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【長編】RAFT -青のパラドックス 第2話

第2話:売られる都、買われる魂


二〇二五年、一一月一日(土)。

 東京の空は、今日も残酷なほど青く澄み渡っていた。  丸の内のオフィス街。土曜日だが、透は出社していた。  ランチタイムの定食屋は、いつもより重苦しい空気に包まれていた。 「……あ、すんません。今日からやもんで、一三八〇円になります」  初老の店主が、申し訳なさそうに頭を下げる。昨日までは一二〇〇円だった鯖味噌定食だ。  消費税一五パーセント。  蓮城政権が「北欧型高福祉国家への飛躍」と銘打って強行した大増税が、今日から始まった。  レジ横の壁掛けテレビでは、ワイドショーのコメンテーターが「これで子育て支援が充実しますね! 未来への投資です!」と、白い歯を見せて笑っている。  氷室透は無表情でスマートフォンをかざし、決済音を鳴らした。  未来への投資? 嘘をつけ。  その増税分の多くは、全国に乱立する「多文化共生センター」という名のハコモノ建設と、そこに天下るNPO職員たちの人件費に消えていく。透はその広報予算の数字を、誰よりも詳しく知っている。  店を出ると、冷たいビル風が吹いた。  すれ違うサラリーマンたちの背中は、昨日より少しだけ丸まっているように見えた。「温もり」という名の搾取が、静かに、だが確実に、この国の活力を奪っていく。

 午後三時。帝都エージェンシーのデスクに戻った透の端末に、新しいプロジェクトファイルが届いた。  クライアント:国土交通省・観光庁。  案件名:『インバウンド投資促進キャンペーン ~Border-less Kyoto~』。  透が担当した企画だ。キャッチコピー案には、自分が書いた言葉が並んでいる。 『古都を開こう。世界と混ざり合おう』 『規制のない京都へ、ようこそ』  画面を見つめる透の胸の奥で、ドス黒いものが渦を巻いた。  ――俺は、何を売っているんだ?  その時、スマホが震えた。画面には『母さん』の文字。  透は席を立ち、非常階段の踊り場へ出た。重い鉄扉を閉めると、都会の喧騒が遠のく。 「もしもし、母さん?」 『透? 仕事中にごめんなぁ。……あのな、ちょっと聞いてほしいことがあって』  いつもは明るい母の声が、湿っていた。 『お隣の空き家な、今日から本格的に工事が始まったんよ。そしたらな、いきなりブルドーザーが入ってきて……庭にあった古いお地蔵さん、みんな壊してしまいよった』  透の指が、冷たい手すりに食い込んだ。 「……え?」 『お父さんが慌てて止めに入ったんやけど、現場監督みたいな外国の人に「ここはもう我々の土地だ、日本の法律は関係ない」て言われて、追い返されたらしいわ』  母の声が震えている。 『今な、真っ赤な高い塀が作られとる。お父さん、悔しそうに焼酎飲んで……バロンも怯えて、縁の下から出てきいひんのよ。怖いなぁ。このままやと、京都が京都やのうなってしまうわ』

 電話が切れた後も、透はしばらく動けなかった。  非常階段の冷たいコンクリートに、自分の影が濃く落ちている。  犯人は、俺だ。  俺が書いた「規制緩和」の企画書が、実家の隣の風景を壊し、父の誇りを傷つけ、母と愛犬を怯えさせている。  吐き気がした。胃の中の鯖味噌が、泥のように感じられた。  透はスマホを握りしめた。  ――許さない。  この国を切り売りする奴らも、それに加担している自分自身も。

