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<5分音声>【Voicy EPISODE AWARD 2025】今年イチ番聴いてほしい放送は<あだち充の「タッチ」に青春を狂わされた人々へ>だ

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『人生の経営戦略』『ビジネスの未来』『武器になる哲学』といったベストセラーを世に放ち影響力を確立し、慶應義塾大学卒業後、電通を経てボストン コンサルティング グループで戦略コンサルタントとして実務経験を積み、独立後は講演・教育・執筆活動を通じて、経営の世界にリベラルアーツという新たな軸で多大なインパクトを与えてきた。

――そんな山口周氏が一方で、あだち充の『タッチ』について「青春を狂わされた!」と叫び散らかす回がある。経営も哲学もすべてどこかへ吹き飛び、ただの一読者として、青春の時間も感情も思考も『タッチ』に、そして南ちゃんに持っていかれた悔しさを、「何かがオカシイ!」と全身で叫び、訴える。その暴走ぶりに「アンタ、何言ってんだ!?w」とツッコミを入れずにはいられない。そこにいるのはビジネスにリベラルアーツを説く論客ではなく、物語に本気で人生を狂わされてきた、ただの一人の読者としての山口周であり、それがひたすらにおもしろい。

コミュリーマンによる「Voicy EPISODE AWARD 2025 今年1番聴いてほしい放送はこれだ」への推薦文

ミレニアム世代のビジネス・パーソンである私は、「お前『タッチ』も読んでいないのか」といった大人たちの言葉を、若い頃から繰り返し浴びせられてきました。半ば威圧であり、今で言えばハラスメントに近いものです。

しかし『タッチ』を読んだことに後悔はありません。素晴らしい作品であることに異論の余地などないからです。ハラスメントは許されるものではありませんが、同時に、優れた作品に触れる機会を与えられたのも事実です。

自分で選び取ったわけではないにせよ、そして「知らずに済ませてしまう」という選択肢を許されなかったからこそ、後になって文化的な共通基盤として共有できる「作品」を、私は受け継いできたのだとも言えます。

ですから私はいわゆる「タッチ世代」ではありません。漫画『タッチ』の連載開始は1981年、テレビアニメの放送開始は1985年ですから、コアとなる読者・視聴者はおおよそ1970年前後、つまり1965〜1975年生まれの人々だと考えられます。現在、50歳から60歳前後の世代でしょう。したがって私の投票動機が「タッチが取り上げられていたから」ということはあり得ません。

では、いったいなぜ<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>に投票したのか――。

やはり私は「お笑い好き」なのか、それとも「お笑い欠乏状態」にあるのか、はたまた、まったく別の理由なのか。Voicyについて、私がまとまった時間を捻出して聴けるのは山口周お師匠さんの放送だけなのですが、空いた時間で今年を振り返ってみたところ、上記の放送を Voicy EPISODE AWARD 2025 における「今年イチ」として、先ほど投票するに至りました。

後に解説しますが、音楽に関する二つの放送と、本当に迷いに迷った末での投票でした。美意識から生まれる私の心の琴線は、明確に「その二つのうちのどちらかに投票せよ」と訴えていたのですが、感情を排し、「今年イチ」という評価軸だけで判断すると、やはりどうしても<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>に、投票せざるを得なかったのです。

私の主観のみで説明をさせていただくと、お師匠さんの Voicy の投稿については、その85%が「ビジネス=経営科学 × 人文科学」のお話、14%が「音楽」「映画」などアート領域にまつわるお話、そして1%――そう、上に添付したこの投稿だけは、完全に「お笑い」として仕上がっているのです。

簡単に説明しましょう。まず、この放送は「二部構成」です。前半は「M-1グランプリ」、後半は「キングオブコント」であると想像してください。

昨今の「お笑いショーレース」は、放送後のメディアやSNSでのバッシングを恐れてか、客席や視聴者に阿った審査が目立つようになり、観るに堪えないお祭りへと成り下がってしまいました。しかし本来は、審査員一人ひとりの「主観」がぶつかり合うことで、そこに緊張感が生まれていたはずです。それが時に不穏でも、時に理不尽でも、だからこそ刺激的でもありました。

ですから今ではもう観ていないので、私のたとえ話としては10年以上前の大会のものになります。そして一般に、こうしたショーレースというのは、出場者のネタが拮抗し、「審査が難しい年」であると評されることの方が多いものです。ところが稀に、「楽な審査だった」と語られる年も存在します。

「M-1グランプリ」でいえば、稀に生まれる「楽な審査だった」年の好例として、私にとって記憶に残っているのは、アンタッチャブルが優勝した2004年と、チュートリアルが優勝した2006年です。他の年と比較すれば一目瞭然なのですが、この二年は、明らかに「優勝前にすでに優勝が決まっていた」と言ってよい年だったと断言できます。

