🇻🇳[Day3]ベトナム・ホーチミン4日間/【ド定番】クチトンネルとメコン川堪能ツアー with帰省ラッシュ
Xin Chào!
オーストラリアに続いてのnote投稿第2弾、2026年2月にベトナム南部のホーチミンに4日間旅行に行ってまいりました。
前回はコチラ
https://note.com/climb_taiyakey39/n/nbe84d1c10367?sub_rt=share_sb
3日目の行程
1日目:旧正月・Tết(テト)で賑わう市街さんぽ
2日目:ブンタウ・サイゴン川を往復高速船で行く日帰りTrip
3日目:【ド定番】クチトンネルとメコン川堪能ツアーwith帰省ラッシュ
4日目:旧首都・サイゴンのクラシックな1日市街観光
(5日目に帰国)
3日目は、日帰りガイドツアーに参加し、ベトナム戦争の激戦地の舞台となったクチトンネルと、メコンデルタを見学してまいりました。
ベトナムの歴史
3日目に訪れたクチトンネル。その背景にあるのは、想像を絶するほど長く、激しい「独立への闘い」の歴史です。
クチの理解を深めるために、ベトナムの歩みを本noteで簡潔にまとめてみました。海外の情報の中でも特に「歴史」については諸説ある分野のため、あくまで一つの視点としてご覧ください。
※サクッと旅行記だけ閲覧したい!という方は読み飛ばしてください。
千年にわたる中国支配からの脱却
ベトナムの歴史は、隣国・中国をはじめとする他国からの"占領"と"抵抗"の歴史でもあります。
始皇帝の死後、秦のベトナムへの支配力が弱まりつつあった紀元前207年に、現在の中国の広州を首都として南越国が誕生。
紀元前111年に前漢に支配されて以来、約1,000年もの間、中国による統治が続きました。
度重なる反乱を経て、本格的にベトナムが中国から独立したのが938年、呉権(ゴー・クエン)が白藤江で南漢軍を破り、ついに悲願の独立を果たします。
その後、11世紀に成立した李朝がタンロン(現在のハノイ)を首都に定め、宋のシステムを取り入れて発展し、国家の基礎を固めました。
続く陳朝では、独自の文字「チュノム」を作成し、当時世界最強だった元(モンゴル軍)を撃退。
15世紀初頭には一時的に明から支配されるものの、黎利(レ・ロイ)らの決起により、ベトナムを奪還。黎朝が成立し、南方のチャンパ王国を支配下に置きました。(チャンパ王国はメコンデルタの奥地へと追いやられ、最終的に滅亡)
南北分裂と最後の王朝、そしてフランスの影
黎朝時代に一度は統一されたベトナム、諸侯の抗争により南北に分裂、北部はチン氏、南部(現在のフエ周辺、いわゆるベトナム中部)はグエン氏が実権を握り、以後約200年に渡って対立することに。
南部のグエン氏は南進を続け、コーシチナ、カンボジアの一部を併合。
タイソンら3兄弟による反乱により、南北ベトナムを奪取するが、一族の対立によりグエン・アインの巻き返しを許すことに。
1802年にグエン・アインはベトナムを再統一、自らを「ザーロン」帝と名乗り、フエに新たに首都を建設、最後の王朝の阮(グエン)朝が誕生しました。
しかし、この時フランスに支援を求めたことが、皮肉にも植民地化を招くきっかけとなります。
フランスは徐々に影響力を強め、1884年にはベトナムを保護国化。ラオス、カンボジアを含む「フランス領インドシナ」としての支配が始まりました。
抵抗の火種と「独立」への覚醒
フランスによる直接支配の中、ベトナム人の激しい排仏運動を抑え込むために、フランスはノタブル(地方支配者階級)を取り込み、ベトナム人の分裂を図りました。
そんな中、20世紀初頭にはファン・ボイ・チャウがドンズー(東遊)運動という日本への留学を勧める運動を開始。最盛期には200名前後の留学生が日本に来たものの、1907年の「日仏協約」により、日本がフランスのインドシナ支配を認める代わりに、フランスが日本の韓国併合を認めるという取引が行われた結果、日本政府はファン・ボイ・チャウらベトナム人留学生を強制送還・追放するという結果に。
そんな中、後に建国の父となるホー・チ・ミンが登場します。フランス社会党大会での演説やベトナム青年革命同志会の組織など、国内外で活動を本格化。フランス側は教育制度の普及(クオック・グーQuốc Ngữの推進)で懐柔を図りますが、皮肉にも教育を受けた知識層が世界情勢を知ることで、反フランスの思想はより強固なものとなりました。
日仏の二重支配からベトナム戦争へ
WWⅡの初期の1940年にフランスがドイツに敗れると、日本がベトナム北部へ進駐、翌1941年には南部にも進駐し、ヴィシー政府のフランスと協定を結んだことでベトナムは日本とフランスからの二重支配を受けることに。
この過酷な状況下で、共産主義者と民族主義者が結集し、ホー・チ・ミン率いる抗日独立組織「ベトミン」が結成されました。彼らはゲリラ戦を展開しつつ、民衆の支持を集めて力を蓄えます。そして1945年9月2日。日本が連合国軍への降伏文書に調印したまさにその日、ホー・チ・ミンはハノイのバディン広場で「ベトナム民主共和国」の独立を宣言しました。
