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“生きづらさ”を抱えて生きるには、社会はあまりにも厳しすぎるけど

2025年──
私たちの暮らすこの国には、静かに、でも確かに「生きづらさ」を抱えて
いる人が増えているように感じます。



振り返れば、日本は戦後の焼け野原から奇跡的な復興を遂げました。



敗戦の悔しさもあったのでしょう。「いつか見返してやる」という思いで、日本全体が一丸となって働き、かつては世界のトップにまで登りつめた時代もありました。



先人たちは、物質的な豊かさを追い求め、朝から晩までがむしゃらに働くことで、「幸せ」を手にできると信じていました。



けれど、バブルがはじけてからというもの、日本人の給料は30年以上にわたり横ばいのまま。



さらに、ここ1年で急激に物価が上がり、「食べるのもやっと」という人々の声が、あちこちから聞こえてきます。



「誰でも辛い時はあるよ。だから頑張って」そんな励ましさえ、もはや届きにくいほど、世の中はあまりにも厳しくなってしまったのではないでしょうか。




お上に期待しても何も変わらない。今日を生き抜くことだけで精一杯。



「なんでこんな日本になってしまったのだろう」「命がけで戦った先人に
申し訳ない」



そんな思いと同時に、自分の力のなさに打ちのめされ、心が沈むこともあります。



「生きづらい人」が増えている背景には、戦争の記憶──その“見えない爪痕”が、いまだ私たちの中に根強く残っているからかもしれません。




私の祖父は、ルソン島近くの海の上で戦死しました。



戦後、手元に返ってきたのは、骨ではなく「爪と石ころ」だったと聞いています。



その事実を思い出すたび、胸がかきむしられるような思いになります。



祖母は、そんな祖父のいない時代を、准看護師として働きながら、ふたりの息子──私の父と叔父を育ててくれました。



一時期は親戚の家に間借りしながら、食べるのもやっとという生活の中で、それでも懸命に生き抜いてきた。



私は、その姿に、ただただ深い尊敬の念を抱いています。




そんな戦争の“心の傷”を抱えた世代が、やがて大人になり、子どもを育てていく中で──



「厳しくしつけるのは当たり前」といった価値観が、ごく自然なものとして引き継がれていったのも、ある意味で無理のないことだったのかもしれません。



常に頭をフル回転させて生き延びる、「サバイバル状態」のような日常。



社会全体もまた、そうした空気に包まれていて、「生きづらさ」が芽を出していても、それに気づけない人のほうが多かったのでしょう。




近年、日本における死亡原因の上位には「自殺」が含まれています。



海外からは、「どうして裕福な日本人が自ら命を絶つのか?」と不思議に思われることも多いようです。


私は、そこにあるのは“豊かさ”ではなく、思いやりが欠けた社会で生きる“孤独”なのだと思います。



「今だけ」「金だけ」「自分だけ」そんな考えが蔓延して、「思いやり」
という高い精神性が、少しずつ失われていった。



それもまた、社会の生きづらさに拍車をかけているのかもしれません。




そして、頑張りすぎて脳が疲れてしまうと、かかってしまうのが「うつ病」です。



この病気は、じつは“治りかけ”の時が一番危険なのだそうです。



心がほんの少しだけ動けるようになったときに、自分を責める声が強くなり、命を絶ってしまう方もいると聞きます。



私自身も、一度「死」を考えたことがありました。



橋の上で自転車をこいでいるとき、「ここから落ちたら死ねるかな」
とふと頭をよぎったことがあります。



でも、その瞬間に「死んだら親が悲しむ」と思いとどまりました。



疲れ果てた脳は、考える力を失い、光がまぶしく、人が怖くなる。



「私なんか、生きていても誰の役にも立たない」そんな想いに、ずぶずぶと
沈んでいきました。





「誰かに助けを求めたら?」そう思われるかもしれません。



けれど、そのときの私は、そんな考えすら浮かびませんでした。



「自分でなんとかしなきゃ」と、ひとりで必死にもがいて、苦しみから
抜け出せずにいました。



やがて、心の底にまで沈み、「もうダメだ」と限界を迎えたとき、ようやく、「自分を守らなきゃ」という気持ちが芽生え、人の手を借りるようになりました。



「頑張っては燃え尽きる」そんなサイクルを何度も繰り返して、自分の“ちょうどいいペース”がようやく分かってきました。


頑張りすぎると、また調子を崩してしまうこともあるので、今は無理を
しなくなり、随分生きやすくなりました。



私は、人生のほとんどを「自分を生きていなかった」ように思います。



「大丈夫なふり」をして、感情を押し殺し、「感情を出したら、人を傷つけてしまうかもしれない」という怖さを抱えて、外では笑顔をつくり、家に帰ると、どっと疲れていたのです。



そんな私から、もし今、伝えられることがあるとしたら──



生きづらさを抱えている人にとって、今の社会はあまりにも厳しい。



だからこそ、「寛容な社会」をただ待つのではなく、まずは、自分自身に
優しくしてみてほしいのです。



子どもの頃の自分が、ほっと安心できるような言葉を、今のあなたが、そっとかけてあげてほしい。



生まれてから死ぬまで、いちばん長く一緒にいるのは、他の誰でもなく「あなた自身」です。



人には優しくできるのに、なぜ自分には厳しくしてしまうのでしょう。



それは、社会からいじめられないようにするための“鎧”だったのかもしれません。



でも、もういいんです。過酷な人生を、ここまで歩んできたあなたは、すでに「生まれ変わり」の扉をくぐって、第2の人生を歩みはじめています。



これからは、社会とは“適度な距離”をとりながら、もうひとりのあなた──
本当のあなた自身を、どうか味方につけてあげてください。



そして、自分自身を、もう一度「生き直すこと」を、そっと、やさしく、
許してあげてくださいね。



その小さな灯が、いつかきっとあなた自身を、やさしく照らしますように✨



一輪の薔薇をあなたに🌹
kiyomi




kiyomi著「光と共に生きる ~人生を照らす物語を奏でながら~」propus出版
Amazon+電子書籍各所より 2025年春発売予定




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