人生には何一つ無駄はない──苦しみは、私たちを助けてくれるリソースだった
私たちには、きっと誰の心にもある
“ひとつの願い”があると思うんです──
その願いとは、「幸せになりたい」
ということ。
その幸せの形は、人それぞれでいい。
けれど、生きづらさを抱えているとき、
私たちはつい「この苦しみがなくなれば、
きっと幸せになれる」と思い込んで
しまいます。
その思い込みが、かえって私たちを
苦しみの中へと、さらに深く引きずり
込んでいくのです。
だから私は、「苦しみをなくす」ことを
目的とするのではなく──
「苦しみと共に生きる生き方」を、
私自身の体験を交えながら、
そっと提案させていただきたいと思います。
これまでの私は、
「達成感を得るために頑張る」
人生を生きてきました。
そして、その達成感の瞬間に、
胸の奥でパチンとはじける
“歓喜のスパーク”のようなもの──
それが「ドーパミン」と呼ばれる
脳内物質だと知ったとき、
私は自分の内側で起きていたことを
理解した気がしました。
当時の私は、それを“幸せ”だと
信じていたのです。
けれど実際には、達成感を得た後に必ず、
虚しさがどっと押し寄せてきました。
今から思えば、私は「苦しみ=悪いもの」
と決めつけ、それを排除しようとして
いたのだと思います。
でも、もしかしたら──
その苦しみは、私たちを傷つけるため
ではなく、「守るため」に存在して
くれていたのかもしれません。
「苦しみが守ってくれるって……
どういうこと?」
そう感じるのは、ごく自然なことです。
私もそう思っていました。
けれど、あるときふと考えたのです──
「この苦しみは、いったいどこから
生まれているのだろう?」
そこから、静かにその“源”に目を向けて
いくことが、私にとっての新たな
旅の始まりでした。
では、その苦しみは、いったいどこから
やってくるのでしょうか。
私たちが日常を生きていくうえで、
必要不可欠なものがあります。
それは「思考」です。
私たちは、頭の中に浮かぶ思考によって、
物事を選択しながら生きています。
そしてその思考は、「言葉」でできて
いるのです。
たとえば、赤ちゃんは真っ白な状態で
生まれます。
私たちは覚えていないけれど、
まだ赤ちゃんだった頃から、
誰かの言葉が、知らず知らずのうちに
心の奥へ染みこんで、
少しずつ“世界の見え方”を形作って
いったのかもしれません……
そうして積み重なった言葉たちは、
やがて“思考”というかたちをとり──
育っていくうちに、
その“語りかけ”はいつしか強化され、
やがて私たち自身を苦しめる
「思い込み」となって、心の中に
住みついていきます。
このプロセスからわかることがあります。
──苦しみの源になっていたその
「思い込み」は、
本当は“あなた自身のものではなく”、
他者の言葉から受け取ったものだった、
ということ。
私はずっと、苦しみから逃れようとして、
「もっと頑張らなきゃ」と自分を責め
続けてきました。
けれど……
それも、もうおわりにします。
なぜなら──
「苦しみを一旦見つめて、そして手放す」
というプロセスを経たとき、
目の前にあったすべてのものが
「私たちを助けてくれるリソース」だった
と気づけたからです。
そして、苦しみというリソースを
受け取って手放したあと、
心にぽっかりと「私には何もない」
という感覚が残りました。
それは空虚ではなく、どこまでも静かで、
自分という“ひとつの点”の背景に広がる
「無意識」という広大な大海原に、
ただ、圧倒されるような感覚でした。
気づけば私は、静かな本来の自分が
住んでいる、
これまでに見たこともなかった世界へ──
知らぬ間に、そっと足を踏み入れて
いたのです。
その世界は、静かで、風の音すらも
やさしく感じられる──
まるで、誰にも邪魔されない
“心の奥の聖域”のような場所でした。
「人生には何一つ、無駄なものなんて
なかったんだ」
今なら、その言葉を心から信じることが
できます。
これからも──
そんなふうにして、みなさんと共に
“静けさへ戻る旅”を続けていけたら、
私はとても嬉しいです。
いつも、本当にありがとうございます✨
一輪の薔薇をあなたに🌹
kiyomi

Amazon+電子書籍各所より2025年春出版予定
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