しかし、平和は長く続きませんでした。再び植民地支配を目論むフランスとの間で<第一次インドシナ戦争(1946~1954)>が勃発。1954年のディエンビエンフーの戦いでベトナム側が劇的な勝利を収めるも、国際政治のパワーゲームにより全土一括の独立は叶わず、ジュネーブ協定により国は北緯17度線で南北に分断されてしまいます。
分断後、北にはホー・チ・ミンを大統領とする「ベトナム民主共和国」、
南にはフランスの後援によるバオダイ帝の「ベトナム国」が並び立つ状態となります。
その後、南ではアメリカの後援を受けたゴ・ディン・ジエムがバオダイを追放し、「ベトナム共和国(南ベトナム)」を樹立。独裁的な政治に対して反発が強まる中、1960年には北ベトナムと連携した南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、南ベトナム政府に対して激しいゲリラ戦を展開し始めました。
1964年のトンキン湾事件を機に、1965年からアメリカによる北爆が開始。本格的な<ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争/1965~1975)>が始まりました。アメリカ軍は最新兵器や枯葉剤を投入し、戦局は泥沼化していきます。
圧倒的な軍事力を誇るアメリカ軍に対し、南ベトナム解放民族戦線が活用したのが、後で訪問予定のサイゴン近郊のクチトンネルでした。
全長250kmにも及ぶこの地下迷宮は、単なる隠れ家ではなく、生活・作戦会議・奇襲攻撃の拠点として機能し、ジャングルに潜む見えない敵としてアメリカ軍を精神的にも肉体的にも追い詰めました。
1968年のテト(旧正月)攻勢で多くのアメリカ兵が犠牲となり、その凄まじい抵抗の様子が世界中に報じられました。これにより、それまで勝利を信じていたアメリカ国内の世論は一気に反戦へと傾き、戦争の継続は決定的に困難なものとなりました。
1973年のパリ和平協定によりアメリカ軍が撤退。そして1975年4月30日、北ベトナム軍と解放民族戦線によりサイゴンが陥落し、翌1976年に首都をハノイとするベトナム社会主義共和国が誕生・ベトナムの人々が長年待ち望んだ「南北統一」の悲願がついに達成されました。
戦火を越えて:統一からドイモイによる飛躍へ
南北統一を果たしたベトナムでしたが、統一後もなお、周辺国との緊張関係から新たな戦いへと巻き込まれていきます。
1970年代後半、ベトナムは隣国カンボジアを支配するポル・ポト政権による国境侵犯と凄惨な(カンボジア)自国民虐殺に対し、軍事介入を決断します。これに反発した中国がベトナムへ侵攻したことで「中越戦争」が勃発。ベトナムは再び、長年にわたる戦時体制を強いられることとなりました。(いわゆる"第三次インドシナ戦争/1978~1989)
この戦争による国際的な孤立と軍事費の増大は国内経済を疲弊させ、ベトナムは建国以来の深い困難に直面します。しかし、1989年のカンボジアからの完全撤退を機に、国は大きな転換点を迎えます。
ベトナム統一後、政府は全土の社会主義化を急ぎましたが、その結果、生産は停滞し経済成長は止まってしまいました。急激な体制変化を嫌った多くの人々が国外へ脱出を図り、"ボートピープル(難民)"として国際的な問題となった時期もありました。国家はまさに、深い停滞と混乱の真っ只中にありました。
この閉塞感を打破するため、1986年に導入されたのが"ドイモイ(刷新)政策"です。「食糧の増産」「消費物資の生産拡大」「輸出商品の拡大」という三つの経済目標を掲げ、社会主義の枠組みを維持しつつ市場経済を導入するという大胆な改革で、これは単なる経済改革にとどまらず、硬直化した官僚組織や教条主義の克服という、国家の在り方そのものを刷新する挑戦でもありました。
この変革により、ベトナムは世界でも類を見ないほどの急速な経済成長を遂げ、今に至ります。
以上、クチトンネルの理解を深めるために歴史の概略を作成しましたが、結果的にベトナム全体の歴史の説明となってしまいました。
現在のエネルギッシュなベトナムはこれらの「不屈の歴史」を背景としていることだけ理解いただければ幸いです。
[Day3]【ド定番】クチトンネルとメコン川堪能ツアー with帰省ラッシュ
ベトナム戦争の激戦地・クチトンネル
ホーチミン3日目。
ブンタウに引き続き、ホーチミン市内だけでは時間を潰せそうにないので少し遠出をすることに。
遠出するとなると手段はバス、電車、レンタカーあたりになってくるが、
ベトナムではいわゆる「国際運転免許証」が通用する条約に加盟していないため、通常の観光ではレンタカーを使用することは不可。
とはいえ、最近の公共交通機関を使わない楽々旅行スタイルに慣れてしまった身としては、バス、電車も面倒。
運転手だけ雇って移動することも考えたが、たまにはガイド付きツアー参加してもいいか!ということで、日帰りツアーへ申し込むことに。


