立ち止まる夜に、やさしい風を
海を見ると、ときどき
言葉にしにくい気持ちになることがあります。
きれいだな、と思うだけでは足りなくて、
少しこわくて、
少し惹かれて、
胸の奥のどこかが静かに揺れるような感じ。
防波堤に打ち寄せて砕ける波を見ていると、
自分の中にも
同じような波がある気がしてきます。
うまく言えなかった気持ち。
誰にも見せなかったさみしさ。
期待して、傷ついて、
それでもまた何かを信じようとしてしまう心。
そういうものが、
白い飛沫みたいに
胸の中で何度も砕けては消えていく。
大人になると、
自由はもっと軽やかなものだと思っていました。
好きな場所へ行けて、
好きなものを選べて、
会いたい人に会って、
会いたくない人とは距離を置ける。
たしかにそれは自由なのだと思います。
でも実際には、
自由って少しさみしいものでもあります。
何を選ぶのも自分。
どこへ向かうのも自分。
誰かに決めてもらえないぶん、
立ち止まったときの静けさまで
自分で引き受けなければいけないから。
誰かに出会って、
心が動いて、
恋をして、
ぬくもりを知って。
けれどそのぶん、
期待がすれ違ったり、
言葉が届かなかったり、
「わかってほしい」が
うまく伝わらなかったりもする。
そんな夜は、
ラジオの音や遠い波の音だけが
自分のそばにいてくれる気がします。
何かを語りたいのに、
ちょうどいい言葉が見つからない。
話したい気持ちはあるのに、
こんなことを話しても困らせるかなと思ってしまう。
そして結局、何も言わずに
夜だけが少しずつ更けていく。
そんな時間は、
たしかにあると思います。
悲しいほど自由。
その言葉には、
少しだけ痛みがあるけれど、
私はどこかで、
その自由に救われてもいるのだと思います。
立ち尽くしてしまう日があっても、
風が吹くのを待てばいい。
自分で歩き出せない日があっても、
外の世界はちゃんと動いていて、
止まったままのように思える私の背中も、
ある日ふいに
そっと押してくれることがある。
大丈夫、と思います。
今すぐ元気になれなくてもいい。
前向きな言葉が出てこなくてもいい。
ただ、防波堤の上で
立ち止まってしまう自分を責めなくていい。
海の色に震えて、
急いで走り去りたくなる日もあるでしょう。
ひとりがやけに身にしみる夜もあるでしょう。
でも、そういう時間を知っている人は、
きっとやさしくなれる。
痛みを知っているぶん、
小さなぬくもりにも気づける。
砕ける波は、
何度も何度も岸に向かってきます。
それでも海は、
なくならない。
静かに満ちて、また揺れている。
人の心も、
少し似ているのかもしれません。
傷ついても、
うまくいかなくても、
思うように言葉が見つからなくても、
心はまた、ちゃんと自分のところへ戻ってくる。
だから、
悲しいほど自由な夜にも、
きっと大丈夫。
風よ、と思う夜があっていい。
誰かではなく、
まずは明日の自分が
そっと背中を押してくれるかもしれないから。
読んでくださりありがとうございました♪
