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おうみのうつくし図鑑:芸能の神、蝉丸神社と逢坂山---➀関蝉丸神社 下社

衣がえが好きだった。樟脳の匂いがする箪笥や塗りの箱には、時代を超えた思いがつまっていた。母が嫁入りに持ってきた古い「百人一首」が衣装の間から顔を出していた。湿り気を含んだ母の百人一首。一枚ずつめくってみたら、あった!あの不思議な雰囲気をまとった「蝉丸」の札を手にしていた。

百人一首の「蝉丸」は、特別な存在だった。琵琶法師は頭をまるめているのか、頭部は頭巾姿で描かれることが多い。子供のころによく遊んだ百人一首の「坊主めくり」では、ジョーカーのような特別な札として親しまれてきた。そんな蝉丸は平安時代前期に生きたといわれ、その名はこれほど長い時をこえて、謡曲や人形浄瑠璃の演目に「蝉丸」があるのも、歌や芸能のスーパースターといえる。そう思うと蝉丸にもっともっとふれたくなって、気がつけば大津に足がむいていた。

旧東海道の逢坂に鎮座する蝉丸神社下社。琵琶の名手蝉丸を祀る社として、歌や音楽を志す人々の信仰を集めてきた。境内には「関の清水」や小町塚、重要文化財の石燈籠が佇み、古歌の世界へと誘ってくれる。

訪問して驚いたことに、蝉丸神社は全部で3社あった。蝉丸神社上社、蝉丸神社下社と、蝉丸神社分社の3社である。神社の石碑は「関蝉丸神社」とある。遠く歴史に刻まれた風流な名に蝉丸が薫る。

五月二十四日は上社、下社で「蝉丸祭」が開催される。それではと、奉納の儀式や、ちんどん屋の奉納、子供たちへの屋台が出ると知って、まず蝉丸神社下社を訪ねた。

蝉丸
百人一首より
出典:Wikipedia


関蝉丸神社下社
鳥居まえの石碑
この古風な書体にうっとりしました
関蝉丸神社下社の灯篭に「蝉丸宮」
関蝉丸神社下社
京阪電車の線路前に、鳥居、
その傍らに「関清水大明神」
この神社の清水に逸話がいくつも伝わっている
関蝉丸神社下社
「音曲芸術祖神の碑」

関蝉丸神社の鳥居の背景に、京阪電車。蝉丸様の圧倒的存在感!

蝉丸人社は鳥居と鳥居をはさんで、京阪電車が走る。
電車が通り過ぎるのをまって、鳥居をくぐって神社に入る。
京阪電車は、ゆっくり、静かに、神社を通り過ぎる
参拝客は神社にあいさつするように、ゆっくりと、
低い音を残して神社へを通り過ぎる
蝉丸祭りのにぎやかな様子が
線路のむこうから伝わってくる
蝉丸神社下社:「関の清水」
都をば けふをかぎりのせきみづに 
またあふさかの かげやうつさむ

今日が最後かもしれないと都を出たが、再び帰ってきて
この逢坂山の関の清水に
この身を映すことが出来るであろうか
平宗盛は関の清水をみて
泣く泣くこの歌を詠んだと伝えられている
重要文化財「時雨灯篭」
大津市教育委員会の駒札 

重要文化財「時雨灯篭」
大津市教育委員会
蝉丸神社下社:「蝉丸祭り」は神事で幕をあける


関蝉丸神社は3つの社がある
それぞれの蝉丸神社に「神楽堂」がある
「音曲芸術祖神」蝉丸への信仰を感じる

蝉丸神社下社「五月二十四日の蝉丸祭」

五月の逢坂山は、新緑の風に包まれていた。蝉丸神社で開かれた「蝉丸祭り」では、どこか懐かしい音を響かせながら、ちんどん屋が境内を練り歩いていた。ちんどん太鼓やクラリネットの軽やかな音色に、子どもたちがあとをついて回り、人々が集う。山あいの古い街道沿いの神社は、年に一度、この日だけ芝居小屋のような賑わいを見せるのである。

五月二十四日蝉丸神社で開催された「蝉丸祭り」
奉納する「ちんどんや こうあん一座」

蝉丸神社は逢坂山に三社あるという。最初にお参りに訪れたのは、そのひとつである下社だった。街道沿いの鳥居と境内前の鳥居のあいだには京阪電車の線路が走り、ときおり電車が音を立てて通り過ぎていく。古代の街道と近代の鉄路が交差する、どこか不思議な風景である。

鳥居をくぐると、まず蝉丸の歌碑と「音曲芸道の祖伸 関蝉丸神社下社」の札。「ようこそ お参りくださいました」とやわらかな神道の表現が心地よい。この神社は髪の守護「理美容の神」と併記されている。百人一首の蝉丸さんは、頭巾をかぶっているものや、僧侶のような姿がある。その蝉丸さんが髪の守護、理美容の神として祀られている。

関蝉丸神社下社 
〈歌舞音曲の神〉、
髪の守護〈理美容の神〉
御祭神:蝉丸命/豊玉姫命

蝉丸の歌碑は、だれもが親しんできた百人一首でおなじみの歌


これやこの 行くも帰るも別れつつ
知るも知らぬも 逢坂の関

百人一首、坊主めくりで親しんだ
この蝉丸の歌はなつかしい調べがある

これやこの 行くも帰るも別れつつ 
知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸神社下社:蝉丸の歌碑
苔むした風情たっぷりの手水舎を背景に

京都の都と東国を結ぶ「逢坂の関」は、古くから人が出会い、別れてゆく境界の地だった。盲目の琵琶法師、帝の皇子とも伝わる蝉丸は、その境界に暮らし、琵琶を奏でながら人の世を見つめていたのかもしれない。

盲目の琵琶法師、そして和歌の達人。蝉丸のあふれる才能が、日本文化の深さを物語る

「蝉丸祭」の日に、地域の文化伝承の専門家、大津祭曳山連合の顧問、元田栄三さんに教わったのは、蝉丸は芸能の祖神として広く信仰され、かつては芸人たちがこの社の許しを得て興行をしていたという。平安時代に、盲目の琵琶法師である蝉丸を手厚く遇し、その芸能を社会の中で大切に継承してきたことは、現代の感覚から見ても非常に興味深い。このような現象に出会う時、日本文化の奥深さに、kyotoKは静かな感動を覚えるのである。

陽気に囃し立てるちんどん屋の姿は、芸能は人の哀しみや寂しさを包み込み、誰かを笑顔にする力があると伝えていた。

蝉丸神社 下社の鳥居をくぐり、外に出ると、一陣の風が肌をなでた。そのとき、山を渡る風に混じって、遠い時代の琵琶の音色が、かすかに聞こえた気がした。








編集後記

関蝉丸神社下社の長い記事を読んでくださり、ありがとうございます。
タイトルを改訂しました。こちらのほうがしっくりくるかと思います。

さて〈おうみのうつくし図鑑:芸能の神、蝉丸神社と逢坂山〉は、➁「逢坂の関址と関蝉丸神社別社」へと続いていく。次号は逢坂の関と百人一首に編纂されている蝉丸、三条右大臣、そして清少納言のおなじみ、やまと歌の歌碑を、国道沿いの小さな記念公園に見学し、関蝉丸神社別社を訪ねてみたい。どうぞ、お楽しみに…。

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