多くの年では、審査員による「最終ジャッジの結果」として優勝者が決まり、その後で私たち視聴者がそれを追認する、というプロセスを辿ります。しかしこの二年に限っては、舞台上のわずか4分に満たない時間で勝敗が先に決着してしまっていた――そんな特異な年でした。それが、<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>における、前半部分の構成です。

そして後編部分。ここについては、私はもう「完全に構成として狙っている」と断定します。ご本人は「混乱している」と言っているのにもかかわらず、です。ではいったい、どうして断定するのか。

後半は「キングオブコント」になぞらえますが、この大会には、もはや説明不要とも言えるほど明確な「伝説の年」が存在します。お笑いに明るくない人であっても、「なんて日だ!」という一言を聞けば、ほぼ反射的に思い浮かぶ年があるはずです。そう、バイきんぐが優勝した2012年大会です。

ここからは文字通り「ネタバレ」の概要説明です。この年、バイきんぐは「卒業生」と「帰省」という2本のネタで決勝に臨みました。1stステージで「卒業生」が、1000点満点のうちの967点、2ndステージで「帰省」が974点を獲得し、合計1941点。当時の大会史上最高得点を記録しての優勝です。

決勝で披露された「帰省」というのは、むかし家を出て行った「娘」が、久しぶりに父親のもとへ戻ってくる、という設定で始まります。しかし帰ってきた「娘」は、いつのまにか「息子」になっており、借金があり、結婚しており、子どもまでいる。事実が一つ明かされるごとに状況は悪化し、もう引き返しはきかない。事態は止まらず、「お前止まんねーなっ!」という叫び声が、ブレーキではなく、火に油を注ぐ一言になっていきます。

父親の理解のなさに憤慨した息子(元・娘のケイコ)は、「お父さんじゃ話にならない!お母さんは!?」と問い詰めます。すると――なんと母親は、その日の朝、駆け落ちして出て行ってしまっていたのです。不幸というのは畳みかけてやってくるとは言いますが、これでは、あまりにも惨い――。

しばらくの沈黙ののち、父親がついに大爆発する。それが――あの伝説的な名ツッコミ「なんて日だ!」です。

家族の幸せを願って、ただそれだけを信じて必死に生きてきた。なのに妻は不倫の末に出て行った。しかも同じ日、自立した娘が帰ってきたと思ったら、性別は変わっているわ、借金はあるわ、子どもまでこさえているわ。――いったい、どういうことなんだ。何が、どこで、間違ったんだ。

ここまでを、<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>に照射して捉え直してみましょう。私が「M-1グランプリ」で例えた「前半パート」、これは、お笑いのセオリーでいう フリとオチを巧みに用いています。最初に「やめろ!」「絶対にダメ!」と強く禁止することでフリを作り、その後で予想どおり本当にやってしまうことで「やりやがった!」というオチの回収をします。「どうせやるだろう」と分かっていることを、その通りに行う。予定調和に対する裏切り方で、笑いを誘います。

そして後半部分を語るにあたり、あらためて『タッチ』の物語を簡単におさらいしておきます。

『タッチ』は、双子の兄弟――上杉タツヤと、上杉カズヤ、そして隣に住む同い年のヒロイン、浅倉ミナミという三人の幼馴染が、思春期を迎えて互いを異性として意識し始め、微妙な三角関係のまま高等部へと進んでいく、そんな青春スポーツ物語として幕を開けます。

要領だけはいいが、何事にも本気になれない兄・タツヤ。スポーツにも勉強にも全力で打ち込む、努力家の弟・カズヤ。「甲子園につれてって」というミナミちゃんの幼い頃からの夢を叶えるため、カズヤは一年生にして野球部のエースとして活躍し、ミナミちゃんはマネージャーとして彼を支えます。

しかし――ミナミちゃんが異性として想っていたのは、弟ではなく、ダメな方である兄の「タツヤ」でした。

しかしタツヤには、自分が努力を怠ってきたという自覚があります。ですから、ミナミちゃんと両想いでありながらも、その気持ちと正面から向き合いきれずにいます。さらに、家族同然に育ってきた三人の関係を、自分のせいで壊してしまうことへの怖さも抱えています。

一方のカズヤは、ミナミへの想いを隠さず、異性としての本格的なアプローチを開始します。同時にタツヤに対しても、「この恋の戦いから逃げるな」と真正面から向き合うことを促し、そしてこの勝負で先取点を取るために、「まずはミナミを甲子園へ連れていく」と二人に誓う。――しかし、地区予選決勝へ向かうその途中で、運命は残酷な形で歯車を狂わせる。

