古書の街にて
我、古書の街に住まう者なり、なれど古書に触れずして時を往く者なり。
私の読書歴は長くて、幼少期の絵本からスタートして小学3年辺りから学校の図書室に通い始め、図書委員にもなり、5年生の頃に世界の文学全集に手を伸ばしました。片っ端から読んでいた、そんな印象です。
5年生以上になると街の図書館でも本が借りられるようになって、合唱団に行く傍ら、本を借りたり返したり、といった日常の繰り返しでした。
学校のクラスで文学全集を読み、家でも従兄弟が貸してくれたまた別の文学全集を読み、図書館ではミステリーやオカルト要素の強いものを読んでいました。自分に不思議な力があることをその頃はもう知っていて、そういう世界のことを知りたくて、漁って読んでいましたね。でも、当時はそういう超能力的なことが書かれた本は少なくて、物足りない気持ちでいました。
あと、私は子どもの頃から文明地が好きで、各地の文明について書かれたものを好んで読んでいました。
ずーっと本漬けの日々でした。
だけど、いつの頃からか、私は図書館の本を触れなくなってしまいました。
ひとの気配が残っているものを身体が受けつけないようになってしまったからです。
他者から借りた本も漫画も、無理になってきました。
また、商店街にある小さな古書店でも、以前は何冊も中古の文庫本を買っていたのに、通うことをしなくなりました。
本って、紙なんですよね。
で、紙って、ひとの念とか波動とか、吸うんです。
そのひとの記録・記憶が染みついて、抜けてないものがほとんどです。
だから私、古着とかもダメです。気持ち悪くて着れない。
この街に越してきてから、いろんな古書店があって、お店によって置いてあるジャンルが違って、物珍しくて古書店をたくさん廻りました。
すごいみんな管理されてて、そういうお店に置いてある古書は特別な光を纏っていて、簡単には手を触れられないオーラがあって、いいお値段がついていて護られていて、「ああ、良いな」って感じるんだけど、割となんでも扱ってる古書店などの店先に山ほど出されている文庫本1冊70円くらいのものなんかは怖くて触れないです。
先日、毎年秋に開催されてる古本祭りがあって、いつもすごい賑わいなのです。
まあ本好きにとっては、年1のお祭りだし、いろんな出版社さんがブースを出してるのを眺めるだけでも楽しいし、けっこうなひとだかりができて、普通に歩くのも困難なくらい、たくさんの方が訪れます。
でも、実を言うと、古本祭り、私、苦手です。
雑多なエネルギーが充満していて、それは安く手に入れようっていう気持ちだったり、何か掘り出し物ないかなっていう気持ちだったり、ちょっとこういう言い方しちゃうと申し訳ないんだけど、スーパーの安売りコーナーで目の色変えて漁ってるオバサンたちに似た低い波動で溢れていて、息をするのもやっと、という状態になりやすいからなのです。
安く買おうとか得しようっていうエネルギーって、場を汚すんです。で、そこに集まるのは、そういうエネルギーで平気なひとたちなんです。
目的もなく、ただ来てしまって、ひとの波に呑まれながら、『ながら見』しているひとたちも同様です。そのエネルギーに同調してしまっていることに気づかない。
ちょっと怖い。
私は古本祭りのときは、なるべく他の道を選んで歩き、正直、息を止めています、可能な限り。
普段の古書街は、ちゃんとしてます。
本を愛する者が集まり、本を慈しむ者が買っていく、良い循環がそこには有ります。
愛されて大切に扱われてきた本は、また愛して大切にしてくれるひとに巡り逢う。
古書街に佇む一人として、古書とこの街が、貪られることなく、美しく惹かれ合う素晴らしい出逢いに満ちた空間であることを、祈っています。
秋も深まり、冬にかけて、寒くなる季節、古書の街は不思議な温かさを放ちます。
静かだけど、素敵な時間を過ごせますので、本がお好きな方は、是非、足を運んでみてください。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。
