見出し画像

【ショート】 眠る桜

―― short story ―—

桜はもう目覚めない――。

舞い散る桜の花びらに囲まれ、
庭園を見つめた。
親類が見守る中、
私は花婿様のところへ、
ゆっくりと進む。
目の前には愛おしい殿の姿。
凛々しいお姿を見て、
感極まってしまう。
一生懸命に涙をこらえ、
背筋を伸ばして隣に立つ。

盃を受け取ると、
お互いに飲み干した。

そっと見上げると、
殿の目に私が映っている。

――あぁ、このまま時が止まってしまえばいい。

婚姻を結んだ後、
二人で庭園をゆっくりと歩いた。
お気に入りの簪をつけ、
一緒に朝餉をとり、
桜の木の下で、時間を過ごした。
殿はあまり話をしない人だった。

だから、私がずっと話題を探して話をした。
一生懸命に、殿のために尽くしても、
拒絶もないけれど、喜びも見せてくれない人だった。

それでも、
この時が、一番幸せな時だった。

殿はすぐに出兵した。
もう一ヶ月が過ぎ、
桜もとうに散っている。
繰り広げられる戦の数々に兵も疲弊しているのが、
私にも伝わっていた。

そして、勝利の知らせはすぐに届いた。

戻される兵士たちの傷を癒すお手伝いをしながら、
日々が過ぎていく。

そして、十日後に殿が帰ってきた。

私は、一番に出迎え、
深々と頭を下げる。

――無事にお戻り下さった。

顔を上げる。
そして、体が冷えた。

殿の左目に刀傷が鋭く走っていた。

……目が。

ぽろっと涙が溢れてしまう。

……いけない。辛いのは殿なのに。

涙を拭っていると、
スッと風が通った。

殿は私の横を通り過ぎた。

それから、殿は私との時間を、
あまり持とうとしなくなった。

あの時の態度がご不興を買ってしまったのかも知れない。

……謝りたい。

でも、殿は、またすぐに出兵してしまった。

——そして、その日は訪れた。

屋敷から火が出て、美しかった庭園が焼き払われた。
あの桜も。

怒号が響く、
奇襲のような形で訪れた敵兵たちは、
不意をつかれた屋敷の兵たちを倒していく。
「お方様!」

――逃げなければ。

私は、近くの女や子供たちを連れて、
避難する。

屋敷の裏口に来たとき、
女たちの悲鳴が上がった。

――ここまでか。

私は、裏口にも敵兵が回り込んでいるのを確認すると、
女たちを解放するように言い放つ。

一斉に複数人の敵兵たちが私を、
おぞましい目で見つめながら喜びの表情を見せる。

女たちは真っ青になりながら、
私の最後の願いを守り、
子供たちを連れて逃げた。

――時間を、稼がなければ、ならない。

だから……

心臓が飛び出すくらいの動悸を抑え、
震える手で、胸元から短剣を取り出し、

――足元に落とした。

三日後、
全てが終わっていた。

戦場から知らせを耳にした途端に、
気づけば、馬を走らせていた。

三日三晩寝ずに駆けつけたのに、
着いた時には、屋敷の形は跡形もなく、
焼け野原となっていた。

乱れた呼吸を正すこともできずに、
屋敷のあった場所で、
詩乃を探す。

……俺の詩乃。

俺が人生で一番手に入れたかった人。
何よりも大切だった人。

だから……

「……殿!」

ビクッと体が止まる。

強靭な精神で、人を斬ってきた俺の体の震えが止まらない。

屋敷の裏口だったであろう場所の前で、
一人の兵が、俺に叫んだ。

兵の横には、無惨な遺体が一つあった。

とても言葉にはしたくないくらいに酷い損傷のそれを、
俺は迷わず強く抱きしめる。

……間違えるはずがない。

こんなに強く抱きしめたのは、きっと、初めてだった。

血の匂いしかしない。
剥ぎ取られた衣服からは、
破れた萌黄色の一重。

ぽとっと落ちた手のひらには、
見覚えのある簪が刺さっていた。

「……あ、」

あとは、ただ、慟哭した。

目が覚めると、
真っ白い光に包まれていた。

だんだんと、目が慣れると、
舞い散る桜の花びらに囲まれ、
屋敷から愛らしい花嫁が、
俺に向かって歩いてくる。

――詩乃。

心が弾む。

戦勝の褒美に賜った婚姻。

今、俺の人生の中で一番幸せな瞬間に違いない。

……夢を見ていたのかも知れない。悪い夢を。

何人の命を奪ったか分からない、この手は、
彼女の手を取ることが許されるのか、
ずっと、そう思って触れられなかった。

……でも、今度は後悔したくない。

彼女が前に来た時、
そっと手を差し出す。

詩乃は、ちょっと、驚いた様子を見せたが、
手を取ってくれた。

……あぁ、もう死んでもいい。

本気でそう思った。

この夢は覚めなかった。

次の日も詩乃は横にいて、
夢のようだった。

そして、次の日、
変化が起きた。

詩乃は簪をつけなかった。
もう二度と、花嫁のように飾ることはなかった。

朝餉を摂るとき、
こちらを見なかった。
庭園を歩き、桜の下で過ごす間、
彼女は一言も発しなかった。

詩乃の笑顔が見たい。
詩乃の声が聞きたい。
叶わなかった。

俺は一生懸命、慣れない話をしてみた。
彼女は、必要な時だけ、相槌を返してくれた。

その声が聞けただけで、胸が掴まれるように締め付けられた。

俺は、動きを変えた。
戦場には先行せず、
必要な時だけ、駆り出した。
そして、屋敷の守りを最大限に行なった。

結果、次の春を迎えた。

詩乃は変わらず、無口だった。
それでも美しく、隣にいるだけで胸が高鳴った。

まるで少年のように。

桜の木から花びらが舞う。

屋敷の縁側で眺める詩乃を邪魔しないように、
少し離れたところで、
詩乃がよく見えるように座った。

……詩乃が笑えるようにしてやりたい。

でも、それは無理な願いなのかも知れないと思った。

……詩乃も覚えているのではないだろうか。

そう、思ってしまったから。

あの時、傷つけられた詩乃は、
どこか遠くへ行ってしまったのかも知れない。

それでも、俺はずっとそばにいたい。

……いっそのこと、俺を呪えばいいのに。

目の前の詩乃が揺らぐ。

美しい桜の景観に包まれた詩乃は、
どこか距離が遠く感じた。

眠る桜はもう目覚めない――。


いいなと思ったら応援しよう!

COBITo|物語を書く人 【今日も、お仕事📖120%🌿】 この物語を楽しんでいただけたら、そっと応援していただけると嬉しいです。いただいたチップは、物語を続けていく力に使わせていただきます。