――と、ここまでは、『タッチ』世代ではない私たちの誰もが知っている、漫画史に残る伝説的なワンシーンです。<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>では、前半でこの場面にまつわる「裏側の事情」を、爆笑とともに喋り倒します。そして、この「笑ってしまう裏話」こそが、後半で訪れる出来事に向けた、あまりにも残酷で、あまりにも巧妙な「前フリ」になっている――そこが、とにかく憎い。もちろん、好い意味で。

まさに――「何かがオカシイ!」。

あとは、ご自身の耳でお確かめください。

上方のトークスキルは「小さいネタを大きく展開し面白くする」そうです。この意識に「書評の稽古」も兼ねて書いてみましたが、いかがでしょう?

コミュリーマン


「今年イチ」について

「喋るって、こんなにエネルギー使うんだ」と知った今年


<自分に飽きたらどうするか?>

Voicy EPISODE AWARD 2025 の発表があった瞬間、「今年イチは<自分に飽きたらどうするか?>でしょうっ!」と、即決しかけたぐらい、素晴らしい放送です。結果的に投票しなかった理由については、前述したとおり<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>を選んだからですが、この放送では「10代の頃は放っておいても世界の方から素晴らしいものを教えてくれていた」という話が語られています。

こういうのは「個人の価値観」の話なので、記憶を辿って考えてみるのが愉しいですよね。よろしければ皆さんも、「過去からの新しい発見」について、一緒に考えてみませんか?

映画について振り返ってみると、私の場合『ダークナイト』に「正義に伴う理不尽さ」を、『ジョーカー』に「虐げられ続けた弱者の覚醒」を、『マネーショート』には「エリートによる究極の愚かさ」を、『関ケ原』には「成功のための敵の育て方」を、『孤老の血』には「本物の漢と未熟な自分」とを観ており、ヘビーローテーションしています。たいへん素晴らしい作品たちですが、これらは大人になってからの視聴体験ですから、対象外です。

『ショーシャンクの空に』『ゴッドファーザー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』らもとても素晴らしい作品ですが、こちらも同様に大人になって、しかも自分から「重い腰を上げて観た作品」です。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『天使にラブソングを』、『ゴースト』なども素晴らしいですが、「10代の頃は放っておいても世界の方から素晴らしいものを教えてくれていた」という感覚とは違う。『ハリーポッター』シリーズ、スタジオ・ジブリ作品、思い浮かぶ作品はさまざまあるも、「世界の方から教えてくれた」という感覚はない。

『シティ・オブ・エンジェル』と『戦場のメリークリスマス』と『ニュー・シネマ・パラダイス』が該当しますが、これは以前に何度も書いたり話たりしているから、おっと・・・「過去からの新しい発見」というのは、なかなか難易度が高いですね(笑)。これは別の記事で別の企画にしましょう。


<昔のアニソンは良かった、と言いたくない>

皆さんには、ご自身が幼少期に「好きだった」アニメソングはあるでしょうか。私の世代で言えば、『ドラゴンボール』、『スラムダンク』、『幽☆遊☆白書』といった作品の主題歌が、まず思い浮かびます。少し年齢層を広げれば、『忍たま乱太郎』や『ドラえもん』も加わるでしょう。特撮を含めるなら、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』も外せません。あるいは、『残酷な天使のテーゼ』や『千本桜』を挙げる方もいるかもしれません。

私自身について言えば、一曲だけ選ぶとしたら、『劇場版 名探偵コナン から紅の恋文』のエンディングテーマ、倉木麻衣さんの『渡月橋 ~君 想ふ~』です。実のところ、倉木さんの歌唱力や音楽性が特別に好みだったわけでもありません。では、なぜこの曲が好きなのかと問われると、自分でもうまく説明できないのです。

気がつけば、曲名の由来になった「渡月橋」という場所まで、いつの間にか好きになっていました。ーーあ、この曲は、大人になってから好きになった曲でした。それぐらい、思い出せないです(※投稿後に『ルパン三世のテーマ』を思い出しました)。

では、ここで少し問いの「角度」を変えてみます。

実際に幼少の頃に触れ、そして今もなお音楽的に本当に素晴らしいと思っているアニメソングは何か?」と訊かれたら、皆さんは即答できるでしょうか。正直に申し上げて、私はなかなか思い浮かびません。流行ったから知った。知ったから聞いた。聞いたら自分の好みだったか、あるいは自分の世界観が広がった。だから「好き」になった経験なら何度もあります。しかし「音楽的に素晴らしいか?」と問われると、どうでしょう。

