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読んで書く2023年・7月【リルケ】

「我」に立ち返って自分を鍛え直す時が来たようだ。導き手はリルケ先生にお願いしよう。しばらく『芸術と人生』を読む。
リルケ先生いわく《芸術家の自然への関心のもちかたには、なにか無我のようなものがある。大きく見張った目を通じて、永遠に待っている魂のなかへ分けいっていく、こうした生活をだんだん私は理解しはじめている》9頁。
「我」に集中すると無我に至る。逆説的にそう感じる。
リルケ先生いわく《たいていのできごとは語りがたいもので、ことばがけっして踏みこんだことのない領域で行われるものなのです。しかも芸術作品ほど語りがたいものはありません》11頁。
沈黙に耐えながら「我」が芸術と溶け合うのを待つ。
リルケ先生いわく《すべての印象や、すべての感情の芽を、まったく自己の内部で、暗いところ、名状しがたいところ、無意識の世界、自分の悟性が到達しえないところで、完成させて、深い謙虚と忍耐とをもって、新しい澄明なものの分娩の時を待ちうけること、これだけが芸術家が生きるということ》12頁
リルケ先生が「自己の内部」と呼んでいるところをわたくしは「我」とみなしている。「我」に帰還しなければリルケ先生の言葉は心に響いて来なかったにちがいない。詩人の言葉に触れるだけで「我」は少し膨張する。
リルケ先生いわく《私はあらゆる自惚れを遠く自分からふるい落として、ごくとるに足らない動物を見下したりせず、自分を一つの石よりすばらしいものと思ったりしないように望んでいるのです》28頁。
賢治さんにも通じる考えです。
リルケ先生いわく《ああ、人間が、この地上のごく小さな事物にまでも満ちあふれている秘密を、もっと謙虚に受けとり、もっとまじめにになうならば! それをになって、になうことがそれを軽々しく受けとることよりも、どんなに恐ろしくむずかしいかということを感じるならば!》29頁。
「我」から離れているとこういうことに全く目が向かないのです。リルケ先生は事物から離れませんでした。わたくしは「我」から離れると同時に事からも物からも離れてしまっていたのですね。事から逃げて物を遠ざけていた。「になう」なんてちっとも考えていませんでした。「になう」を実行したいです。
リルケ先生いわく《一本の木が花をつけると、そこには〈生の花〉と同じく〈死の花〉も咲きます。その横たわっている面から生の豊穣な表情を萌えたたせている田野には死もみちみちています》32頁。
リルケ先生いわく《私があらゆる近代の宗教に対して非難するところは、それらの宗教がその信者たちに慰めと死の美化とを与えるだけで、死と調停したり、諒解したりする手段を彼らの心に与えてやらなかったということです》34頁。
リルケ先生いわく《われわれは生を寛大に、どんな計算や選択もしないで愛しながら、知らず知らず、(生のかなたを向いた半面であるところの)死を絶えずそのなかに引き入れ、生といっしょに愛するようにしなければならないのです》35頁。
生と死を平等に愛する。
リルケ先生いわく《生の恐ろしさと至福、同じ神の首についているこの二つの顔、いな、われわれがそれを認めるときの距離や状態によって、あれこれの容相を呈する、この同じたった一つの顔が、本来同一のものであるのを証明すること》36頁。
『ドゥイノ悲歌』と『オルフォイスへのソネット』で。
リルケ先生いわく《私たちは私たちの存在の世界が生と死という二つの無限な領域にまたがっていて、この二つの領域から無尽蔵に養分を摂取しているのだという、きわめて広大な意識をもつように努めなければなりません》38頁。
リルケ先生いわく《内部の世界は宇宙の広大な空間をけっして必要としないほど、それ自身でほとんど無限なのです》39頁。
リルケ先生いわく《過去のものや、まだ発生していない未来のものを究極の現存として直ちに把握することのできるような人物を描きだそうというのが、すでに『マルテ』を執筆していた当時の私の欲求でもありました》39頁。
リルケ先生いわく《必要なことはただこれだけです、孤独、偉大な、内面的な孤独。自己のなかへはいっていくこと、そして何時間もだれにも会わないこと──この境地に達することができなければなりません》55頁。
