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外に猫がいたころ   京都新聞文化面2026年3月9日掲載「季節のエッセー」より                 

 子どものころ暮らしていた家は戦前に建てられた平屋で、南に面して縁側があり、おおむらさきなどの低木が植えられた庭にはたらい程の小さな池があった。その池に時おり野良猫たちが水を飲みにきた。
 当時の食卓には鰯や秋刀魚など焼き魚がよくのぼり、匂いを嗅ぎつけて庭にきた猫に頭と骨を投げてやると喜んで食べていた。そんな野良猫との交流は、子ども時代のゴールデンタイムだったといっていい。
 昔の家屋には縁の下があった。野良猫はそれぞれお気に入りの縁の下で雨風や暑さから身を守り眠りにもついていただろう。人の生活に緩く猫が入り込むゆとりがあった。
 たびたび庭にくる三毛猫のお腹が大きいことに気づいた時には物置小屋にベッドをしつらえ、三匹もの可愛らしい命と出会った。
 猫を家に入れることは大反対だった母だが、懸命に子育てをしている三毛猫に心を動かされたのか、ある日、鰹節入りのお粥を作ってくれた。玄関から廊下、ついに茶の間へと時間を掛けて三毛を家に引き入れ、私が二十歳になるまで長く生きてくれた。
 家猫とはいえ、木の雨戸に開けた穴から夜も出入りは自由。その頃の猫の飼い方はそういうものだった。喧嘩をして血を流して帰ってきても自然と治す免疫力もあった。
 春には花に歩み寄り香りをかいで微笑んでいた。目を細め空を見上げて季節ごとの風を味わっていた。人も猫も感情の在りようは少しも変わらないと感じる所以ある。
 ここ五年ほど前から、外を歩いていて猫に出会うことが極端に減った。
四十度の猛暑と厳しい寒さを生き延びられないのだと想像する。助けてほしいと何者かに訴えるように啼いて静かに蹲り、蹲ったまま息絶えたのだろう。野良猫を守ってきた縁の下などない家並みのどこに最期の場所を見つけただろうか。風雨に晒されたまま冷たくなったかもしれない。
 いま私の肩には長毛白が巻きついている。甘えることと食べることが彼女の幸せの全てである。花の香りや季節の移ろいを歓ぶ自由はなく、庭に入ってきたよその猫を追い払う任務もない。猫を外に出してはいけないという不文律をいつしか私も踏襲している。
 息苦しい世界だ。小さな命にも、もちろん人間にも。           

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