コロナ禍の最中に爆発的ヒットとなり、社会現象にまでなった『紅蓮華』のような楽曲があります。多くの人に愛され、記憶にも残っています。ただ、それを「音楽的に素晴らしいか?」と問われると、どうしても言葉に詰まります。嫌いではない。流行った理由も分かる。けれど、無条件に「名曲」と呼べるかと言われると、躊躇する。その程度の距離感ではないでしょうか。

冒頭で述べた通り私は、上の世代の大人から「お前『タッチ』も読んでいないのか」と繰り返し圧力をかけられ、結果、半ば強制的に読まされたと説明しました。それは決して穏やかな「おすすめ」ではなく、今の言葉で言えばハラスメントに近いものですから、プロセスは許しませんが、『タッチ』を読んで感動したという結果には、満足も感謝もしています。

ところが、同じ人物であっても、彼らが「現代の大人」になったいま、状況は一変しました。彼らはもう、若者に対して「知らないこと」を理由に圧力をかける側には立てません。逆に、流行を知らない自分に焦り、取り残されることを恐れる側になりました。かつて存在していた、強制的な文化の継承が消え、その代わりに「自分が遅れているとは思われたくない」という不安だけが、個々人の内面へと深く入り込んでしまったのです。

かつての「オジサンA」は、おそらく「最近の若者はけしからん。流行だなんだと追いかけて、甘いんじゃないか」と内心で苛立っていたはずです。実際、吐き捨てるように言葉にしていました。ところが、その同じ「オジサンA」が、今や誰よりも流行を追いかけ、若者の視線を気にし、取り残されることを恐れている。そうした場面に、私たちは今、日常的に出くわします。

こうした現象から冷静に考えるなら、そもそも「成熟した大人」など、実際にはほとんど存在しなかったのかもしれません。その多くは、実のところ、年齢を重ねただけの子供だったのでしょう。頭脳は子供のまま、身体だけがオジサンになった存在です。彼らは「素晴らしい音楽」を目指すことよりも、「流行る音楽」を選びました。子供と、そして一緒に聞く母親に好かれそうな音ばかりをなぞり、売れる形に整えることを、です。そしていつしかこれを「創作=クリエイティビティ」と呼ぶようになっていったのです。

そうした種類の創作は、いまや人間である必要すらありません。過去のヒット曲を学習し、流行のパターンを抽出し、それを最適化された形で再合成する――その作業に関しては、すでにAIのほうが人間よりも正確で、しかも速くて、そして――「圧倒的に安い」。私たちは「再現できるもの」に関しては、ほぼ機械へ代替できるようになりました。

かつて人間にしか担えないと信じられていた創作とは、いったい何だったのでしょうか。たとえば映画音楽の世界には、『My Favorite Things』のように、半世紀以上にわたって繰り返し演奏され、聴かれ続けてきた楽曲があります。そうした音楽は、記憶に刻まれ、私たちの一部になっていく。いま私たちは、そうした音楽を、なお生み出せるのでしょうか。それとも、その条件自体はすでに、失われてしまったのでしょうか。

「交響曲を書ける人が、もう存在しない」という言い方は、さすがに言い過ぎかもしれません。ただ少なくとも、「売れるかどうか」という問いから切り離された場所で、「百年後に残るかどうか」を基準に音を組み上げていく営みは、社会の中心からはほとんど追い出されてしまったのでしょうか。

こうした複雑で構造的な問いを得られた点が、最も<あだち充の『タッチ』に青春を狂わされた人々へ>と、どちらに投票するか迷った理由です。あわせて、『My Favorite Things』は私自身がともと好きなこともあって、「優良プランでは、こうしたご自身の好きなモノゴトだけを話すのはいかがだろうか?」と考えてしまう次第。聴きたい人は、少なくないはずですからね。


過去からの新しい発見

未来だけを見つめて、前へ前へと前進しようと凝視ばかりをしていると、科学と技術の進歩の速度に視界を奪われ、世界はかえって細く、浅く見えてしまい、私たちの思考は次第に単線化していきます。そのただ中にあって私たちは、知らず知らずのうちに、不安だけを抱え込むようになります。

この現状が、誰からも指摘されないままになっていることが「問題」なのではないでしょうか。だから私たちは、立ち止まって選び直すこともできないまま、前へ前へと進んでしまっているように思えるのです。

一度立ち止まって振り返り、過去へと視点を転じてみると、そこには気の遠くなるほどの厚みをもった歴史が幾層にも折り重なって、広大な海のように広がっています。その海を一度見渡してから進むことと、何も見ずに前へ急ぐことは、同じ「前進」でもまったく別の可能性を秘めるのだと思います。




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