リルケ先生いわく《私は幼年時代にはおとなたちの生活がもはやそこまでとどかないいろいろなものが、深い内部の世界や夢があったことを感じています。幼年時代には大きな神秘が、事物や動物たちとの親しい交わりや、奇跡や、変身があったことを感じています》59頁。
リルケ先生いわく《幼年時代を生きていたとき、私たちは幼年時代を知ってはいなかったのです。私たちはそれを生きていながら、それがなんというものか知らなかったのです》60頁。
吉原幸子さんの詩を思う。
言葉モードから心モードにシフトしてからひたすらピアノ曲を聴いている。ピアノの音の中に言葉ではない何かを感じようとしている自分がいる。高校三年の夏にも同じような事があった。人の言葉から離れ音の流れに身を浸していたいという強い欲求。辻井伸行さんのピアノが今はいちばん心に来る。
言葉モードの時は演奏者よりも曲目に意識が向いていたのですが心モードになると曲目よりも演奏者に気持ちが向いているのが不思議です。誰の演奏なのかが今のわたくしには重要です。
辻井伸行さんの演奏について共演者たちが語るところによれば辻井さんの心の清らかさがなせる技だと。わたくしは幼年時代の純粋経験が辻井さんの内面にそのまま保持されているのではないかと思う。視覚を通じて蓄積される記憶とは異なる触覚と聴覚でダイレクトに掴んだ世界が心を通って心に伝わる。
見る世界は疑いの世界でもある。見惑という仏教用語があるくらいだ。辻井伸行さんの環境は絶対的信頼で作られていったのであろう。疑っていたら生きていけない。生きることと信じることが一体の世界を内面に作り続けている。そこから響き出す音の清澄さにこちらが浄化される感覚。
リルケ先生いわく《たとえあなたが牢獄のなかにいて、その壁にさえぎられて世の中のどんな物音もあなたの感覚にとどいて来ないとしても──そんなときでさえ、あなたには依然として幼年時代というものがあるではありませんか。あの貴重で、豪華な富、あの思い出の宝庫が!》77頁。
リルケ先生いわく《五官のうちでほとんど一つの感覚、つまり視覚だけが世界をいっぱいに背負いこんで、詩人を絶えず圧倒しているが、これに反して、不注意な聴覚が詩人にもたらす寄与がすでになんと乏しいことだろう》81頁。
ピアノの詩人ショパンに倣って耳をすませば。
リルケ先生いわく《完全な詩というものは五つの感覚という梃子で同時に捕えられた世界が、一定の相のもとで、あの超自然的な平面(これこそまさしく詩の平面である)に現われるという条件のもとにだけ、生まれでるものなのである》82頁。
リルケ先生いわく《私のすべての蔵書のうちで無くてはならぬものは、ごくわずかしかありません。そして二冊だけが、どこへいこうと、いつも私の持ち物のなかにあるのです。それはいまも私の座右にありますが、一つは聖書で、一つは偉大なデンマークの詩人イエンス・ペーター・ヤコブセンの書物です》
リルケ先生いわく《J・P・ヤコブセンの『六つの短編』と、彼の長編『ニールス・リーネ』を手にお入れなさい。そして文庫本の『モーゲンス』という最初の短編から読みはじめてごらんなさい。一つの世界があなたに襲いかかってくるでしょう》107頁。
リルケ先生イチオシのヤコブセン。吉原幸子さんも少女時代の忘れられない本としてヤコブセン『ニールス・リーネ(死と愛──山室静訳)』をあげている。高校時代の恩師福田正次郎(那珂太郎)先生から借りて読んだらしい。「読書の旅」というエッセイに書いている。
《こんどは『ニールス・リーネ』があなたの前に開かれることでしょう。これはいろいろなすばらしさと深さに満ちた書物です。これを繰り返し読めば読むほど、人生の最もかすかな香りから、その最も重たい結実の豊かで、偉大な味わいに至るまで、すべてがそのなかにあるように思われます》とリルケ108頁
《二、三週間前に、私はすっかり熱中しながら、もう一つの〈真に海のことばである〉──『海辺の墓』の詩を翻訳しました……これは私の最もすぐれた翻訳の一つになったと思っています》153頁とアンドレ・ジイド宛にヴァレリーの詩を訳したことを報告するリルケ先生。
