護る人にも余白を

ふと柴咲コウさんの
「祈り」
を聴きながら
護る側にいる人のことを
考えていました
誰かを支える人ほど
自分のことを後回しにしてしまう
そんなことについて
少し書いてみます
*
柴咲コウさんの
「祈り」
という曲が好きです
*
僕はこの曲を
ただ誰かを想う歌というより
護る人の歌
のように感じています
*
誰かを護ろうとする人
誰かのために気を張る人
自分が頑張ればいい
と思ってしまう人
*
そういう人に向けて
静かに寄り添うような
響きがある気がするのです
*
けれど
そんな人ほど
自分自身のことは
後回しにしてしまいがちです
*
自分は平気
まだ大丈夫
このくらいなら何とかなる
*
そうやって少しずつ
無理を重ねてしまうことは
きっと珍しくないような
気がします
*
人間は驚くほど
強くもある一方で
生命体としての
寿命には限りがあります
*
そう思うと
「僕は平気」も
「あの人ならきっと大丈夫」も
幻想と紙一重なのかもしれません
*
僕自身のことを
振り返ってみても
周りからいろいろな
タスクを積まれて
正直しんどいなあ…
と思うことはあります
*
それは僕だけではなく
他の人も一緒なのでは…
と思うのです
*
キャパシティや
得意不得意には
個人差があります
*
できることの幅も
疲れやすさも
人それぞれでしょう
それでも…
みんな等しく人間ですもの(^^)
疲れることも
力を抜きたいときも
誰かに少し支えてほしい時も
あるのではと思います
*
そんな当たり前のことも
忙しさの中では
つい忘れてしまいがちに
なるような気がします
*
役職や肩書きがつくと
なおさら顕著になる
ように思います
*
責任ある立場にいる人ほど
「この人なら大丈夫」
「この人がやるしかない」
と見なされやすいのかも
しれません
*
けれど本来
役職という肩書きや
契約上の立場は
人の命の重さを
測るための
物差しではない筈
なんですよね…
*
あれは仕事や役割を
整理するためのもの
例えるならば
ドレスコードか
ドレス(服装)そのもの
なのだと思います
*
必要な場面で身につけるもの
その場に応じて
求められる役割を示すもの
*
そういった物は
その人自身の
すべてではありません
どんな肩書きをまとっていても
その下にはひとりの人間がいる
*
疲れることもあれば
傷つくこともあるでしょう
*
ハードウェアは
オーバーホール
メンテナンス
リペア
と意識的にケアされているのに…
*
人間のことになると
まだ動けるから大丈夫
このくらいなら何とかなる
作業が止まったら
迷惑をかけてしまうし……
*
そんなふうに
考えてしまうことが
多いような気がします
*
けれど本当は
人間もとても繊細で
休息も回復も
手当ても必要な筈なのに…
そこがうまく織り込まれないまま
日々進んでしまうことが
あるように思います
*
まったくもって…
ままならないものですね……
*
護る側にいる人にも
ふっと力を抜ける余白が
あればいいのにと思うのです
*
休んでも弱音を吐いてもいい
少し立ち止まり己を顧みて
己を大切にしてあげられる
余白を持つことができたなら…
*
現実を見ると正直なところ
少しビターな気がします
*
このようなことは
いわゆるブラック企業的な要素が
はっきりある場合だけではなくて
ごく普通の職場でも
ごく普通の人たちの間でも
残念ながら起きてしまう
可能性がある気がします
*
誰かが故意にそうしようと
しているわけではないのに
責任感とか善意とか
真面目さとか…
そういうものの延長線上で
無理や我慢の蓄積が
起きてしまう…
*
理想を語りたい
わけではないのです
それでもなお
何とかしようという思いと
一抹の遣る瀬なさが
入り混じったような
苦い思いがするのです
*
どうか
護る人も守られますように…
そんな祈りを胸に
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