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〔454〕「後期大東亜戦争は不可避の最終戦争」23 結論部2 Y染色体R1bの本家「ヤムナ族」の分流「タカス族」が「漢族」に混入してO2になったという謎(続き)          5/31の朝、全文を大幅に修正、推敲しました。

〔454〕「後期大東亜戦争は不可避の最終戦争」23 結論部2 Y染色体R1bの本家「ヤムナ族」の分流「タカス族」が「漢族」に混入してO2になったという謎(続き)
 
 前項〔453〕では、BC2000に出来たシナ世界において「東大族(大東亜人)」と漢族(侵入ヤムナ系人)が「中原」の覇権を争った興亡の歴史を見ましたが、ここではシナ世界が成立する前の「彩陶文化」とその後の「黒陶文化」についてごく簡単に眺めて見ましょう。
 黄河流域で最初に興ったのは、BC5000こからBC3000までの新石器時代の「彩陶文化」で「仰韶文化」として知られますが、まだ「シナ世界」が成立する前で、住民のY遺伝子は「ウラル系民族」に多いN型です、
 ついでBC3000から「シナ世界」が成立する「夏王朝創建」までの間「黄河流域」に栄えた「龍山文化」です。
 昭和三(1928)年に山東省章丘県龍山鎮で出土した「城子崖遺跡」の発掘調査で発見された黒陶・灰陶」に因み「黒陶文」とも呼ばれる「龍山文化」で、シナ世界が成立する前のユーラシア東部に広がっていました。
 その特徴は高温焼成による陶器製造技術の高さで、均質で卵殻のように薄い器胎の「黒陶」は「轆轤」が用いられた、と観られます。薄くて黒光りする「黒陶」は黄河流域のみならず長江流域や華南海岸でも発見されており、  
「龍山文化」が「黄河文明」の発祥というより、むしろ「長江文明」の影響を受けた可能性も指摘されています。

 「龍山文化」は前後二つの時期に区分され、前期はBC3000からBC2600、後期はBC2600からBC2000とされています。  
 また黄河流域の地形によっても区分され、黄河下流域の「中原」で栄えた「河南龍山文化」と、シルクロードの起点で交通の要衝の「渭河」に沿った「陝西龍山文化」、および黄河の河口近くの山東省で栄えた「山東龍山文化」に別けられます。
 「龍山文化」の特徴は農業や手工業の発達です。陝西省の渭河周辺では農業と牧畜業が「仰韶文化」に比べ大きく発展し、コメの栽培も始まり、養蚕と小規模な絹織物の生産も開始しています。
 さらには占術や巫術も始まり宗教も生れていましたが、農業の発達による余剰穀物が貯蔵されて所有権観念が生まれていた、と思われます。
このように階級社会が成立する直前であった東ユーラシア(後の中華世界)の新石器時代は、BC2200からBC2000までの「大旱魃」に遭遇して、社会構成員と社会構造が一変し、その後4000年い渉るシナ世界が出現したのです。
 急告 浅井〇様 ご喜捨の件でお礼を申し上げたいのでご連絡ください

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