海外といえばの超ド定番の「GetY〇urGuide」が第一候補にあがったが、同行者が英語ツアー微妙となったため、どうせなら日本語ガイドで車貸し切りプランを選択。ホーチミン市内だったら大体ホテル真下or近くまで迎えに来てくれるということだったので、のんびり集合したところ……
何か車大きくない???
入ってみると、普通に他の人がいてビックリ。
どうやらツアー会社の手違いとのことだったが、旧正月・テト期間のため早々に代替手段が見つかるはずもなく。
とはいえ、正直貸し切りプランへのこだわりはゼロであったため、貸し切りじゃないプランとの差額を返金してもらう形でそのまま同行することに。むしろ、他の旅行者と喋れるのでラッキーくらいの心持ちで、ツアースタート。

元気なガイドさんの説明を夢うつつな状態で聞いていると、1時間も走らないくらいでワゴン車停車。
海外ツアーといえば……土産店への立ち寄り!!
1つ目の目的地に到着する前にいきなり20分以上の滞在!露骨!!

ベトナム戦争で枯葉剤の被害にあわれた方達のハンドメイド製品売ってますみたいなことを言われたが、本当か確認する術もなく。特に何も買わずに虚無の時間を耐える。

いきなりの立ち寄りを終え、今度こそ最初の目的地のクチトンネルへ到着。
一般的にクチトンネルというと、ベンユックという場所にある規模の大きなトンネルエリアのことを指すが、本ツアーを含めてガイドツアーで訪れるのはベンユックよりも近い場所にあり、少し規模の小さいベンディンのクチトンネル。とはいえ、見学出来る内容は変わらないため、ベトナム戦争時の背景をよく知ることが出来る場所になっている。


中に入るとまず目に入ったのは展示物よりも人!
定番観光地だからか、午前中にも関わらずどこを見ても人だらけ。
定番撮影スポットの、穴に隠れられるポイントが複数あったが、順番待ちをして穴に入る体験をする流れがどうも一般的らしい。
ガイドツアー同士で空気をいい感じに読んでツアー毎、体験したい人が1人1人穴に入るのだが、野良で来て撮影の順番待ちをするのは難しそうな雰囲気。




普通に面白いので大半の方が写真撮影するが、地上に這い上がれない方が同行者やガイドの手を借りて上に上がっていたのがなかなかに笑える。(自分だったら絶対にイヤ)
ここからはしばらく、いわゆる普通の展示を見学。



普通の見学コースを進んでいくと、入った時から銃声が聞こえてきて気になっていた実弾の銃の体験が出来る射撃場へ到着。

ガイドさんからここは別料金・各自払いの旨を伝達されるが、
一般的な銃の試し打ち10発で75万ドン、5千円弱なのでいい経験になりそうということでもちろん個別料金お支払い。
9割方の訪れる外国人の方々が試し撃ちしていたので、入場料以上にドル箱なこと間違いなし。





体験は一瞬で終了。思わずフェルミ推定でおおよその1日の儲け金額を計算したくなる程のあっけなさだが、日本では実弾射撃が出来ないことを考えると致し方なし。
射撃後はいよいよ本当のメイン、実際のクチトンネルでベトコンの皆さんが隠れていた狭いトンネル体験。
狭い所や暗い所が苦手な方は入らなくてもOKだが、是非体験するべき。100mの長さのトンネルを体験出来て、20m毎に出口があるので安心。
中は腰をかがめないと進めないくらいの高さ、元ちょいケイバー(洞窟探検家)としてはもちろん100m進みたかったが、ツアーの構成上強制的に20mで脱出。こういう時、奥までいくとしたらGetYourGuid〇のツアーとかがいいんやろな……


