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護る人にも余白を


ふと柴咲コウさんの
「祈り」
を聴きながら
護る側にいる人のことを
考えていました
誰かを支える人ほど
自分のことを後回しにしてしまう
そんなことについて
少し書いてみます


柴咲コウさんの  
「祈り」
という曲が好きです


僕はこの曲を
ただ誰かを想う歌というより

護る人の歌

のように感じています


誰かを護ろうとする人
誰かのために気を張る人
自分が頑張ればいい
と思ってしまう人


そういう人に向けて
静かに寄り添うような
響きがある気がするのです


けれど
そんな人ほど
自分自身のことは  
後回しにしてしまいがちです


自分は平気
まだ大丈夫
このくらいなら何とかなる


そうやって少しずつ
無理を重ねてしまうことは
きっと珍しくないような
気がします



人間は驚くほど
強くもある一方で
生命体としての
寿命には限りがあります


そう思うと
「僕は平気」も  
「あの人ならきっと大丈夫」も
幻想と紙一重なのかもしれません


僕自身のことを
振り返ってみても
周りからいろいろな
タスクを積まれて
正直しんどいなあ…
と思うことはあります


それは僕だけではなく
他の人も一緒なのでは…
と思うのです


キャパシティや
得意不得意には
個人差があります


できることの幅も
疲れやすさも
人それぞれでしょう
それでも…

みんな等しく人間ですもの(^^)

疲れることも
力を抜きたいときも
誰かに少し支えてほしい時も
あるのではと思います


そんな当たり前のことも
忙しさの中では
つい忘れてしまいがちに
なるような気がします


役職や肩書きがつくと
なおさら顕著になる
ように思います


責任ある立場にいる人ほど
「この人なら大丈夫」  
「この人がやるしかない」  
と見なされやすいのかも
しれません


けれど本来
役職という肩書きや
契約上の立場は
人の命の重さを
測るための  
物差しではない筈
なんですよね…


あれは仕事や役割を
整理するためのもの
例えるならば
ドレスコードか
ドレス(服装)そのもの
なのだと思います


必要な場面で身につけるもの
その場に応じて
求められる役割を示すもの


そういった物は
その人自身の
すべてではありません
どんな肩書きをまとっていても
その下にはひとりの人間がいる


疲れることもあれば
傷つくこともあるでしょう


ハードウェアは
オーバーホール
メンテナンス
リペア
と意識的にケアされているのに…


人間のことになると
まだ動けるから大丈夫
このくらいなら何とかなる
作業が止まったら
迷惑をかけてしまうし……


そんなふうに
考えてしまうことが
多いような気がします


けれど本当は
人間もとても繊細で
休息も回復も
手当ても必要な筈なのに…
そこがうまく織り込まれないまま
日々進んでしまうことが
あるように思います


まったくもって…  
ままならないものですね……


護る側にいる人にも
ふっと力を抜ける余白が
あればいいのにと思うのです


休んでも弱音を吐いてもいい
少し立ち止まり己を顧みて
己を大切にしてあげられる
余白を持つことができたなら…


現実を見ると正直なところ
少しビターな気がします


このようなことは
いわゆるブラック企業的な要素が  
はっきりある場合だけではなくて
ごく普通の職場でも
ごく普通の人たちの間でも
残念ながら起きてしまう
可能性がある気がします


誰かが故意にそうしようと
しているわけではないのに
責任感とか善意とか
真面目さとか…
そういうものの延長線上で
無理や我慢の蓄積が
起きてしまう…


理想を語りたい
わけではないのです
それでもなお 
何とかしようという思いと
一抹の遣る瀬なさが
入り混じったような
苦い思いがするのです


どうか
護る人も守られますように…

そんな祈りを胸に



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