あの日とあの日の私を私は、
これは、2018/11/16に私が記したつぶやきです。
消化できていない子ども時代のいろんなもやもやを、私は誰かに聞いてもらうかのように一人で声に出してしゃべり続けました。
一人暮らしの部屋の中、私の声だけが聞こえる夜は不思議で、でもなぜだか止まらなくて、涙をするする流しながら言葉にし続けたことを昨日のように覚えています。そして不思議なくらい、心に巣食っていた薄闇が和らいでいく感覚があったことも、とてもよく覚えています。
後になって、これは「インナーチャイルド」を癒す行動だったということを知りました。私の中にいる子どもの私を抱きしめる、そういう夜があったから、私は昔の自分を手放すことができたと思っています。
今日はCforCのリフレクションがあり、子どもと自分のやり取りを見つめる機会がありました。自分の底にある思いを振り返ろうとしたときに、この日の記録が浮かびました。ひとつ先に進むことのできるきっかけの夜だったので、noteに残しておこうと思います。ことばはそのままです。
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なんでそうなっちゃったかわかんないんだけど、自分の中にある辛くて痛い過去を掘り出す旅をした。ひとりで、あの時どんなことがどんなふうに辛かったのか、言語化して口から出した。十代の身体のなかに隠しておくにはもやもやの色が深すぎた。
はじまりは小学生だった。真面目さで、損をした。人の心にずかずか入れる、ふざけた元気な子が当時は人気だった。傷ついて泣いちゃうのは自分が弱いからだと思った。約束を破られても謝られたらほっとした、許すも許さないも知らなかった。すごく悲しかったのに。
場所を離れて、新しい自分を作ることにした。誰も昔の私を知らない場所で、なりたい自分を作った、そしてなった。でも本物と「できたての自分」のバランスを取れるほど器用じゃなかった。やりすぎたり、やりきれなかったり。苦しくなっても曲げられなくて、嫌いになっていいものを嫌いになれなかった。
華の高校生、「一歩大人の私ならこうする」という指針で自分を保った。部活内の指示はすべて「おはよう」のテンションにした。言うべきだから言うだけ。以下でも以上でもない。それでも言われた「大嫌いだった」。どうすれば好きになってもらえたんだろう。
好きなことはやってきた、周りが何を言おうと自分に自信がなかろうと、やりたいと思ったらやった。それだけはした。好きと苦手が共存することも、私と誰かの正義がイコールにならないことも、努力の実りが遙か先にあることも知った。ずっとみぞおちの間が気持ち悪かった。
多分、人と比べて楽でも辛くもない人生。人並みの苦労と日本人らしい恵まれた生活。でも全部ちゃんと自分でなぞって歩いてきた。あんなに寂しかった日はもう来ない。でも一生忘れることができない、切ない記憶。私は善人にはなれないけど、人に素直な子どもだったと思うよ。
正当化するつもりは毛頭ない。浅はかさで沢山馬鹿なことをした。苦いのは自分のせい。でもきっと、知るべき痛みはちゃんと得てきた。時点でのベストは生涯その人のベストではない。あの時の痛みはその先にいる今の私をきちんと強く設えた。
なんでこんなことを書くのか、本当にわからない。でも出してあげるなら今だと思った。「明けない夜はない」という言葉に絶望した自分にも、今の私なら味方できる。そして、誰かの味方もできる。そういう人になりたいから、私は自分を思い出す。
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