ポール・ヴァレリーの「海辺の墓」からとった詩句を堀辰雄は『風立ちぬ』のエピグラフに使用している。ここでリルケとヴァレリーと堀辰雄の三角形ができる。フランス語がドイツ語になる。またフランス語が日本語になる。さらに『風立ちぬ』の中で話者はリルケを読んでいる。ドイツ語が日本語になる。
リルケを日本語に移す努力を堀辰雄と立原道造がしていることがわかる岩波文庫の『立原道造・堀辰雄翻訳集』。解説の高橋英夫さんの文章が参考になる。
《結果的に「独仏両棲類」となって、それを自分独自の流儀として世間に認めさせたのが堀辰雄だった》と。
《この流儀の先達、モデルは実はリルケに他ならなかったわけで、堀は翻訳を通じてリルケを読み、知り、ある程度リルケを再現し、リルケを生きた》と高橋英夫さん。
ドイツ語とフランス語のどちらにも通じる両棲類。そのモデルを作ったリルケ先生。
堀辰雄が訳した『マルテの手記』とリルケ先生のパリ時代の手紙を交互に読んでいる。リルケ先生は結婚後に単身パリに。12年間過ごす。妻クララや友人たちにせっせと手紙を出す。その営みの延長で『マルテの手記』が創作される。ライナー・マリア・リルケがマルテ・ロオリッツ・ブリッゲになって。
《ほんとうに大きな、よそよそしい都市であるパリもまた、私にはどうしても、どうしても親しめません。この町のいたるところにある病院が私を脅かすのです。ヴェルレーヌやボードレールやマラルメの作品になぜ繰り返し病院が現われてくるのか、そのわけがよくわかります》215頁とクララ宛に。
《一体、此処へは人々は生きるためにやって来るのだろうか? 寧ろ、此処は死場所なのだと思った方がよくはないのか知らん? 私はいま其処から追い出されてきた。私はいくつも病院を見た》と堀辰雄訳「マルテの手記」に。
《ノートル・ダムは日一日と大きくなっていきます。ひとがそこへ帰っていくたびごとに、それはますます大きくなっているのです。日没のころ、私はほとんど毎日、その側を通りすぎます》217頁とクララ宛に。
《私達はノオトル・ダァム・ド・パリの正面を眺めようとしたら、ほとんど命がけだ。ちょっとでもぽかんとして居ようものなら、その前の広場を全速力で突っ切ってゆく、沢山の車の一つに轢かれそうになる》と堀辰雄訳「マルテの手記」に。
《あんな小さな月がなんといろいろなことをするのだろう。回りのすべてのものが明るく、かろやかで、明るい大気のなかにその輪郭がほとんど描きだされていないのに、それでいてはっきりしているような日々があります》245頁とクララ・リルケ宛に。
《何んとまあ、あの小さな月にこんな大した魔力があるのだろう! すべてのものが私達のまわりに照らされていて、明るい大気のなかに僅かにそれと認められるような、それでいて妙にはっきりとしているような日々がある》と堀辰雄訳「マルテの手記」に。
読書はこうして連鎖しながら夏を呼ぶ。ちょうど高校生の娘もきょうから夏休み。外では蝉が鳴き西日も暑い。7月後半は『マルテの手記』を大山定一訳にて読むことにする。堀辰雄『風立ちぬ』を参照しながら。軽井沢に行きたいな。
大山定一氏いわく《わが国では昭和十年ごろ堀辰雄氏が雑誌『四季』にいくつかの断片を翻訳したのが、おそらく『マルテの手記』の最初の移植だったとおもわれる》(「はしがき」より)。
大山定一氏いわく《僕は『マルテの手記』はほとんど日本語にならぬものだろうと考えていたが、このとき堀辰雄氏の『マルテの手記』のうつくしさにびっくりしたのである》(「はしがき」より)。
マルテ28歳の詩論《年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ》
マルテ28歳の詩論《人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう》
マルテ28歳の詩論《詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ》
マルテ28歳の詩論《追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ》
マルテ12歳の思い出《僕はほとんど一日、広い庭園や村の山毛欅の森や原っぱなどで遊んでいた。ウルネクロースタアに僕のあとを慕ってくる幾匹かの犬がいたのはうれしかった》
