自分の予定を把握できていないのに、
電話で勝手に予定を入れてしまい、ダブルブッキングすることも。
その尻拭いで、
また代わりに電話をかけ、メールを送る。
気を利かせて先回りすると、不機嫌になる。
重要度の判断はなく、
目先のことが常に最優先。
自分の要件が最優先されないと、また不機嫌。
スタッフがぽつりとつぶやく。
「……子どもかよ」
正直、2、3歳の幼児レベルだと思うこともある。
なんで私たちは、
本来の業務以外に、こんなことをしているんだろう。
先回りして、
尻拭いして、
代わりに回している。
「秘書募集、って求人出したいね」
誰かが冗談めかして言う。
いつまで続くんだろう、と不安になる。
その一方でスタッフ同士で、「永遠ってことはないからさ」って自虐的に笑い合う
会社という組織の中で起きているから、
これらは「業務」に見えているけれど、
もしこれが家庭の中だったら?
「親の面倒を見るのは当たり前」
そう言われて、
“できる人”が自分を犠牲にして世話をする。
それがなければ、とっくに崩壊している。
ああ、そうか。
できちゃうから、やらされちゃうんだ。
「できません。私にも生活があります」
そう言えたらいいのかもしれない。
でも、
家庭内と同じく、
いや、それ以上に、
会社という場では、簡単には言えない。
だから私たちにできる精一杯は、
無駄に思える指示を最低限まで省力化して受け流し、
本来やるべき仕事の時間を確保すること。
私も含め、主婦が多い職場だからこそ、
できてしまっているのかもしれない。
気が回る。
先回りできる。
正解のない状況でも、なんとか回そうとする。
誰か一人に負担が集中しないように。
崩壊しかけているのに、
それでも形を保っているこの会社は、
案外、社会の縮図なのかもしれない。