     ***

一一月七日(金)。

 西麻布の路地裏にある、看板のない個室割烹。  透が暖簾をくぐると、奥の個室には既に二人の女性がいた。  しかし、その空気は凍りついていた。  上座に、高石佳奈江。  その対面に、神山さつき。  かつては共に「保守の未来を担う女性コンビ」と期待された二人だが、今は目も合わせていない。テーブルの中央には、見えない「壁」がそびえ立っているようだった。 「……待っていたわよ、魔法使いさん」  佳奈江が、静かに言った。先日会った時のヨレヨレのジャケットではなく、仕立ての良いダークスーツを着ている。威厳はあるが、その顔には苦渋の色が滲んでいた。 「まさか、帝都エージェンシーのエースプランナーだったとはな。敵の本丸から内通者が来るとは、面白い時代になったもんや」  透は一礼して、二人の間の下座に座った。  対面の神山さつきが、不機嫌そうに扇子を煽いでいる。蛍光ピンクの派手なスーツに、大ぶりのパールのネックレス。  五八歳。佳奈江とは同い年だが、政治家としてのキャリアは佳奈江の方が長い。元財務官僚の神山は、野党転落後の党内抗争で佳奈江と袂を分かち、以来、口もきいていないはずだった。 「で? なんで私が今更、この人(高石)と飯を食わなきゃなんないのよ」  神山は出された先付に箸もつけず、透を睨みつけた。 「党の役職も外されて暇だからって、昔の縁を頼らないでほしいわね」  強烈な嫌味。  佳奈江が眉ひとつ動かさずに冷ややかに返す。 「勘違いせんといて、神山さん。私もあんたと馴れ合うつもりはない。……ただ、あんたのその性格の悪さと、数字への執着心が必要になっただけや」 「なんですって!?」  バチン、と扇子が閉じられた。一触即発の空気。  透は静かに口を開いた。このままでは席を立たれてしまう。 「神山先生。昔話をしに来たのではありません。……共通の敵の話をしに来ました」  透はカバンから、一枚のリストを取り出し、テーブルの「壁」の上に置いた。 「京都の『水源地および古民家買収問題』。その裏帳簿です」  神山の眉がピクリと動いた。 「岩尾(防衛相)の馬鹿が規制緩和したやつね。裏で中国系資本が動いてるなんて噂、財務省時代の後輩に聞けば一発よ。それがどうしたの」 「噂ではありません。証拠(エビデンス)です」  神山がリストをひったくるように手に取り、目を走らせる。官僚時代の、獲物を追い詰める目だ。 「……ダミー会社を経由しているが、すべての資金の流れは『一般社団法人・アジア共生財団』に行き着く……」  神山の声のトーンが変わった。 「共生財団……まさか」 「はい。蓮城総理の盟友、福島みずき議員が特別顧問を務める団体です」  神山の手が震えた。怒りで、派手なネイルが資料に食い込む。 「あいつね! 人権だの多文化だの叫びながら、裏ではこの国の国土を切り売りしてキックバックを得ている。……許せない。私の計算(美学)に反するわ」

「先生の事務処理能力と、霞ヶ関に残るコネクションが必要です」  透は畳に手をついて、深く頭を下げた。 「高石先生の突破力だけでは、細かい金の流れまでは詰め切れません。……この国が切り売りされるのを止めてください。僕の母が住む京都を、守ってください」  神山は透を見下ろし、次に真正面の佳奈江を見た。  佳奈江は、静かに神山を見返していた。かつて共に戦った同志としての、しかし今は別の道を歩む者としての、複雑な眼差しで。  長い沈黙の後、神山はフンと鼻を鳴らし、リストをバッグにねじ込んだ。 「勘違いしないでよ。あんたと仲直りするわけじゃないわ」  神山は扇子で佳奈江を指した。 「ただ、あの厚化粧の総理と、偽善者の福島みずきが大っ嫌いなだけよ。……貸しにしとくわよ、高石先輩」  最後の「先輩」という言葉には、強烈な皮肉と、ほんの僅かな敬意が混じっていた。  佳奈江が、微かに口角を上げた。 「おおきに。期待してるわ、未完の怪物さん」 「やるわよ。来週の予算委員会、アイツらの答弁、私が全部ひっくり返してやる」

 店を出ると、東京の夜空には、またあの虹色のスカイツリーが浮かんでいた。  透は冷たい夜風を深く吸い込んだ。  かつて決裂した二人が、共通の敵を前にして、歪な同盟を結んだ。  最初の武器を手に入れた。扱いは難しいが、破壊力は抜群の劇薬だ。  スマホを取り出し、ユイトにLINEを送る。 『ごめん、まだ仕事が終わらない。先に寝てて』  嘘だ。今から帰れば、まだ起きているだろう。  だが、今の自分は、あの温かい部屋には相応しくない気がした。身体中に、西麻布の密室の、陰謀と熱気の匂いが染み付いている。  透は一人、タクシーを拾った。  「RAFT(いかだ)」はまだ、丸太を数本組んだだけの頼りない小舟だ。  けれど、もう後戻りはできない。  この青く冷たい海原へ、漕ぎ出すしかないのだ。

続く

#一五パーセントの絶望 #赤い要塞 #毒を以て毒を制す #RAFT_青のパラドックス #鈴坂コギオ


明日がきっと、良い目覚めになりますように。

鈴坂コギオ
https://x.com/cogio_suzusaka

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