マルテ12歳の思い出《ところどころに百姓の家や農作場があった。僕はミルクやパンや果物などをそこからもらった。僕は僕の自由をなんの屈託もなく楽しんだ》
マルテ12歳の思い出《僕は誰とも話をしなかった。僕は一人ぼっちが好きだった。ただ犬たちとは、気がむくと短い話をした。犬とだけは非常な仲よしだった》
図書館の中のマルテ《隣の人とぶつかって、わび言をいっても、ただ相手は声のする方をむいてうなずくだけだ。顔がこちらをむいても、目はなんにも見ていない。そんな人間の髪は眠っている人の髪のようにたいへん優しい。僕は楽しい。僕はここにすわって、一人の詩人を持っているのだ》
図書館の中のマルテ《しかし、まことに運命は不思議なものだ。僕はここで書物をひろげている人間の中で、いちばん貧しい男に違いない。しかも外国から来た人間だ。その僕が一人の詩人を持っている!》
図書館の中のマルテ《僕の詩人は山の中に静かな家を構えている。僕の詩人は清らかな大気の中に響く鐘の音のようだ。自分の家の窓について語り、悲しい孤独な遠い原っぱを映す書物戸棚のガラス扉について語った幸福な詩人だ》
フランシス・ジャムとの説がある。晩年のリルケや軽井沢の堀辰雄も。
図書館の中で空想するマルテ《代々の祖先が住んだ家の静かな一室にいて、落着きのある時代のついた家具に取囲まれ、窓の外ののどかな明るい緑の庭に来て鳴く山雀のさえずりに耳を傾け、はるかな遠方に村の塔の時計をながめているのは、なんという幸福な人間の運命だろう》
図書館の中で空想するマルテ《じっと家にすわっている。午後の暖かな太陽の縞を見ている。昔の娘たちのことをよく知っている。そして、詩や小説を書く。僕もこの世界のどこかに家を持ったら、きっとそんな詩人になったろうと考えてみる》
図書館の中でひとりの詩人を持っていることをかみしめながら夏を過ごしている現代のマルテたちに栄光あれ! 涼しいところでページをめくれ! 《28歳にもなって詩人であるということは楽しいことだと 読者よ 君は思うかい?》とジャムは云う。
古書店とマルテ《店の中をふとのぞきこんでみると、誰か彼か人間がいて、知らん顔ですわったまま本を読んでいる。明日の心配もなければ、成功にあせる心もない》
古書店とマルテ《犬が機嫌よさそうにそばに寝ている。でなければ、猫が店の静かさをいっそう静かにしている。猫が書物棚にくっついて歩く。猫は尻尾の先で、本の背から著者の名まえを拭き消しているかもしれない》
ベートーヴェンを讃えるマルテ《ベートーヴェンよ、世界の完成者よ。恵みの雨となって地面に降り、水の面にしたたり、なんの屈託もなく偶然のように降り注ぐもの》
ベートーヴェンを讃えるマルテ《そしてまた、人の目をしのんで、自然の隠れた法則を喜びながら、あらゆる地上のものから立ち上り、たなびき、風に流れて大空を形作るもの》
ベートーヴェンを讃えるマルテ《おまえの音楽は世界と宇宙の耳に響くのだ。ただ僕たちを取巻いて満足するような音楽ではない》
ベートーヴェンを讃えるマルテ《ベートーヴェンよ、爾、注ぐものよ! おまえは宇宙が耐える限りのものを、宇宙に向って投げ返す》
辻井伸行さんが弾くベートーヴェンピアノソナタ第29番。元気が降り注ぐので毎日聴いています。
マルテ幼年時代の記憶《すると、どうしたはずみか、赤い色鉛筆はランプに照らされた白い紙の上をころがって、机の端から、はっと手を出す暇もなく、下にころげ落ちて見えなくなってしまったのだ》
マルテ幼年時代の記憶《この世の中は奇態な一種独特なものでいっぱいぎっしり詰っているのだ。それらは神のために何かある意味を言い表わそうとしているのに違いない。けれども、それがどうしてもはっきり口に出せないのだ》
ジェンダーレスなマルテ《ママンはかつて僕が男の子でなくて女の子だったらとひそかに考えていたような時期があった。僕はなぜとなくそれを知っていた》
ジェンダーレスなマルテ《僕はときどき、午後、ママンの部屋の扉をノックすることを思いついた。「誰?」って言うと、外にいて「ゾフィーよ」と返事をするのが楽しかった》
 

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