トンネルから出たら、キャッサバ芋と何とか茶の軽食体験の後、クチトンネルの歴史のビデオ鑑賞。本note上部でさらっと歴史について触れましたが、より深く内容を知ることが出来るので、是非現地に行ってみてください。

全然関係ないですが、ベトナムのトイレの写真でも載せておきます。





ミトー・メコンデルタ観光
クチトンネル観光後は、ミトー近くの昼飯場所まで大移動。
まあまあ興味あるものの、ガイドツアーなので道中寝て移動出来るのはかなりのアドバンテージ。
寝たり車窓の景色を見たりしながら移動すること2h少し。
移動中から薄々思ってはいたが、テトの最終日ということもあり、ホーチミン市内方向が永遠に渋滞していて帰りが不安になるレベルだったのが最高潮に。
……無数のバイクがホーチミン方向に移動してない???
写真を見ると分かるのだが、あり得ない台数のバイクが永遠と民族大移動している感じ。

帰りには渋滞が消えていることを祈りつつレストランに到着したのだが、レストランに入るには反対車線に行く必要があり。その反対車線はまさしくホーチミンへ向かう大量のバイクがひしめくところを横断する必要があり……
絶対自分じゃ運転出来ないと思いつつ、流石のベテランドライバーの割り込みテクニックにより無事にレストラン駐車場へIN。
その流れで、レストランの駐車場内を走ってショートカットしようと企むバイカー達が100台くらい流れ込んできていたが、流石にスタッフが止めていたので安心。……何故駐車場内で轢かれる心配めっちゃしなきゃあかんねん……ヤバすんぎ!!!


ツアーで立ち寄る定番レストランだからか、日本語メニューもあり注文は楽々。ツアーの方々と同じテーブルで食事をしたが、皆さん良い感じの方ばかりで雰囲気良く食事を楽しむことが出来ました。Happy。

お店の方が鋏でカットすると、甘みのあるクセになる餅が出てくる
下にあるのはフーティウというこしのあるフォー。これ一番美味かった。


魚の後ろに東南アジアあるあるのあんまり味がしないチャーハンがいる

最初だけエレファントフィッシュも入れてスタッフの方が作ってくれる

食事を堪能したら、ほんの少しでメコン川クルーズのスタート地点であるミトの町に到着。
メコン川クルーズといっても、本当のメコン川をクルーズするというわけではなく、メコン川を普通に船で渡った先にある中州の島の中にある、地図でも見えない細さの運河的な川を手漕ぎ船でクルーズするというもので(衛星写真でも見えない)、今回船で渡ったトイソン島は普通に橋があって車でも行けるのだが、ツアーを盛り上げるためわざわざ船で渡ってからがはじまり。




トイソン島に到着して早速やってまいりました、第2の試食(という名の立ち寄り)。蜂蜜屋さんです。

気分よく観光客である我々に蜂蜜製品を買っていただくために、蜂箱的なのを持つ体験や、全く関係ないけど蛇との記念写真、そして蜂蜜や蜂蜜入りのお茶の試食・試飲により購入に繋げていくう。





たまたまだが、12月には千葉でハチミツ専門店、年末年始にもオーストラリアでハチミツ専門店に立ち寄っていた傍から見ると蜂蜜だ~いすきな私には刺さらず……すまねえ、、、嫌いじゃないけど特段好きでもないんだ……
蜂蜜の後は何故かゴルフカートに乗って、トイソン島を移動!西方向に行けば次の目的地に秒で着くのだが、時計回りに大回りして目的地へ。
途中、地元の方が外でカラオケ大会やってたり、馬で移動してたりでなかなか興味深い。最後までお正月休みを堪能してください。

さあさあお次は第3の試食、だけど試食多すぎで特にフルーツ食べる気分ではない。
お金払えば民族歌唱とか楽しめるらしいが、ツアーの他の皆さんもお腹いっぱいでどうでもよいムード漂ってるのでパス。


そんなこんなでようやくメインのメコンデルタクルーズ乗り場に到着。
2グループに分かれて、船頭さんと後ろのスタッフ計2名、間に4〜5名乗る形でいざ出航。
結構我々の舟は周りと比べてもスタッフさんの息が合ってるからかハイスピードで進んで行って地味に楽しい、ただ後で写真を見たら船頭さんの服の下の下着が普通に透けて見えていて写真載せづらかったのは涙。




