8050問題で思うこと~女子の生き様~
今からここに書くことはあくまで私の個人的なボヤキのようなものである。きちんとしたデータに基づいたことではないので、正確さを欠いているかもしれない。それをご了承の上読んでいただきたい。
まず、8050問題とは、
80代の親が、自宅にひきこもる50代の子どもの生活を支え、経済的にも精神的にも行き詰まってしまう状態のことを指しています。
要するに、高度成長期で馬車馬のように働いていた「団塊の世代」が歳をとり、80代になり、その子世代である「団塊ジュニア世代」は就職氷河期に直面し、ひきこもりになり、それが長期化して50代に差し掛かり、生活保護などの社会保障費が膨大に膨れ上がる可能性を危惧したために生まれた言葉である。
就職できないのは個人の努力が足りないせいであると切り捨てられてきた若者たちの為れの果てである。今頃、この世代を支援する動きがあるが、もう手遅れではないかと私は思ってしまう。
「団塊ジュニア世代」が就職氷河期に直面したせいで、雇用の非正規化が進み、出産どころか結婚すらできない人々が増加し、第三次ベビーブームが来なかったと考えられる。
「団塊ジュニア世代」は1971年から1974年生まれの人々を指し、現在51歳から48歳の年齢である。この世代がもし、生殖年齢を20歳から40歳と仮定して彼女らがたくさんの赤ちゃんを出産していたら、31歳から11歳くらいまでの人口はもっと増えていたと考えられる。
私は団塊ジュニア世代ではないが、就職氷河期世代であり、未婚で子なしの女性なので、少子化に拍車をかけているものの一人といえる。
8050問題の尻ぬぐいをさせられるのは、その下の世代たちになる。成人年齢を引き下げて若者世代の選挙の投票権の分母を広げたとしても、選挙に行かなければ意味がない。
私も自戒を含めて選挙にいかず、政治に関心がなかったことを後悔している。若者たちがもっと積極的に政治に関心を持ち、少子化対策に先手を打っていれば、このような状態にならなかったかもしれないのだ。
女性の社会進出にとっても、海外では景気の良いときに女性の社会進出は発展している。バブルのときが女性の社会進出の絶好のチャンスだったのだ。
しかし、女性の管理職がようやく増えようとした矢先にバブルは弾け、日本の女性の社会進出は遅れる一方である。
1960年代、1970年代は欧米諸国の先進国では家族の崩壊が叫ばれた。その中で唯一離婚率が上昇しなかった先進国が日本であった。1980年代、バブルで豊かさを満喫し、家族としての機能が十分働いていた時期を経験していた世代は、未だにその成功体験を忘れられず、家族とはこうあるべきという幻想をまだ持ち続けているように見える。その成功体験が忘れられない世代がまだ政治の実権を握っているように私は思えてならい。
日本でも、家族はとっくの昔に崩壊している。国家のありようを世帯単位でおさめようとしている政治の在り方もそろそろ見直すべきなのではないのか。
夫婦別性が一向に進展しないのも、家族というものに幻想を抱いているからに他ならない。
家事や育児、介護をタダ働きで背負わされている女性、もしくは若年層、ヤングケアラーたちにお金を回さないとこの国は一向に持続可能な社会を支える国にはならないと思う。
と、思わず愚痴ってしまった。
少子化を食い止める方策も思い浮かばず、誰がリーダーになっても変わらないと思ってしまうこの日本という国に、絶望しかないのかと暗澹たる気持ちになる。
どうか、未来の若者たちによきバトンを手渡したいと思うのだが、当面、自分の生活するのに手一杯の私になにができようか、否、なにもできまい。
自力で頑張れとしか言いようがないのである。

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