【ショート】 移り香
―― short story ――
玄関のドアを開けると、彼女の匂いがした。
ソファで雑誌を抱いたまま仰向けになって眠っている。
無防備にも程がある。
初めて出会った時から、こうだ。
休憩室の窓際でコーヒーを飲みながら、外を眺めてぼうっとしている。
喫茶店の制服を着ている癖に、目線の向け方と首筋だけ妙に色っぽい。
雰囲気出しときながら、いつもとぼける。
本気でやっていると気づいた時には、もう深みにハマっていた。
その時から、彼女と同じ香水を使っている。
深いため息をつきながら、ネクタイを緩める。
作業部屋にカバンを置いてスーツを脱いだ。
明日までに仕上げなきゃいけない仕事だけ終わらせちまおうと机の上に出しておく。
コーヒーを淹れにキッチンへ行く前に、ソファで気持ちよさそうに寝息を立てている彼女が抱える雑誌をそっと外す。
ローテーブルに置くと、飲みかけのコーヒーに目がいく。
そして、深いため息をついた。
……重症だ。
チラリと彼女を見やる。
よく寝ている。
カップに手を伸ばす。
もう一度だけ見る。
寝てる。
カップを持ち上げ縁をなぞる。
口をつけると香りの抜けた苦味が口に広がる。
目を閉じる。
「……ん」
カップを落としそうになり、慌てて両手で押さえる。
手汗を拭きながら振り返ると、彼女が目をこすりながら体を起こした。
「……おかえり」
口元を緩める彼女を見ると、なんだか全部どうでも良くなった。
いいなと思ったら応援しよう!
この物語を楽しんでいただけたら、そっと応援していただけると嬉しいです。いただいたチップは、物語を続けていく力に使わせていただきます。