(ニッパヤシのトンネル)

葉っぱは屋根に使われたりもするらしい

全長1~2km?くらいの手漕ぎボートツアーもいよいよ終盤、お別れの時。
ボート代はツアー代金に含まれているので支払う必要はないものの、チップを渡すのが習慣とガイドの方から伝えられたため、最後に空気を読んでグループ全体で相場っぽい金額をお礼と共に船頭さんと最後尾のスタッフへ。安定のお礼の言葉どころか会釈すらなかったが、こういうものだと割り切らないと多分厳しい(笑)
ボートツアー後すぐ待ち構えているのは、第4の試食、ココナッツキャンディー。ココナッツミルクに、砂糖やらを加えて煮詰める様子を目の前で見学し、出来立てほやほやのものを試食することが出来てなかなかよい。
が、もう試食だけで4番目なのよ……悲しいながら、購買意欲は沸いてこなかったため何も買わず。(元々こういう所でお土産そんなに買わないだけな気もする)


めっちゃ強い、、、
ココナッツキャンディー工場を抜けたら、ようやくボートでの本土帰還。
帰りのボートではダメ押しというばかりの、1人1ココナッツジュースの配布あり。
旧正月最終日・帰省ラッシュ
お待ちかねの、ホーチミン市内への帰宅タイム。
昼時が帰省ラッシュのピークかな~と思いつつ、つかの間の車が少ないエリアを快適に進んでいく。

そう、道が空いているのは本当につかの間で、10分かそこらかでいつの間にか周囲どこを見ても車バイクの大渋滞。
何とか抜け道を探して高速に乗ろうとすると、警察により高速への過度な流入を防ぐべく、交通規制が敷かれている様子。
どの車・バイクも迷走している様子で、自分達は最終的にはほぼ下道で帰ることに。

16:00前にミトーを出発、70~80kmの距離を通常1時間30分くらいで結んでいるが、最終的には20:30ぐらいホーチミン市内着という約4時間30分、約3倍の時間をかけての旅路に。

ちなみに歩道を普通に走っているが、こちらは本来はNG
今回ツアーで使用したバンの車内の写真は撮っていないが、海外でのオプショナルツアーあるあるでやたらと雰囲気は豪華で、運転手の方が運転に飽きたからか、途中から車内の照明を特にリクエストしていないのに関わらずパーティーみたいな感じにしたりと、なかなかカオス。
あまりに時間がかかるので、途中ガソリンスタンドでお手洗いを借りようとしたが長蛇の列に撤退。
ツアーの中で、他のグループで一部飛行機の時間が本来は余裕だけど気にした方がよさそうな方もいらっしゃり、進み具合だけ見ると絶望的な状況。

気づいたら、3人乗り、4人乗りが当たり前、バイクの大集団に囲まれて結局昼レストランで見た民族大移動の流れの中に放り込まれている状態だったが、何やかんやで脱出しお手洗い休憩へ。


何も購入してないが、助かったので場所だけ載せときます。。。
後は平和な道中、別GRPの名古屋のローカルフードの話が聞こえたので話に割り込んだら、他のGRPの方も知っていて最後は車内全体で名古屋のチェーン店の話で盛り上がりお腹ペコペコ具合が急上昇。
ホーチミン市内に到着してすぐ近くにありそうなベトナム料理店、
「Hoàng Yến Vietnamese Cuisine」へ。

ガイドさんの話によると、まあまあ有名な店で、そこそこ高級なベトナム料理店とのこと。1人3,000円(もしてなかった気もする)くらいで贅沢出来るので普通にGood。

右下はChả giò cua、カニ入りの揚げ春巻き
左はBò áp chảo sốt tiêu xanh、青胡椒ソースかかった牛肉とか

--ko xdという文字も記載されていたが、骨なしの略っぽい

ということで3日目が歴史含めて10,000文字を超えたあたりでようやく長い1日が終了。
何だかんだでツアーおもろかったです、ガイドの方、ドライバーの方、ご一緒した皆様ありがとうございます。
明日は4日目、いよいよ最終日。ホーチミン市内普通に観光、お楽しみに!
4日目はコチラ!
https://note.com/climb_taiyakey39/n/nd82d17bc46bd?sub_rt=share_sb
出典
Vietnamese History: A Primer | Vietnam Tourism
ベトナム基礎データ|外務省
日越外交関係樹立45周年記念プロジェクト日本とベトナム~きざまれた交流の軌跡をたどる~
